第二十六話「お前は何も心配することなく突き進め」
「よぉ、待っていたぜ」
「それで用事って何?」
空き教室に入ればマティウスが待っていた。
なるべくいつも通りを心がけながら、感情を出さないように気を付けてルゼリアが返事を返した。
「聞き耳を立てていたわけじゃないんだが……。今日、担任と進路先について話していただろ? ……進路が決まっていないのは本当か?」
「……ええ、本当よ」
「どうしてだ? お前は魔術師になりたいのだろう? それなら魔術師としてやりたいことの一つや二つあるだろ?」
「……それはちょっと決めかねていて」
マティウスとしては疑問なのだろう。なぜこんなにも魔術師になることを拘っているルゼリアが、卒業後のことについて何も考えていないことが。
マティウスは腕を組んだまま、ルゼリアを見つめていた。
「親と同じ道を行くと思っていたが?」
確かに父に憧れたのだから、長兄のように父の後を追うように研究者の道を行くのもいいだろう。
だが、それは違うような気がする。
ルゼリアは首を振った。自分も研究者になりたいかと思うと自分は研究者になりたいわけではない。
「じゃあ、騎士団でもいくのか? お前の次兄のように」
ルゼリアはまた否定するように首を振った。
次兄は父や長兄に反発して騎士団に入った。
自分もそうするかと言われると、それもまた違う。
自分は騎士になりたいわけじゃない。
「本当にお前は何もないのか?」
その言葉にも首を振った。
ルゼリアだって、今までただ漠然と魔術師になるためだけに、勉強をしていたわけではない。
勉強を通して得意不得意、それから興味がある分野も分かっていた。
それらを統合し、強いて言うなら――。
「……医術師よ。やりたいと思うのはそれよ」
治療魔法は得意であるし、怪我を治すことで人の役にも立てる職業だ。
マティウスも薄々は分かっていたようで、その答えに驚いている様子もない。
ルゼリアと共に半年ほど共に勉強していた彼なら分かるだろう。
「なんでそれを書かないんだ」
だからこそ、ルゼリアが進路先にそれを書かないのが、マティウスには理解できないのだ。
「ルゼリア、お前の治療魔法は素晴らしい。ラルフの呪詛の解除だって手際が良かった。お前のその力があれば、これからたくさんの人が救える……その力がお前にあるのに」
――なのにどうして。
ルゼリアの手をとって、マティウスが訴える。
今ルゼリアの目の前にいるのは、彼女の魔術師としての力を心の底から信じている男だった。
「時々、お前は諦めるような目をしていた。あんなにも魔術師になりたいと言い、俺を倒すと豪語していたお前が、なぜそんな目をする? ……なぁ教えてくれ、ルゼリア。お前がそんな目をする理由は一体なんだ?」
まるで懇願するかのようにマティウスは言った。
自分をまっすぐと見つめる赤く透き通る瞳に、真剣に投げかけてくる彼の言葉に、嘘と偽りはない。
……自分のことをここまで気にかけてくれるこの男に対して、いつまでも不誠実であるべきではないだろう。
「マティウス。私は……」
しばらく悩んだ後に、ルゼリアは思い切って話すことにした。
ずっと隠して閉じていた箱の蓋をゆっくりと開けるように、口を開いた。
「私と、私の父が不仲なのは貴方も知っているわよね? ……私の父は私が魔術師になることを幼い頃から許さなかった。それでも私は魔術師になりたくて……だから入学を条件に、ある約束をしたのよ」
「……どんな約束だ?」
「もしも首席で卒業できなかったら、魔術師を諦め、クロウリア家の令嬢らしく父の決めた相手と結婚するというものよ」
「――け、結婚!?」
ひどく驚いた様子でマティウスが声を上げた。
「父親との仲を考えれば魔術師を反対されているようなのは予想通りだったが……」
結婚か……と呟いて今度は頭を抱えて悩み始めた。
こんなマティウスを見るのは始めてだ。いつもは悩みなんてないと思わせるほどの男なのに。
そして彼を悩ませている原因は自分であるのも不思議だった。
「はぁー……そうか。道理でお前が必死になるはずだ。……悪いな、そんなことも知らずに俺は――」
「貴方が謝る必要はないわ。これは私の家の問題だから。……本当は言いたくなかったのよ……。貴方とは何の気兼ねもなく争いたかったから」
マティウスが居なければ、確かにすぐにでも解決するような問題だ。
なにせルゼリアは二位をずっと維持している。……マティウスさえいなければ首席は確実だったはずだ。
だが事情を下手に言ってしまえば、自分の事情を理由に一位を譲ってくれと言っているようなものになっただろう。
