第二十七話「情けなんていらないって言ったわよ!!」
顔を洗って目を覚ます。季節は移り変わり、だいぶ暑さが増してきた。
頬を伝う水も気持ちが良い。それをタオルで拭って、ルゼリアは鏡を見た。
くせのある長い茶髪に、覚悟を決めて輝く緑の瞳。
三年前より、少し大人っぽくなったかもしれない。
それは学園生活を通して、様々なことを学んだからだろうか。
それとも恋をしたからだろうか?
この最後の一年間は実に慌ただしく過ぎていった。
マティウスの下僕として彼の側にいた学園生活。
……それも、もうすぐ終わりを迎えようとしている。
「昨日言われたんだった……卒業試験ではお互いにライバルなんだからって」
いつものように電話に向かおうとして足を止めた。
朝の電話はするなとマティウスに言われたのだ。一緒に登校することもなしだった。
卒業すればもう彼に電話をすることも、一緒に通学することもなくなる。
できれば最後にしたかったと思いながら、その想いを振り切る。
こうして自分をライバルと認めてくれているのだ。
ならばライバルらしく、対立しなければ。
そっと胸に手を置く。制服の下にあるネックレスに触れるように。
今日は卒業試験が行われる。
泣いても笑っても、最後のチャンス。
悔いのないように全力を尽くそう。
少々寂しい想いをしながらも、ルゼリアは覚悟を決めてから登校するために部屋を出た。
卒業試験は実に様々な観点から行われる。
実技や筆記はもちろん、人格や普段の行動も評価のポイントとなる。
現在の女性魔術師の数は少ない。その理由は普段の学生生活での評価が低いせいだろう。
元より婚活を目的に入学してくる女子生徒が多数を占めているのだから、当然と言えよう。
学園側にはできればこの問題を解決して欲しいところだが、学園の運営は貴族からの多額の寄付金から成り立っている部分もある。
貴族子女が多く、一応は在籍資格を持つ彼女らを無下に追い出すことはできないのだろう。
ルゼリアとしても歯がゆいものだが、そういった支援のお陰で自分がこの三年間、父親からの援助なしでも通うことができたのだから。
もしも卒業したならば、そういったことの改善にも努めたいものだ。
「いえ、もしもじゃないわ……なるのよ!」
ぐっと手を握りしめて考え直す。なんであれ、まずは目の前の試験だ。
今日は筆記試験だ。高度な技術と危険性を併せ持つ魔法を扱う魔術師には、あらゆる知識が求められる。
「始め!」
交流会の場ともなった多目的ホールに試験官の声が響く。
試験会場はホールだ。そこに三年生が集められ、筆記試験を全員で受けることとなった。
マティウスもどこかで受けているだろう。
……試験が始まる前に姿を探したが見つけられなかった。
あの存在感を放つ彼を見つけられないとは思わなかったが、試験が始まってしまったため、探すことも中断された。
今はテストに集中しなくては。彼を倒し、一位になるためにも。
一科目を終えて、テストの終了の声が告げられた。
テストの手応えは今まで以上にばっちりだ。
魔法で回収されていく紙を見送って、ルゼリアは集中していた脳を休めるように伸びをした。
席を立って友人と会話をしている生徒もいる。
ルゼリアもメイリとマティウスの姿を探そうと席を立ち上がった。
「たった今聞いたのだけど、今日マティウス様が欠席なのですって! しかも卒業試験は受けないだなんて担任に言ったそうよ!」
「ええ!? あのマティウス様が!」
「……えっ」
聞こえてきた同級生の声に耳を疑い、言葉を失った。
……マティウスが欠席? それも卒業試験を受けないだなんて言った?
慌てて周囲を見渡すも、黒い学生服の同級生の中に見慣れた金色の存在感はいくら探してもない。
「おい! マティウスがいないってよ!」
「あの天才野郎が?」
「試験を受けないって……留年するつもりなのか!?」
ざわめきが風となり、噂が荒れ狂う波のように広がっていく。
「静粛に! 次の試験を始めるぞ!」
すでに休憩時間は過ぎて、次の科目のテスト時間となる。
騒がしかった場が静まり、皆が席に戻っていく。
ルゼリアも立ち尽くしていたままだったが、もう一度席に付いた。
だが……。
(なんで……なんでいないのよ。どういうつもりよ、マティウス!)
