第二十三話「手を出すなって言ったよな?」
デートの後。それからの学園生活はいつも通りだった。
特に二人の関係に変わりなく、もどかしく思いながらも日々が過ぎていく。
マティウスのことは気になる。
しかし、目下の目標は首席で卒業することだ。
今日は後期の中間テストの最終日だった。
「今回こそは……」
今回のテストで一位を取れても、次で逃せば終わりだろう。
それでも、今の実力で彼にどこまで迫れるか分かる。
身支度を済ませ、いつものようにマティウスに電話をかけようとした時。
――魔導電話の着信を知らせるベルが鳴り響いた。
「……マティウス?」
たまにマティウスから掛けてくることもあった。
なんだか胸騒ぎがする。恐る恐る電話の受話器を上げて電話に出た。
「……はい」
『――お前はクロウリア家の娘だな?』
魔術で声質を変えた、男とも女とも付かない乱暴な声。
――明らかにマティウスではない。
『メイリ・フォン・フローエを知っているな?』
「……メイリですって?」
『その娘は今俺たちのところにいる。無事に返して欲しければ、今から言う場所に来い』
「なっ……! どういうことよ! メイリは無事なんでしょうね!?」
『あぁ、今の所はな。だが、このことを誰かに言ってみろ。その時はこいつの命はないと思え!』
謎の声は一方的に場所を告げた後、電話を切った。
「どうしてメイリが……」
何かしらの犯罪に巻き込まれたのは明らかだ。
メイリが連れ去られた理由なんて簡単だ。きっとルゼリアのせいだろう。
身代金目的なら彼女のフローエ子爵家に連絡が行くはずだ。
しかし、彼女の家はお世辞にもお金持ちではない、貧乏貴族の家として有名である。
なので連れ去ったとしても旨味はない。
だが、ルゼリアは違う。ルゼリアはクロウリア家の令嬢だ。
歩く金塊に見えても仕方ないほどに、誘拐するにはもってこいの存在だ。
本人は魔術師であるため、簡単には捕まえられないだろうが、もしも人質がいた場合は違うだろう。
メイリはつまり、ルゼリアを釣るための餌でしかないということだ。
「メイリ……ごめんなさい。私のせいで……」
ルゼリアは杖を手にして、窓の外を窺う。
まだ登校するには時間が早いため、生徒の姿はまばらだ。
ルゼリアは隠蔽魔法を自身に掛け、窓からそっと抜け出した。
***
指定された場所は学園からかなり離れた場所だった。
町外れの人通りの少ない地区。
昔は何かの店をやっていたのだろう。閉店した商店の建物がそうだった。
ルゼリアは隠密魔法をしたまま、店へ踏み入れる。
一階はからっぽの陳列棚と物が雑多に置かれており、埃っぽい。
だがよく地面を見れば足跡が残っており、人が出入りしているようだ。
足跡の後からして複数人……。気を引き締めながら、奥へ続く扉を開けた。
(……メイリ!)
家具のない大部屋の中心に、椅子に縛り付けられたメイリの姿があった。
服装は学生服。怯えているようだが、強い意志を宿したまま周囲を睨んでいる。
……助けなければ。しかし、部屋には複数の男たちがいた。数にして十人ほどか。
しかも数人は杖を所持しているところを見るに、魔術師だろう。
(不意打ちを仕掛けて、全員魔法で拘束すれば……)
杖をぐっと握りしめて、魔法を唱えようとしたその瞬間――。
「いるんだろう、ルゼリア嬢?」
びくりと、名を呼ばれて体が跳ねた。
縛られたメイリの近くに、影から人が現れる。
「魔法を使ってみろ? こいつがどうなっても知らないぞ?」
メイリの喉元に杖がナイフのように突きつけられた。
「隠れていないで出てこい、ルゼリア」
「……まさか、貴方の仕業だったとはね。ラルフ」
ルゼリアは仕方なく隠蔽魔法を解く。
交流会の時以来、久しぶりに見るラルフがそこにいた。
「お前……! いつの間に!?」
「入口の探知魔法に引っかかってなかったぞ!?」
「あんな粗末な魔法、すぐ解除してやったわ」
周囲の驚く男たちにルゼリアは言う。
