第十話「お前が次のテストで一位を取ったら教えてやるよ」
「…………」
ルゼリアは電話を前に立ち尽くしていた。
あの日の後、倒れた後は言い付け通りしっかりと休み、休日も挟んだとあって体調は戻っていた。
「はぁ……」
ルゼリアは深呼吸をした後に、ゆっくりと受話器を手に取った。軽いもののはずなのに、今日はとても重い気がする。
番号を入れればベルのようなノイズ音が鳴り響く。
まるで今のルゼリアの心音と同期しているようで落ち着かない。
『……ルゼリアか?』
「――ひゃっ!」
だから、開口一番に名前を呼ばれて驚いた。
いつもは誰だとかなんだとか、寝起き特有の機嫌の悪さで出てくるというのに。
「ちょっと驚かさないでよ、マティウス」
『驚かすも何も電話に出ただけだろ。それなのに……くく!』
「なに笑ってるのよ……!」
『いや、さっきの声はずいぶんと可愛い声だったなぁって』
「私を馬鹿にしてるのかしら?」
『可愛いって言ってるだろ。それにしてもどんな表情していたか気になるな。電話は顔が見れないのが残念だ』
「あっそ。連絡するだけなんだから、顔なんて見れなくてもいいでしょ」
顔が見えなくてもルゼリアには分かる。
今のマティウスはきっと、いつもの意地の悪い笑みを浮かべていそうだ。
『まぁその様子なら体調は大丈夫そうだな?』
「……ええ、お陰様でね」
『じゃあ、いつものように出迎えに来いよ』
それで会話を終わらせて、ルゼリアは受話器を元の位置に戻した。
ふと、姿見の方を見ると顔を真っ赤にさせた自分の姿が映っていた。
「……電話は声だけでいいわね」
この顔を見られるのは恥ずかしい。
もしそんな機能が付いたとしても、もう少し先にして欲しいとルゼリアは思った。
***
「……えっ?」
ルゼリアは今しがた言われたことが信じられなくて、マティウスを見返した。
放課後、いつものように空き教室に向かうマティウスに付いていったのだが、彼は昼寝の準備をせずにルゼリアの対面の席に座ったのだ。
「だから、勉強見てやるって言ってんだよ。ついでに俺も一緒にするから」
極めつけはこれだった。マティウスが、ルゼリアの勉強を見てくれるという。
自分の勉強道具を広げている彼の姿がまだ信じられない。
「……なんで、そんなことするのよ」
「また倒れられたら面倒だからに決まってるだろ」
「もう無理はしないから。それに……貴方に何の得があるっていうの?」
マティウスはライバルだ。学年成績一位で、ルゼリアが超えなければならない相手。
マティウスだってルゼリアのことは驚異だと言っていた。そんな相手に勉強を教えてくれるとはどういうことか。敵に塩を送るようなものだ。
「あの授業の時だってそうよ。私を追い払いたいから下僕扱いしていたなら、私がしたことを隠す必要なんてなかったでしょ? 大きすぎるミスだったんだから……」
マティウスの行動が分からない。
ルゼリアに優しくする必要なんてないはずなのに。邪魔者ならなおさらだ。
「そうだなぁ……」
マティウスは顎に手を当てて考え始める。
その赤い目はルゼリアをまっすぐと見つめたままで。
ルゼリアは落ち着かなくて目を逸らそうとしたが、その前にマティウスに片手を手に取られた。
そのせいで赤い目から逃れられなかった。眼光の奥がどこか仄暗い。
「お前が次のテストで一位を取ったら教えてやるよ」
「……なっ!」
マティウスはそう言って、ルゼリアの手の甲にキスを落とした。
「な、何するのよ……」
「何って、騎士らしく約束の誓いをしただけだが? 俺も魔術騎士の端くれだからな」
「あんたが端くれだったら、それ以外は塵もいいところだわ……」
「はは、そうかもな。ま、いくら優秀でも騎士団に入らない限り、騎士は名乗れないところだが」
手を素早く引っ込めたルゼリアを見ながら、マティウスは楽しそうに笑う。
「まぁいいわ。そういうことなら一位を取ってみせるから」
「簡単に一位を渡す気はないからな。せいぜい頑張れ」
相変わらずのふてぶてしい態度で応じるマティウスから、勉強を教わることになった。
(…………それにしても)
さっきの自分はどんな表情をしていただろうか。今の自分は大丈夫だろうか。
手の甲にキスをされた瞬間、胸を打ち付けられたかのように動悸が激しくなってしまった。
(……慣れてるはずなのに)
手の甲のキスなんて挨拶としてありふれている。
今までだって男性に何度もされたことがある。
それなのに、どうしてこんなにも違う反応をしてしまうのか。
「どうした、ルゼリア?」
「な、なんでもない!」
考え事を振り切って、ルゼリアはなんとか勉強に集中するのだった。




