第十二話「膝枕してくれないか?」
「どうした、機嫌悪そうだな?」
マティウスが机に肘をつきながら、ルゼリアを不思議そうに見ていた。
放課後の空き教室。いつもの勉強会なら楽しさを隠しきれずにウキウキとするルゼリアだが、今日のルゼリアにはそんな様子はなく、勉強にもあまり身が入っていない。
「そうね、貴方と一緒だといつもそうよ」
「あぁ、そうだな。俺に毎日会いに来るからいつも一緒。はぁ~俺もずいぶんと嫌われてしまったようだなぁ?」
「あのね……私は下僕だから仕方なく一緒にいるだけだから」
「ふぅん……」
何やら考え込み出したマティウス。
……こういう時のマティウスは面倒なのだと、ルゼリアは一緒に過ごした中で分かっていた。
「お前がそう考えるなら、少しはそれらしく振る舞ったらどうだ?」
「……そうね」
最近少々、下僕らしさが欠けているとルゼリアも思っていた。
令嬢が下僕らしさを求めるのはおかしな話だが、マティウスと約束した分、下僕は全うしなくてはいけない。
どこまでも真面目なルゼリアだった。
……真面目な方向がズレているような気もしないが。
「今日はやけに素直だな……機嫌悪いんじゃなかったのか?」
以前のルゼリアなら今の言葉に対して反抗していただろう。
マティウスもそう思っていた様子で、思わぬ反応に少し面食らっていた。
「別に素直でもないわよ。この前の事とか、勉強を見てもらっている事とか……とにかく貴方には色々と借りがあるだけだし」
「じゃあ、今なら俺のためになんでもやってくれるっていうのか?」
「……内容による」
「そこは『もちろんです、なんでもやります、ご主人様!』だろ?」
「誰がそんなこというものですか……!」
「ははは! ……まぁ、そうだよな。お前は口に出したら本当に守ってなんでもやりそうだもんなぁ」
例え口約束だったとしても下僕になるということを律儀に守るようなのが、ルゼリアだ。
マティウスの言う通り、なんでもやりますと言ったら守りそうだ。
「ま、からかうのはこのへんにしておいてやろう……ふぁ」
「……眠そうね、マティウス」
「あー……やっぱりいつもこの時間寝ていたせいか、眠気が重い」
マティウスは今まで夜中に自習をするため、放課後に昼寝をすることで睡眠時間を保っていた。
それはきっと入学当初から続けていた生活習慣だろう。
ルゼリアとの勉強に付き合うため、今は起きているが……急に習慣を変えることは難しいことだ。
この時間起きているのは辛いらしく、今までも何度もあくびをしているマティウスを見ていた。
「今日はもういいから、寝ていいわよ」
「いや、俺は――」
「人に無理をするなって言っておいて、自分は無理するつもりなのかしら?」
無理に起きていれば、今度はマティウスが寝不足になってしまうだろう。
もしも彼がミスをした場合……その被害はルゼリアの比ではないかもしれない。そうなったら困る。
「……分かったよ。じゃあ、寝かせてもらう」
そう言われてしまえば、マティウスでも反論はできないらしい。
大人しく席を立つといつものように寝ようとクッションを取り出した。
「あ、そうだ」
「なに? どうしたの?」
「なぁ、ルゼリア。膝枕してくれないか?」
***
「…………」
ルゼリアは実に後悔していた。先程の言葉は言わなければよかった。
空き教室の床の上にルゼリアは正座していた。
ブランケットとクッションを敷いているので、床に座ったこの状態でも痛くはない。
そして己の膝の上には、金の髪の束が乗っかっている。
……正確にはマティウスの頭だ。
「まさか、本当にやってくれるとはな?」
「下僕として仕方なくあんたの命令に従ってるだけよ……!」
「別に嫌ならやらなくても良かったんだぞ? それをわざわざやるとは……お前マゾなのか?」
「違うに決まってるでしょ……! ただ、できることだっただけで!」
自分の膝の上でにやにやと笑うこの顔をまた叩いてやりたい。今度はできれば拳で。
マティウスに借りを返すことをしたかったのもあり、膝枕ぐらいならいいだろうと思って「いいわよ、膝枕やってあげようじゃない」と返事をしてしまった。
だが実際にやってみると思った以上に距離が近いせいで、無駄に意識してしまう。
やると言ってしまったがゆえに、今更やめるとも言い出せない。
借りを返す方法について他にいい方法も思いつかない。
それに、最近ルゼリアの勉強を付き合っているせいで、眠そうだったマティウスがこれで少しは気持ちよく寝られるというのなら、やるべきだと思ってしまったのもある。
(とにかく無意識……無意識よ……。私は枕、ただの枕だから……!)
ルゼリアは心の中で暗示を唱えながら、うるさい心臓の音を収めようと必死だった。
ふと寝返りをマティウスがうつ。さらさらと膝の上で金の髪が流れた。
「……わぁ」
指通りが良さそうなその金糸の髪につい、手を差し入れた。
見た目の通り、細くて絡むこと無くさらさらとしており、髪の毛の一本一本が太陽の光のように透けてみえて輝いている。
「おいおい、自分は髪に触るなって言っておいてこれか?」
「ご、ごめんなさい……! 嫌だったかしら」
「別にいいよ。むしろそのまま撫でてくれよ。気持ちいいから」
言われた通りにすれば、マティウスは満足そうに微笑むと目を閉じていく。
「貴方の髪が羨ましいわ……私もこんなふうだったら良かったのに」
「それは俺の髪が好きだってことか?」
「…………まぁ、違いないわね」
「そりゃどうも。だけど、俺は前にも言った通り、ルゼリアの髪は好きだな」
……とても落ち着かない。お互いの髪を褒め合っているだけなのに。
しばらくして、マティウスが眠り始めた。
すぅすぅと気持ちよさそうな寝息を立てて、無防備に寝ている。
今まで寝ている姿を見たことはあるが、こんなに近くで寝顔を見たことはない。
「……なんか、かわいいかも」
いつもは意地悪で不遜な笑みを作る顔も、今は年相応で少年のようなあどけなさが見えていた。
本人より美化されて描かれる肖像画でも、この端正な容姿を再現して描くのは難しいだろう。
――マティウス・フォン・レイナール。
侯爵家の嫡子で、それもクロウリア家とは対立しているレイナール家の男。
今の所、婚約者がいるだとかの話は聞いたことがないが、いずれは家督を継げば結婚もするだろう。
その時にはきっとレイナール家に相応しい令嬢が選ばれるはずだ。
「……人のこと言えないわね」
人の寝顔をじろじろと見てはいけないと思い直して、ルゼリアは目を逸らした。




