第二話「嫌いに決まってるでしょ!」
「はぁ……」
ルゼリアは実に憂鬱だった。一夜明けたが昨日の始業式でのことが忘れられない。
今日からアルティナ王立魔術学園は新学期を迎えた。
ルゼリアの前を通り過ぎていく生徒たちの中には、初々しい新入生らしき青いネクタイをした生徒たちの姿がある。
皆、魔術を学ぶのに最上といわれるこの学園に入学できたことを喜びながら、これからの新生活に胸を躍らせているようだった。
反対にルゼリアの気分は踊るどころか真っ逆さまに落ちている。
なにせあのいけ好かないマティウスに勝ち、晴れ晴れとした気持ちで新学期を迎えようとしていたはずが、待っていたのはマティウスの下僕としての灰色の新生活だったのだから。
「え、なんでルゼリア嬢が男子寮の前にいるんだ……?」
「お前知らないのかよ、ほら昨日マティウスと――」
もしかしたら夢だったかもしれないと思うも、周囲の生徒の反応からそうではなさそうだ
ルゼリアは今、男子寮の前に立っている。
女子寮からは遠い場所であるため、登校時間にこのあたりを彷徨く女子生徒もいないから目立っていた。
加えて彼女はクロウリア家の令嬢である。
マティウスと並んで学内でも有名人であることや、昨日の騒ぎを目撃した生徒も多いせいで注目度が高かった。
進級試験の結果が出された昨日。ルゼリアは約束通りにマティウスの下僕となった。
『俺の下僕になったんだから、明日から毎朝出迎えに来いよ』
屈辱に震えるルゼリアに対して、マティウスは容赦なくそういった。
(……なんで私がこんなこと!)
悔しいとは思うがそれはルゼリアが一位を取れなかったことが原因だし、自分から言いだしたことだ。
(自分で蒔いた種、自業自得。甘んじて下僕はするけど……)
いつまでも落ち込んでいるわけにもいかないし、ここには周囲の目もある。
ルゼリアは気持ちを切り替えるように姿勢を正す。
ふと身だしなみが気になって、ルゼリアはくせのある茶色の髪を整え始めた。
暗い茶色の髪はその色が地味であるため、令嬢としては派手さに欠けてあまり好きではない。
くせが強いのもマイナスポイントだ。サラサラとした髪質が羨ましい。
兄たちはもう少し色味が薄く、くせのない髪でいつも羨ましかった。
しかし、そういったコンプレックスは表に出さないほうがいいものだ。
下手に出せばいじられる。それは兄たちで経験済みだ。
おくびにも出さずに髪を整えた後、今度は制服の乱れがないかをチェックした。
黒のローブコートとワンピースにシワや汚れもなく、三年生を示す学年色の赤いリボンもきちんと結ばれている。
クロウリア家の令嬢たるもの、いついかなる場合でも身だしなみはちゃんとしていなくてはならない。
そう、今がたとえマティウスの下僕として、彼の登校を出迎えるために待っている場合でもだ。
登校していく男子生徒から奇異の目に晒されながらも、堂々と立ち続けて数十分。
いくら待ってもマティウスが出てこない。
通り過ぎていく生徒が少なくなり、ついにはいなくなってしまった。
まさか見逃したのかと思うも、あの金髪と存在感を放つ彼を見逃すはずもない。
「ふぁ……」
マティウスが現れたのはそれから数分後だった。
大きなあくびを噛み締めてゆっくりと歩いてきた。
まっすぐな金髪は少々乱れがある。
周囲の男子生徒たちと同じ黒いローブコートにブレザーの制服。
シャツのボタンは首元までしっかりと止めておらず着崩され、赤のネクタイはゆるく結ばれているような状態だ。
しかし勇ましい容姿のおかげか、そんな格好でもワイルドさに拍車がかかって様になっていた。
「遅い、遅刻ギリギリよ!」
「……あぁ? ルゼリア? お前なんでここにいるんだ?」
「貴方が昨日言ったじゃない! 下僕なら毎朝迎えに来いって!!」
淑女として大声を上げるのは好まないが、この扱いではさすがに文句の一言もいうものだ。
待たされた挙げ句に自分の存在を忘れられていたのだから。
ただの寝坊であればそこまでルゼリアも怒ることはなかっただろう。
「……まさか本当にするとは」
赤い瞳に珍しく驚きの色が見える。
確かに貴族令嬢、それも侯爵の娘がこのようなことをするとは思えなかっただろう。
先程通り過ぎていった生徒たちも信じられない物を見る目でルゼリアを見ていたくらいだ。
「ええ、自分でも馬鹿げてると思うわ。でも約束は約束。それに私が言い出したことだもの。自分からの言い出した約束を破るなんて私自身が許さない。だから私はここにいるのよ」
下僕になると勢いで言ってしまったが、それを簡単に破ることはルゼリアにはできなかった。
口約束であっても約束は必ず守るほどに、ルゼリアは生真面目な性格をしていた。
「だいたい、マティウスだって昨日はノリノリで私を追い詰めていたじゃない! あれはどういうことよ!」