入口には建物に侵入者が来た場合、知らせる探知魔法が掛けられていたが、ルゼリアがとっくに解除していた。
だから気づかれることなく入り込めたと思ったのだが、相手が一枚上手だったようだ。
「君はこういう姑息な手段が得意だからな。こう来ると思ったよ」
「貴方に言われたくないわ。メイリを人質に私を呼び出す姑息な男に」
「口を慎め、ルゼリア。君は立場を分かっているのだろな?」
「……うっ」
「メイリ!」
ラルフがメイリの喉元にグッと杖を押し付ける。
「……ラルフ。それ以上はやめなさい。貴方の両親が悲しむわよ」
ラルフとの交流会の事件は示談となっていた。
彼の両親がクロウリア家に多額の示談金を持って、謝り倒したからだ。
そんな両親のお陰でラルフの罪は退学程度で済んでいたというのに。
「それなら安心しろ。もう俺は家からは絶縁されたからな」
「ラルフ――」
「それもこれも君のせいだ! 君がいるから僕が……俺がこんな目にあったんだ!」
逆恨みもいいところだ。そう言ってやりたいがメイリを人質に取られている。
下手に刺激して逆上されてはいけない。
「……くっ」
「ふ、ふはは。そうだ。それでいい。杖をこちらに投げ捨てて、両手を上げろ!」
ルゼリアは持っていた杖を言われた通りに投げ捨てた。
小さな杖はころころとラルフたちの方へ向かって転がっていく。
「おい、この嬢ちゃんは俺らの好きにしていいんだよな?」
「あぁ、好きにしろ。そいつは下僕らしくされるのが好みだぞ」
「へぇ……こんな可愛い面してそういうのが好みなのか。なら散々にいじめてやろう」
「……ルゼリア!!」
下品な笑いをしながら周囲の男たちが、ルゼリアを囲うように追い詰めていく。
その向こうでメイリの悲痛の声がする。
ルゼリアはこれから身に降りかかる恐怖に体が震え始めた。
目前の恐怖から逃れようと目を閉じる。
そうすれば何も見えない。何も感じない。
だから今は耐えて乗り越えれば……きっと希望は見えてくるはずだから。
――ドガンッ。
「な、なんだ!?」
暗い視界の中、聞こえてきたのは何かが蹴破られる轟音と男たちの怒号。
そして、次に身体を立っていられないほどの強風が後ろから吹き荒れた。
一瞬にして部屋の中は嵐の中のような状態となる。
「――手を出すなって言ったよな?」
目を開けた瞬間、この強風の中で物ともせずに前へ走っていく金の光を見た。
一瞬だった。まるで瞬間移動したかのようにその光はラルフの元へ行き、彼からメイリを取り返した。
「マティウス……!」
金髪と黒き魔術ローブをなびかせて、そこに立つのは黄金に輝く希望の光――マティウスだった。
「ルゼリア!」
ビュンっと風が鳴って、何かがこちらに飛んでくる。
掴み取ってみれば、先程投げ捨てたルゼリアの杖だ。
「そっちの野郎どもは任せたぞ!」
「ええ、任せて!」
マティウスの不敵な笑みに、ルゼリアも同じような笑みを返した。
ルゼリアは杖を手に、自分を囲っていた男たちを睨む。
人質がいなければこっちのものだ。
「さぁて……誰が誰をいじめるのだったかしら?」
「ひっ……!!」
――決着は早かった。
マティウスがラルフを締め上げている間に、ルゼリアが十人の男たちを纏めて吹き飛ばして、戦闘不能としてやった。
「……なぜだ……何だこの強さは……」
「ルゼリアは学園で天才に並ぶ実力者よ? そんじょそこらの平々凡々な魔術師程度が敵うわけないでしょ? 勝負にもなりませんわ」
吹き飛ばされて満身創痍となった男の言葉に、助け出されたメイリが答えた。
ルゼリアはマティウスという影に隠れがちだが、その実力は学生の枠には収まらないだろう。
腐っても名門クロウリア家の一族。その力は受け継いでいるものだった。
だが、血を受け継ぐだけでなく、きちんと努力を重ねたが故に手に入れた力だ。
「メイリ……! 何もされてないわよね? 大丈夫よね?」
「ええ、何もされていないから大丈夫よ。それより、ごめんなさいね。ルゼリアを危険な目に合わせてしまって……」