譲られて貰う首席などに何の価値があるというのか。
それならまだ取れずに潔く負けたほうがいい。
「……ルゼリア。俺は初めて学園でお前を見た時、恵まれて甘やかされて育ったお嬢様だと思っていたよ」
ルゼリアの手を握り締めたまま、マティウスが思い出すように語りだした。
最初に会った時……となると入試試験の順位が発表された時だろう。
『絶対に貴方を越えてみせるわ……覚えておくことね!』
そうマティウスに対して宣言したことは今でも覚えている。
必死で勉強をして挑んだ入試試験。手応えは完璧であったのに、二位であったのだから。
「かのクロウリア家の令嬢だ、自分の思う通りにならなくて癇癪を起こしていたのだろうって……その時は思っていた」
昔を思い出しているように遠くを見ていたマティウスが、ルゼリアの方へ、今の彼女に振り返った。
「なのに、お前は諦めが悪くて……テストのたびに俺に宣言してきた。二年の終わりなんて一位になれなかったら下僕になるだなんてバカなことを言い出して……。そしてバカ正直に下僕になるし……。だけど、下僕扱いをされても諦めなかった。――それでもお前は諦めなかった」
そこまでしてでもルゼリアは一位を、首席を、魔術師になる夢を、諦められなかった。
マティウスを睨む緑の瞳はいつも敵意を剥き出して、諦めることのない強い意志を宿して輝いていた。
その輝きの裏に隠されていたのは、父に認めてもらう為に交わした、一つの条件を達成するためのものだった。
「やっとお前というものが分かった……。父の反対を押し切って入学し、失敗すれば二度と魔術師になれないというリスクを負ってでも、お前はこの学園に来たのだと……」
ルゼリアの頬に手が添えられる。そしてマティウスは――。
「だから余計に、今のお前はお前らしくない。ここまで来て、諦めるような考えをしやがって……!」
「――いっ!!」
――唐突にマティウスがルゼリアの頬をつねって引っ張った。
「お前はルゼリア・フォン・クロウリアだろ! 最後まで諦めずに足掻くのがお前だろ!」
「でも……」
「でも、じゃねぇよ! そんなもしもの考えをしている暇があったら、俺を引きずり下ろす方法を考えろ! そうでもしなきゃ俺には勝てねぇぞ?」
ニッと口の端を吊り上げて、不敵にマティウスは笑う。
いつものマティウスだ。ルゼリアがこの三年間、幾度となく見てきたこの顔。
――あぁ、そうだ。ルゼリアが最初にこの男に対して抱いた思いは、悔しいと思わせたかったことだ。
頂点でふんぞり返る、この男を引きずり下ろしてやりたかった。
自分だってその場所に行けることを証明したかった。
誰よりもルゼリアを魔術師として見てくれている、宿敵だからこそ。
「……本当に。貴方って人は。だけどその通りね。不本意だけど、貴方の言うとおりよ。こんなこと考えていたようじゃ、私は貴方を越えられないわ」
パシッと冷たく握られていた手を叩くように離し、ルゼリアはマティウスを睨む。
(進みたいと思う未来がまだ閉ざされたわけじゃない。なら、最後まで足掻くまでよね)
足掻いて、足掻き続けて。
本気を出し切った後ならば、どんな最後でも悔いはないだろう。
鮮やかなエメラルドグリーンの瞳に強い意志と闘志が再び輝き始めた。
「いい顔だ。俺はその顔が見たかった」
ルゼリアの憑き物が落ちたような表情を見て、マティウスが満足そうに頷いた。
「それにしても私を励ますなんて……下僕扱いして排除しようとしていたくらいなのに」
「確かに最初は毎回、うるさくてウザい奴だと思っていたさ」
「う、うるさくてウザい……」
これでも令嬢として気を付けて……いたような気がするがちょっと自信がない。
確かにテストの度に横で騒ぎ立てられれば、ウザく思われても仕方ないだろう。
ルゼリアが毎回、マティウスの態度にイライラとしたいたように。
「だけどな、今はあの時とは気持ちが違うんだ。俺は……」
続きの言葉を待つも、いくら待ってもマティウスは言わなかった。
ただ、優しく微笑むだけだ。
――どうしてそんな表情をする。
さっきみたいにルゼリアの心を逆なでするようなものじゃない。
むしろ心をくすぐられたような感覚になり、落ち着かなくなってしまう。
「大丈夫だ、ルゼリア。お前は何も心配することなく突き進め」
掛ける言葉はいつになく優しく、ルゼリアの頭を手が撫でていく。
今日のマティウスはいつもらしくてそうでない。
この前から感じているこの違和感はなんだろうか。
――その答えが分かったのは、卒業試験の日だった。




