第十六話「それでは共に参りましょうか、ルゼリア嬢」
「…………」
ルゼリアは憤怒していた。己の不甲斐なさに、己の無力さに。
慢心を抱いていたわけではない。
あのマティウスに勉強を教わったことで、己の能力も向上したのだから、今度こそはという気持ちがあった。
「なんでまた二位なのよ……!」
だがしかし、残念ながら前期の中間テストの総合成績の順位は二位であった。
「あはは! 残念だったな、ルゼリア」
このやり取りも、もう何度目だろうか。
そしてこの男、マティウスの勝ち誇った笑みを見るのも何度目だろう。
「どうしてよ……あんたに勉強を教わったからいけると思ったのに!」
「それはだな、お前に教えていたお陰で俺も良い復習になったりしていたからだよ」
なんてことだ。
あの勉強会はルゼリアだけでなく、マティウスにもメリットがあったようだ。
「ということは……私は下僕のままなのね……」
がっくりと落ち込む……のだが、なんだかホッとしてしまった自分がいる。
自分は下僕のままで、この関係がまだ続くのだと思うと良かったと。
(いやいや! 全然良くないから!)
自分に言い聞かせるようにして、ルゼリアは不敵に笑う男を睨みつける。
「今度こそ……今度こそ絶対に一位になってやるんだから! そしたらあの時教えてくれなかったことも聞くし、あんたを下僕にするからね!」
「おうおう、頑張れ、頑張れ」
お互いに相変わらずの態度で返すがこのやり取りも、もうすぐできなくなる。
――あと二回だ。後期の中間テストと卒業試験。
そう思うと少し寂しいと思ってしまうのだった。
***
前期テストを終えて数日後。今日は交流会の日だった。
学園の催事で、国王も参加するとあって朝から学園内は騒がしかった。
「結局イルメラは何もしてこなかったわね……」
自室で準備をしながらルゼリアは振り返る。あれからというもの、イルメラはルゼリアの前にも、マティウスの前にも現れていない。
しかし、油断をするわけにはいかないだろう。
そう思いながら、ルゼリアは若草色のドレスをクローゼットから取り出した。
交流会にはドレスコードがある。
また貴族の社交場でもあるため、服装一つとして気を抜けない場所だ。
「よっと……!」
杖を振れば、ドレスがひとりでにふわりと浮き上がる。
手の届かないコルセットの紐が綺麗に結ばれていき、巻毛の髪が緩やかに纏められていく。
本来なら従者に任せる仕事を、ルゼリアは魔法を使って一人で終わらせた。
「魔法は便利なもの……だからこの力で人の役に立つことをしたいのよ。お父様や、お兄様たちのように……」
手にした杖をぎゅっと握りしめてから、机の上に置いていく。
交流会では魔法の使用は禁止されている。故に杖の持ち込みはできないのだ。
着替えを済ませたルゼリアが寮の外へ出ると、同じようにドレスアップした女子生徒たちが会場に向けて歩いていた。
「まぁ、格好いい……」
「普段の制服姿も良いですが、礼服姿も良いですわね……」
そんな女子生徒たちの視線を奪う男が一人。
「ほぅ……これはまた、どこのご令嬢かと思ったぞ?」
「そういう貴方もね、マティウス。こういう時は本当、しっかりするんだから」
きちんと礼服に身を包んだマティウスがルゼリアを迎えに来ていた。
普段は制服を着崩しているが、シャツのボタンはきちんと首元まで留めており、ジャケットもクラバットも、シミやシワの一つもない。
元より整った顔を持つ男、服装を変えるだけでその魅力が桁違いに跳ね上がっていた。
「それでは共に参りましょうか、ルゼリア嬢」
「……ええ、そうね」
所作さえも完璧にされては文句のつけようがない。
この男の隣に立っていいのだろうか? と少し思いながらも、ルゼリアは差し出された腕に手を絡め、共に会場へ向かった。
交流会は学園内にある多目的ホールで行われる。
歴史ある校舎はその昔、アルティナ王国の王宮だったという。