「それを言うなら私のせいよ……ごめんなさい、メイリ」
ルゼリアとメイリは抱き合いながら、互いの無事を確かめあった。
「クソッ……こんなはずでは……!!」
「お前も馬鹿だな。こんなことしでかして……」
「貴様らみたいな、何もかもを持っているやつには分からないだろうよ!」
「だからといって、これが許されるわけがありませんわよ」
ラルフの言葉に、メイリが答える。
メイリは貧乏令嬢で魔法に対して天才的な才能があるわけでもない。
この場で唯一、ラルフに近い立場と言えよう。
だからこそ、その言葉はラルフ本人に突き刺さる重みだ。
「……こんなはずじゃ……こんなはずじゃ……これも全部――ぐっ、ぐああ!?」
「な、なんだ!?」
突如としてラルフが苦しみ悶え始めた。酸素を求めるように両手は首を掻きもがく。
口からは泡のような血を溢れさせていた。
「退いて、マティウス!」
倒れてもがき苦しむラルフの元へルゼリアが駆け寄る。
ラルフの首元から胸元に掛けて紫の禍々しい刻印が彼の身体を侵食するように走っていた。
「これは呪詛ね」
「なんだってそんなもの……」
「わからないけど、すぐに処置しないと死んでしまうわ!」
ルゼリアはすぐに杖を構え、呪詛の解除を試みようとする。
「待て、ルゼリア! 下手に手出しすれば解除者も呪われる……ここは俺が――」
「あんたがやったら呪いごと患者の身体まで壊すでしょ? それとも私の力が信用できないの?」
「……分かった」
マティウスは渋々と言った様子で止めるのをやめ、ルゼリアはすぐにラルフの呪詛解除の処置を始めた。
マティウスの魔術は桁違いに力強い。
だがその分、慎重さを要求される魔術には不向きだ。
呪詛解除も治療魔法と同じく、繊細な技術が必要な分野である。
それもウイルスに似たような形で体内組織に侵入し広がる呪詛は外傷の治療よりも複雑であり、下手に治療すれば患者の細胞組織も壊すことになる。
しかもマティウスの言う通り、呪詛に対して対策をしつつやらねば、自身も呪われてしまう。
(慎重に……慎重に……)
首元からゆっくりと処置を施していく。
焦って手元が狂えば、患者の細胞を壊して死なすことになる。
誤った加減で処置をしてしまえば、呪いを抑え込めずに自分も呪われてしまう。
呪いを生かさずして人を殺さず。
それを成すには尋常ならざる技術力と集中力が必要だ。
――その二つを、ルゼリアは有していた。
天から与えられた才能に慢心することなく、直向きに努力を重ねてきた力が技術となり、けして諦めることのない辛抱強さが集中力へ繋がっていく。
「……これで大丈夫よ」
程なくして、処置は完了した。
ラルフの呪いは綺麗さっぱりとなくなり、後遺症もない。
ルゼリアも呪われていない。完璧な処置だった。
「どうして……俺を……」
「貴方にはきちんと罪を償ってもらわないといけませんから」
ラルフはルゼリアの答えを聞いた後、意識を失った。
呪いで苦しんだせいで体力を失ったのだろう、しばらくは目覚めそうにない。
「よくやった、ルゼリア」
立ち上がろうとして、ふらりと倒れかけたルゼリアの背をマティウスが支えた。
解除に集中し気力と魔力を消費したため、かなり疲労していたようだ。
「お前は休んでおけ、あとは俺たちがやっておくから」
「ありがとう、マティウス。貴方には助けられてばかりね」
ふと、思う。そういえば、どうしてマティウスはこの場所が分かったのだろうか?
ルゼリアは誰にも言わずに寮を抜け出してきたというのに。
「でも……どうしてラルフが呪われたんだ?」
質問をする前に、マティウスが疑問を口にした。
そのことにはルゼリアも同意だった。
呪詛魔術など、その危険性によって禁忌魔法に指定されているようなものだ。
それをわざわざ使ってまで、ラルフを殺す必要があったのだろうが……。
「罪を償う必要がある方が、もう一人存在しますわ」
まるで答えを言うかのように、メイリがそう言った。