「あー……からかうのに面白そうだと思ってな」
「なんですって!!」
キッと緑の瞳を鋭くさせてルゼリアがマティウスを睨む。
睨まれたマティウスはどこ吹く風で、へらりと笑っていた。
こんなやつが成績トップかと思うと、ルゼリアの怒りがどんどんと湧いてきてしまう。
ルゼリアの怒りが溢れ出しそうになった時、予鈴が鳴り響いた。
「しまった……このままじゃ遅刻になる!」
マティウスと言い合いをしている場合ではなかった。
寮から校舎まで少し遠い、急いでいったとしても間に合うかどうか。
「マティウス、急ぐわよ!」
「待て。ここから走って行ったとしても今からじゃ間に合わんだろ」
「じゃあこのまま遅刻しろっていうの? 誰のせいでこうなっていると思っているのよ!」
「だから、飛べばいいだろ?」
「えっ? あっちょっと!?」
手を掴まれたかと思えばマティウスのほうへ引かれた。
気がついた時にはルゼリアはマティウスの腕の中。
マティウスの片手はしっかりとルゼリアの腰に回され、そしてもう片手には杖。
魔術師が魔法を行使する際に使われる、指揮棒のような杖だ。
「まさか飛ぶって――」
「しっかり掴まってろよ!」
マティウスが杖を振れば、旋律を紡ぎ出すように風が吹き始める。
ただの風ではない、マティウスの魔力を帯びた風であるとルゼリアは肌で感じた。
――飛行魔法だ。
包み込んだ風が、二人の体をふわりと宙へ浮かび上がらせた。
足元から地面が遠のき、寮舎の屋根をあっという間に飛び越えていく。
「ちょっとマティウス! 校内で不必要な魔法の使用は禁止されて――うわっ!」
「おい、暴れんな。落としちまうだろ」
抗議をしようも体勢が悪い。
下手に動けばマティウスの言う通り落ちてしまう。
(な、なんなのよ……これ……)
仕方なく大人しくするも心の方は落ち着かない。
なにせマティウスに抱きしめられているし、自分もまた落ちないように抱きついているのだから。
マティウスは長年ライバル関係にあるレイナール家の嫡男だ。
異性の対象として見たことはなく、倒すべき敵としてしか見ていない存在。
なのだが、ルゼリアもまだ十七歳。花も恥じらう乙女でもある。
恋よりも勉強を選んでいた彼女にとって、異性とこのような距離になったことはないものだから余計に意識してしまう。
そして何よりも、やはり相手が悪い。
朝日に照らされて輝く金の髪と、切れ長の目に精悍な横顔。
自分を抱きしめる腕は鍛えているようで、がっしりしている。
マティウスの容姿は整っていた。世の女性が騒ぎ立てるのも無理はないほどに。
「もう少し強く掴まれないのか?」
「こ、これで精一杯よ!」
これ以上くっつくのは勘弁してほしい。怒りで爆発しそうだった心が今は羞恥で爆発しそうだ。
そうこうしている間に校門を通り過ぎ、校舎の裏手にたどり着いた。
地面に足がついた瞬間にルゼリアは素早くマティウスから離れた。
「おいおい、そんなに俺のことは嫌いかよ」
「嫌いに決まってるでしょ!」
羞恥をかき消すようにまた怒りを溢れさせて反射的にそう返す。
事あるごとに言っていたからか、マティウスは特に気にしていない様子で肩をすくませた。
「さっきも言ったけど不必要な魔法の使用は禁止よ! もし先生に見つかったら……」
「バレなきゃいいだろ。このあたりは降りる時は死角になるし、先生にも見つかってないから安心しろ」
「そういうことじゃない……というかその口ぶりからして常習犯ね!」
「おっといけね。ま、これで遅刻にはならないんだしいいだろ」
「あのね――」
「ここでまた口論していたらせっかく飛んだのに遅刻になるだろ。じゃあな」
「ちょっと……!」
色々と言いたいことがあったが確かにマティウスの言う通りであった。
教室に向かっていくマティウスを見送り、仕方なくルゼリアも自分の教室へ向かうことにした。
マティウスとは別クラスで行く先が違うのだ。
それにしても、と落ち着いたルゼリアは改めて思う。
本来飛行魔法は媒体となる物を使って飛ぶものだ。たとえば箒であったり。
生身で飛行するのは難易度が高く、さらに自分以外も連れてとなると相当の技術が必要だ。
ルゼリアも生身での飛行はできるが、誰かを連れていくことはできない。
「これが才能だというのかしら……!」
難易度の高い魔法をあっさりと使いこなしたマティウス。
その彼との差を見せつけられたような気がして、ルゼリアは対抗心を抱いた。
「今に見てなさいよ……」
下僕となったのは仕方なかったが、これはいい機会でもある。
あの天才と呼ばれるマティウスの近くにいれば、魔術師として何か得られるものがあるかもしれない。
転んでもただでは起きないのがルゼリアという令嬢だった。