第十八話「まったく諦めの悪い娘だ」
交流会が終われば、冬休みとなった。新学期が始まって以来の、初めての長期休み。
学生たちは学園を離れ、久しぶりの実家や故郷に帰省する季節だ。
「おかえりなさいませ、ルゼリアお嬢様」
「ええ、ただいま」
出迎えに並んだ使用人たちを前に、ルゼリアは挨拶を返す。
ルゼリアも実家に、クロウリア侯爵邸に帰っていた。
見慣れた家の中、懐かしき我が家に心休まる……わけもなくルゼリアの心境は重い。
それというのも、これから父親に会わねばならないからだ。
「……お久しぶりでございます、お父様」
使用人が開けたドアの向こう側、椅子に腰掛けた父親に向けて、ルゼリアは頭を下げた。
白髪交じりの薄い茶髪にアイスブルーの瞳を持つ壮年の男性。
年月の刻まれた皺に、厳しい目付きと、第一印象は人に冷たい印象を与える。
――レジナルド・フォン・クロウリア。
ルゼリアの父、クロウリア侯爵その人だ。
「久しいな、ルゼリア。入るといい」
「ええ、失礼します」
部屋の中は焚き火が燃えており、雪がチラつくこの気温でも暖かさを届けていた。
しかし、ルゼリアとレジナルドの間には、寒々とした空気が流れている。
「先の交流会ではお前も大変だったな。お前に大事がなくてよかった」
娘の心配をしている言葉であったが、レジナルドの表情は何一つ変わっていないままだ。
本当に心配していたのだろうかとつい、ルゼリアは疑ってしまう。
「息子はどうあれ、ケール伯爵家としての繋がりは良好に保っておきたい。ルゼリア、この件に関しては示談にするが良いな?」
ケール伯爵というのはラルフの父親の事だ。
交流会での出来事の後、すぐにケール伯爵は息子のことについて謝罪をした。
わざわざルゼリアの元に会いに来て、頭を下げたくらいであった。
ラルフは交流会の出来事がきっかけで、結局学園から退学となることが決まっている。
だが、ルゼリアたちの個人間ではまだ終わっていなかった。
「ええ、構いません」
ルゼリアの意見を聞いているようで聞いていない。有無を言わさない言葉だ。
娘の事より家同士の繋がりを優先するとは……。
やはり父にとって娘のルゼリアとはその程度の存在なのかもしれない。
しかし、ルゼリアとしても、ケール伯爵を不憫に思わないわけもない。
何せ息子が仕出かしたことのせいで、大貴族たるクロウリア家を敵に回したようなものだ。
世間体もあって、この先ケール伯爵家の社交界での立場は厳しいものとなる。
息子をそのように育てた親のせいとも言えなくもないが、誠意ある謝罪はしてくれた。
また多額の示談金の用意があるそうだ。
ケール伯爵側としては示談は願ってもいないものだろうし、示談にして許せば伯爵家はこの先、侯爵家にもう頭が上がらない。
ラルフ本人は退学し学園で会うこともないのだから、これ以上この件で揉めるほうが面倒だ。
「……して、成績のほうは相変わらずのようだな」
交流会の件は終わったとばかりに話題を変更された。
今回は少々違ったが、いつもであれば開口一番にルゼリアに聞いてくることは成績のことが多い。
「それについては申し訳ありません。……ですが必ずや、卒業試験では首席を取ります」
「そういってもう三年生ではないか。その間にお前は一度だって成績一位を取ったことがないだろう? 首席はもう絶望的ではないか?」
「……お父様、卒業で首席を取ることが約束です。最後に一位を取れば良い、そうでしょう?」
「ふん……まったく諦めの悪い娘だ」
親子の会話というより、軍務報告に近い雰囲気だ。
ルゼリアが学園へ入学してからというもの、父親との仲はかなり冷えたものだった。
「ところで……噂で聞いたのだが」
やはり来たかとルゼリアは身構える。
アイスブルーの瞳は冷たくルゼリアを見つめたまましばらく黙り、それから重い口を開けた。
「……お前はレイナールの息子と付き合っているのか?」
「付き合っていません!!」
絶対にマティウスのことについて何か言うだろうと思っていたが、まさか父の耳に届いていたのは、そっちの噂のほうだったとは。
(年頃の娘が宿敵の家の息子の下僕になった、だなんて聞くより、恋仲となったと聞いたほうが現実味もあるし、まだマシだと思うけど……! いや、どっちもダメだけど!!)
どちらにしても父の機嫌を損ねるのには変わらなかっただろう。
「ならば、いい。お前は卒業したら結婚するのだからな?」
「首席で卒業できなければ、です。それに……」
「それに?」
「――恋をしてはいけないと、言われていません」
……分かっていた。ずっと分かっていた。
もう見て見ぬ振りはできないほどに、この気持ちは大きくなってしまった。
「ルゼリア……」
「私はまだ学生で、子供です。これくらいのわがままは許してください」
ルゼリアはレジナルドに頭を下げた。
こうして頭を下げるのは入学を懇願した時以来。
自分はまだ学生で子供だ。
だから、最後に普通の学生生活を楽しんだっていいはず。
友人と遊んだり、学友とふざけたり、勉強を共にしたり……普通の少女らしく恋をしたって、いいはずだ。
――クロウリア家の令嬢でもなく、魔術師でもなく、ただの一人の少女として。
「……魔術師になりたいとわがままをいい、その上、恋をしたいと? それが叶わぬものでもか?」
「元より、そのつもりです」
「お前は本当に頑固で諦めが悪い」
「お互い様でしょう?」
「……後悔してもいいというなら、好きにしろ」
突き放すような言い方だった。
それはルゼリアが首席で卒業をするなど無理だと思っているからだろう。
「ええ。好きにさせていただきます」
ルゼリアはもう一度、父に向けて一礼をしてから部屋を退室した。
「よりにもよって……レイナールか」
ルゼリアが退室し、一人残されたレジナルドが呟く。
背後の窓の外は、雪が本格的に降り出していた。
深い冬の晩を越えて、新しき年が巡る。
冬の長期休みが過ぎれば、学園はまた学生たちで賑わっていた。
休みの間は実家に帰省していたルゼリアも制服に身を包み、久しぶりに登校しようとしていた。
「ルゼリア、久しぶり! 今年もよろしくお願いしますわ」
「メイリも久しぶり。ええ、今年もよろしくね」
雪の積もった女子寮の前で、メイリと新年の挨拶をお互いにかわし合う。
「――ルゼリア!」
そしてもう一人、自分の名を呼ぶ声に心が高鳴った。
たくさんの女子生徒たちの注目を浴びながらも、堂々とこちらに向けて歩いてくる男子生徒。
黒のローブに着崩された制服は、だらしないはずなのに、彼にはとっても似合っていて。
金の髪は朝焼けのように輝いて、燃えるような意志を持つ赤い瞳はルゼリアを映している。
「貴方も久しぶりね、マティウス」
「あぁ、久しぶり」
マティウスに向けて微笑めば、いつもの自信たっぷりな笑みで応えてくれた。
――卒業まであと少し。ルゼリアが首席で卒業できるかは、まだ誰にも分からない。