国が大きくなっていくにつれて、今の王宮が作られそちらに王族は移り住んでいった。
大昔も、この多目的ホールで夜会が開かれていただろう。
ただ違うとすれば、頭上に輝くシャンデリアが今は魔導製に変わっているくらいか。
「ねぇ、見て! マティウス様とルゼリア様だわ!」
「あの宿敵同士の家の二人がパートナーだなんて……未だに信じられないわ!」
二人が会場へ入れば、やはりざわざわと騒ぎ立てられた。
クロウリア家とレイナール家、大貴族のツートップが並んで入ってくれば、誰だって気になるものだ。
「あの両家がまさか……これは派閥にも影響が出るな」
「おいおい、派閥争いは勘弁してほしいのだが……」
そしてここは貴族の社交場でもある。
外部からの者も多くいるため、ルゼリアとマティウスは二人の問題を超えて、両家の関係まで話題に及んだ。
「……やっぱり私達、パートナーにならないほうが良かったんじゃないの?」
「言いたいやつには言わせておけ。お前だってクロウリア家の令嬢だろ? これくらいで怖気づくのか?」
「そんなわけないでしょ。……でも貴方の両親は気にしないかしら、こういうこと」
「俺の両親は今更、こんなこと気にしないだろうなぁ……。散々親父の時代にレイナール家は終わっただの、死神一族だの言われていて、慣れているだろうし」
そういえばと、ルゼリアは思い出す。
マティウスの父、レイナール侯爵は実は魔術師ではない。
魔力を持っておらず、魔術師に成れなかったのだ。
そんな者が魔術の名門と言われるレイナール家を継いだのには訳がある。
――簡単な話だ。現レイナール侯爵以外の兄弟は全員、亡くなってしまったせいだ。
長男は戦死。次男は病死。三男は事故死。
そして四男で魔力を持っていなかったが、健康的に生き延びたのがマティウスの父親だった。
爵位を継いだ時は色々と世間から言われたようだ。
特に次男以降は爵位を得るために殺したのではないかと噂をされる始末だった。
噂の真相はどうあれ現当主が魔術師ではないため、ここ数十年のレイナール家というのは魔術師の名家とは名ばかりの、過去の栄誉でしかないものだと言われていた。
――マティウスが生まれてくるまでは。
マティウスはレイナール家の希望だった。
なかなか子供ができなかったレイナール侯爵夫婦の間に、才能を持って生まれ出た一人息子。
……それが、マティウス・フォン・レイナールという男だった。
それから国王夫妻の登場により、ルゼリアたちの話題も一旦は静まった。
「この国の未来ある魔術師たちよ。諸君らのこれからの活躍に期待している。若人たちに祝杯を!」
恒例の国王からの言葉を賜れば、夜会は本格的に始まっていった。
シャンデリアの光の下、飲み物や軽食を片手に生徒たちや参加者たちの交流が華やかに行われていく。
そうしていれば、会場の一角に集められた楽器が魔法によって自動で演奏し始めた。
テンポの良い淡々としたワルツの音色。
「音楽が流れ始めたし、一曲踊るか?」
差し出されたその手に、ルゼリアは手を重ねるのを躊躇した。
彼とダンスを踊ればまた注目を浴びてしまうだろう。
「そんなに俺と踊るのは嫌か?」
「嫌ではないけど。ただ……」
「お前の親父が気にするからか?」
「分かっていたなら、誘わないでよ」
きっとルゼリアの父親はマティウスとの間のことを気にするだろう。
レイナール家との古くから続く不和もあるだろうが、一番はルゼリアの結婚に悪影響を及ぼすかもしれないからという理由がある。
いくらクロウリア家の令嬢でも、婚姻前に傷物になっていれば結婚も難しい。
そもそも、普通は婚約者でもなんでもない男女が一緒にいるのがおかしいのだ。
「……もしこれで、お前が父親から罰せられるというなら、その時には知らせてくれ。俺がきちんとお前の親父に謝罪し、そして責任を取りに行く」
「なによ、それ。そこまでして、私と踊りたいの?」