疑問はやがて怒りとなってルゼリアの心に渦巻いた。
「……ク、クロウリア嬢、どうしたのだ。試験を始めるから座りなさい」
気付けば、ガタンと大きく机を叩きながらルゼリアは席から立ち上がっていた。
「――すみません。ちょっと大馬鹿野郎を探してきます」
「クロウリア嬢!!」
試験官の制止の声を無視して、ルゼリアは試験会場から出ていった。
「……何がライバルよ! 嘘つき!」
ライバルと言ってくれたではないか。
この試験の場で戦うということではなかったのだろうか。
ルゼリアは走りながら首に下げていたネックレスを取り出した。
このネックレスにはマティウスの魔力が宿っている。
その魔力反応を頼りにマティウスはルゼリアを見つけ出すことができた。
――つまりは逆探知も可能だった。
ネックレスに宿った魔力と同じ魔力を探し出すだけでいい。
ネックレスに刻まれた魔術式に手を加えてしまえば良いのだから。
それくらいのことなら、ルゼリアには簡単にできる。
このネックレスはルゼリアの居場所がマティウスに分かるものだが、同時にルゼリアもマティウスの居場所が分かるのだ。
そんなことを彼が知らずに渡すことはない。
それだけルゼリアのことを信用していたのだろう。
自分の居場所が筒抜けになっても、構わない相手と思うくらいに。
「なのに……この行動ってどういうことかしら?」
怒りで握りしめたネックレスが揺らめき、そしてとある方向を指し示す。
ルゼリアはその方向へ向け、箒も使わずに魔法で飛び上がった。
「……見つけた!」
ネックレスが指し示したのは学園から少し遠くの場所。
マティウスとデートをした際に、待ち合わせをした公園であった。
その公園のベンチで彼は悠々自適に寝転がり、寝ているではないか。
「マ~ティ~ウ~ス!!!!」
「……はっ? なっ!?」
目を開けたマティウスがびっくりしたのも当然だろう。空から勢いよく、ルゼリアが彼目掛けて落ちてきていたのだから。
「なんでお前がここに!? 位置反応は学園じゃ……!?」
勘付かれて逃げられては困るので、わざわざルゼリアはネックレスに細工していた。
慌てて起き上がった彼は落ちてくるルゼリアを受け止めた。
ルゼリアがわざと勢いを殺さなかったので、マティウスは受け止めた後に後ろに向かって倒れ込んだ。
「馬鹿か、どうしてここにいるんだよ!」
「馬鹿はあんたよ……この嘘つき!」
倒れ込んだマティウスの上に乗ったまま、ルゼリアは彼の胸元を掴んで起こしたかと思うと――そのまま勢いよく殴った。しかも拳で。
「いっだ……!! なんで殴るんだ!」
「殴りたくもなるわよ……! ……あんたは私をライバルだって言ってくれたじゃない! 私はあんたと卒業試験で一位の座を賭けて戦うつもりだったのに……なのに、なのに……なのに! 逃げるなんて信じられないわ!!」
「逃げてねぇよ! そうしなきゃお前が首席取れねぇだろ? 首席を取れなきゃお前は……」
「情けなんていらないって言ったわよ!!」
マティウスが卒業試験を受けなかった理由は自分にあるのは明らかだ。
彼は自分のために留年になってでも、試験を欠席したのだろう。
だが、そんな情けなどいらなかった。
――いや、そもそもだ。
「それにこんなことされたら、私があんたには絶対勝てなくて、首席は取れないって言われているようなものじゃない!!」
ルゼリアの実力を誰よりも分かってくれていると思っていた。
脅威だと思って排除しようとするくらいに恐れられているのだと思っていた。
確かにルゼリアは首席が取れなければ、魔術師の道など色々と諦めることになる。
だがそれは、マティウスに勝てさえすれば良い話だ。
マティウスが試験を受けなかったのには、きっと思ったのだろう。ルゼリアは一位になれない……つまりマティウスには勝てないのだと。
確かにマティウス自身がテストを受けずに居なくなれば、ルゼリアが首席を取ることは確実にはなるだろうが……。
「そもそも私は……ずっとあんたに勝ちたかった。ずっとあんたを一位から引きずり下ろしたかった……。お父様との約束なんてどうだっていいと思うくらいよ! あんたと最後に一勝負できればよかったのに……それなのによりにもよって、あんたに逃げられるなんて!」
マティウスの服を握りしめる手に力がこもる。
そうだ今は。父親との約束よりも、彼との勝負が大事だった。
「あんたはマティウス・フォン・レイナールでしょ。希代の天才魔術師らしく、いつものようにふんぞり返っていなさいよ……。そんなあんたを私は……私は……」
この拳ではなく、成績一位という実力でぶん殴ってやりたかった。
怒りを通り越して、悲しみが溢れ出して、ルゼリアは泣き出した。
彼の行動に対して怒りも湧いたが、同時に悲しくもあったのだ。
そんなに自分の実力は信用できなかったのか。
首席を取らせてあげたいからと、わざわざ席を譲るほどだったのかと。
それを他でもない、あのマティウスにさせたのだ。