「あぁ、もちろん」
いつまでも手を重ねないルゼリアの手を、マティウスは強引に掴んで取った。
「俺たちはまだ学生で、子供だ。……これは子供のわがままなんだよ。卒業前に一度くらいは踊りたいと思った女を、誘って踊るくらいは許して欲しいところだな」
そのままルゼリアを連れて、ホールの真ん中へ進み出た。
周囲からの視線が突き刺さるが、マティウスは気にもしない。
「だから、ルゼリア。今だけは家の問題を忘れて、お前も楽しめ。最後の学生生活だ。楽しい思い出にしておけよ」
マティウスはルゼリアの手を取り、腰を支えて、曲の流れに乗っていく。
「最後の学生生活……」
ルゼリアは入学してからというもの、ずっと首席を取ることだけを考えていた。
学園とは魔術師になるための勉強をするための場と考え、勉強に打ち込んでいた事が多い。
学園の行事だって、魔術師になるために必要だとして成績ばかりを優先し、楽しんではいなかったように思う。
むしろ他の生徒が遊び呆けているからこそ、自分がしっかりしないといけないと思っていたほどだ。
メイリとだって遊びに出かけたことも少ない。
誘われても自習をするからと言って断ったことが多かった。
一生に一度の青春時代……実は勿体ないことをしていたのではないだろうか?
「……ねぇマティウス。まだ遅くないかしら、学生を楽しむのって……」
「当たり前だろ、まだ卒業してないんだからな」
きらきらと、シャンデリアの光に照らされて。
ターンをするごとに金の髪が煌めいて流れていく。
ルゼリアがその手をしっかりと握り返せば、歯を見せて笑って答えてくれる。
自信たっぷりなその笑みが、堂々とした態度が、ルゼリアに安心感を与えてくれた。
周りの視線も気にならない、ステップを踏む足が軽い。
こんなにも楽しい気持ちでダンスを踊ったのは初めてだった。
「……あっ」
曲が終われば、楽しい時間も終わる。
互いに一礼して、手が離れた時は少し寂しさを覚えてしまった。
「物足りないようだな? そんなに俺と踊るのが楽しかったか?」
「…………ええ」
「ずいぶんと素直だな? 俺に惚れたか?」
「なわけないでしょ! 調子に乗らないで!」
「あははっ! そりゃ残念だ!」
いくら着飾っても、良いことを言っても、やはりマティウスはマティウスだ。
いつもと同じでルゼリアをからかって遊ぶ、そんな男だと。
……ルゼリアはそう、心に言い聞かせた。
「ねぇマティウス様! 次はわたくしと踊ってくださいませんか?」
「いいえ、ぜひわたくしと! マティウス様と踊る機会はこれで最後のチャンスですから……!」
ダンスホールから戻ると、マティウスはすぐに他の女性たちに囲まれた。
「いや、俺は……」
「踊ってあげなさいよ。今年で最後なんだから」
「あ、待て。ルゼリア!」
囲まれるマティウスを残して、ルゼリアはその場から離れた。
(私は……)
夢のような時間が終われば、現実に引き戻される。
マティウスはレイナール家の嫡男。
それもレイナール家にとって、長年待ち望まれていた魔術師の才能を持つ男。
その期待を背負ってなお、潰れることなく堂々と期待に答え続けている。
(私は……!)
自分はそんな相手を超えねばならない。
あの天才を。
魔術師として。
クロウリア家の令嬢として。
――それ以外に、何を思う必要がある。
音楽が再び流れ始め、中央を見ればマティウスが別の令嬢と踊っている姿が見えたが、すぐに目を逸らした。
さっきまで楽しかったはずだ。
……なのに。どうして今は、こんなにも苦しいのだろう。
溢れ出す想いを抑え込むように、ぎゅっとドレスを掴んで足早に歩いていく。
「まぁ、ルゼリア様じゃありませんか」
自分を呼び止める声が聞こえ、つい足を止めてしまった。
「……イルメラ、さん」
真っ赤な髪を揺らして、こちらに近づいてきたのはあのイルメラだった。