彼ならどんな事情があろうが、頂点に君臨してくれるだろうと、正々堂々と戦ってくれるだろうと勝手に思っていたが。
そんな彼に対しての期待の裏切りも、悲しさの一つだった。
「……テストでわざと間違いをして点数を落とすことも考えたが、お前に後で気づかれそうだったし、大体、誰にも気づかれずに点数落とすとか、そういうのは細かくて面倒そうで苦手だし、それなら最初からテスト自体を受けなきゃ良いかと思ってしたんだが……」
やっぱりダメだったかと困ったように言って、ルゼリアの涙を拭き取っていく。
「ダメに決まってるでしょ……!」
「仕方ないだろ……万が一を考えるとやっぱり俺に勝てそうになかったし」
「本当に思っていたのね! 本当に思っていたなんて!!」
「まぁな?」
殴られて赤い顔のまま、いつものにやりとした笑みをした。
ルゼリアの中にイライラとしたものがまた溜まっていくが、同時に安堵もしてしまった。
やはり、マティウスという男はこうでなくてはいけないと。
「俺の親父は魔力を持たなかったばかりに、親族や世間から非難された。だから、俺は親父の分まで、レイナール家の威厳と名誉を保とうと考えている。……だが、それくらいならいくら時間が掛かってもできることだ。一年留年しても、どうとでもなる。だけど、お前はそうじゃないだろ?」
「お父様との約束に、今年で卒業しなければならないなんて条件はないわ。貴方が留年するっていうなら、私もする。貴方がいる卒業試験で取る首席でなければ……きっと意味がないもの」
「それで、もし俺に勝てずに魔術師を諦め、誰とも知れない男と結婚する羽目になってもか?」
「ええ、もちろんよ」
ルゼリアははっきりとそう言った。覚悟なんて入学当初からできていた。
最近は少し揺らいでしまったが……他でもない彼に言われて思い出せた。
「どんな約束でも違えない……ほんとお前らしいな」
そう言ってマティウスは立ち上がろうと身体を動かしたので、ルゼリアは彼の上から退いた。
マティウスの顔が真っ赤に腫れ上がっていたので、ルゼリアは治療魔法を施した。
その間、彼は何かを考えるように思案していた。
「……今から戻るぞ」
「戻るって……まさか学園に?」
「あぁ、卒業試験を受けに」
「でも今から行ったって今年はもう……」
本気で言っているのだろうか。
卒業試験はもう今年は受けられないだろうとルゼリアは諦めていたが、どうやらマティウスはそうではないらしい。
「さすがに上位二名が揃って留年だなんて学園側としては色々と良くないだろ」
「よく言えるわね……誰のせいでこうなったのよ」
「まぁ俺だな。……悪かったよ。だからもう、俺は逃げないよ」
そう言ってマティウスはルゼリアに手を差し伸べた。
「行くぞ、ルゼリア。最後まで諦めるつもりはないだろ?」
「……それも、そうね」
自分から手を重ねたことはなかったその手に、ルゼリアは初めて手を重ねた。
握り返した彼の手は暖かくルゼリアの手を包み、そして引き寄せた。
胸の中に引き寄せられ、程なくしてマティウスが風を操り、飛行魔術を唱え始めた。
二人の体はすぐに浮かび上がり、澄み渡る空へ飛んでいく。
――まるで、あの時みたいだ。
遅刻しかけた時に、マティウスと共に空を飛んで登校したあの時と同じ。
「前みたいに怒らないのか? 不必要な魔法の使用は禁止だって」
「今は緊急時でしょ。それに私だってさっき飛んじゃったから、人のこと言えないわ」
「そうだったな」
前回と明らかに一つ違うのは、二人の距離感だろう。
ルゼリアはしっかりと腕を回して、マティウスを見上げる。
風になびく金髪に、燃えるような赤い瞳。獅子のような王者の存在感を持つ、マティウスという男。
天才と呼ばれ、その実力からこの三年間、ほとんど学年首位だった。
性格は傲慢で意地悪かと思えば、何かとルゼリアのことを気にかけ勉強を教えたり、危ない時はわざわざ助けにも来てくれた。
今日だってルゼリアのことを思ってか、卒業試験を辞退しようとしていたほどだ。
そんな彼の元に下僕としてじゃない、もっと別の形で隣に立てたなら、どんなに良いだろうか。
今までのようにルゼリアをいじるかもしれない。
それでも、今ならそういう日々が続くのも悪くないと思ってしまう。
「ねぇ、マティウス! 私、絶対に首席を取ってみせるから!」
首席を取り、晴れて魔術師になったならば、彼の隣に立つ資格があるだろうか。
そうであったなら、彼にはきちんと伝えたい。
胸の奥にしまい込んだ、この気持ちを。
「ああ、俺から首席を取ってみせろ!」
ルゼリアがそう言えば、彼は自信満々な笑顔でいつものように返した。
その後、学園へ戻った二人が教師から説教を食らったのは当然だったと言えよう。
卒業試験に関してはマティウスが言った通り、学園側としても首席と二位である二人を留年にはさせたくない様子だった。
マティウスが言いくるめた結果、二人は無事に卒業試験を受けられることとなった。




