不惑の男はいまだに惑う4
適当な理由をつけて、町を出るなら俺と一緒に行ったほうがいいと言ってみれば、彼女は簡単に了承した。
俺が言えた義理じゃないが、もうちょっと人を疑うことを覚えたほうがいい。俺も彼女もこの時までお互いの名前も知らなかったのだから、そんな相手とよく一緒に行く気になるもんだ。
「これからよろしくなァ、ディアさん」
名前を呼んでみると、ディアさんはちょっと笑って、俺のことを『ジローさん』と呼んだ。
……親子にゃあ見えねえな、こりゃ。人買いに間違われて捕まりそうになったらさっさと逃げよう。
案の定、町を出てからディアさんを連れて物資調達のために大きめの町に入った時に、門番にめちゃくちゃ不審な目で見られた。だがディアさんが商家の身分札を持っていたおかげで変に疑われることはなかったので助かった。
……おうおう、見られてんなァ。
必要なものを買いに商店を回って歩いていると、ジロジロと不躾な視線がまとわりついてくる。
町を出たディアさんは何かが吹っ切れたようで、以前と違い表情が柔らかくなった。俺のつまらねえ冗談でも可笑しそうに笑うし、ニコニコしているディアさんは正直言って目立つのだ。
鼻の下のばして見ている奴らに見せつけるように、ディアさんの腰を抱いてみると、一様に犯罪者を見るように俺を睨むので面白かった。
そうやって遊んでいたら本当に自警団を呼ばれそうになったので慌ててその町を逃げ出すことになったが、久々にいい気分だった。
その時は、本当は町で宿に泊まる予定だったが、余計なことをしたせいで野宿する羽目になってしまった。ディアさんは野宿に関して特に文句を言うこともなく、火の番をする俺にお礼を言ったりしてくる。
イヤイヤ、毛布一枚で女の子を地べたに寝かそうとするとか、どうかしているって怒るとこだぞ?ホントこの子は……。
俺の横で、薄い毛布に包まってクウクウ寝ているディアさんの顔を見ていると、さすがに罪悪感が湧いてくる。
(可愛いなァ……)
こんな人相の悪いおっさんの横で無防備に寝てしまうなんて、警戒心がなさすぎる。
とはいえ、ここまで俺に警戒心を持たないのは、俺を信用しているとかではなく、俺が戦争で負傷したせいでもう『男じゃない』という話を誰かから聞いているから、身の危険はないと思い込んでいるせいもあるだろう。
その話を直接ディアさんにしたことはなかったが、使用人の、特に年配の女どもは面白がってしょっちゅうその事をネタにして俺をいじってきていたから、あの家で俺の事情を知らない奴はいなかった。家族より使用人と話すほうが多い彼女のことだから、間違いなく聞いているはずだ。
だから貞操の心配がないと思っているんだろうけど、でもそんなことで全面的に信用しちまうあたり、本当に箱入りで世間知らずなんだよな。
昔、貴族の家で警護の仕事をしたことがあったが、そこの貴族の爺は加虐趣味があって、娼婦を何人も責め殺していた。
何人目か分からないほど娼婦が姿を消して、ようやくその貴族の罪が暴かれて軍警察に逮捕されて、もちろんその家は取り潰しとなったので、俺は失業してからようやくその事実を知った。
爺は病気で女を抱けない体だったというのに、わざわざ娼婦を家に呼んで性的にいたぶっていたそうだ。以前は人格者で有名な男だったというのに、不能になってから異様に女に対して執着をみせ、言動がおかしくなっていったらしい。
だから、男として役に立たないからって安全じゃねえんだぞ、ディアさん。
むしろそういう奴ほど、男の自信を失った反動かなんか知らんが、性癖と人間性がぐちゃぐちゃに歪んだりするんだよ。
そんな世間知らずのままでいたら、あっという間に悪い奴らの食い物にされて、あとは転がり落ちるだけだ。
ディアさんはきっと、人生のどん底を経験したと思っているから、これ以上悪いことなど起こりようもないと考えているに違いない。
でもディアさんが底辺と思っている場所は、まだまだ綺麗な高みの部分だ。
一番下まで落ちたって思っても、さらに下があるってことをまだ若いあの子は知らない。
……地獄には底がないと言ったのは誰だったかな。
この歳になるまで色々経験して見聞きしてきたが、まさにその通りだなと俺は身をもって知っている。
ディアさんが今よりももっと汚い場所にまで落ちたら、それに気づくんだろうか。
取り返しのつかないことになる前に、少し世の中の汚さを教えてやったほうが親切か?
少なくとも、俺みたいなおっさんが下心なしでこんな若い娘に近づくわけがないと知ったほうがいい。
***
「ディアさんあのなー、部屋ひとつしか空いてないらしいから、今日は俺と一緒でもいいかァ?」
「そうなんですか。ベッドは二つあるんですよね?だったら私は構わないですよ」
いや、構えよ。
ディアさんがなんでも俺の言うことを素直に信じるので、どこまで信じるかなァと試したくなってろくでもない嘘をついてみたが、返ってきた答えがこれだ。
さすがに同じ部屋に泊まろうなんておっさんが言い出したら断るべきだと思うぞ。構わなくないぞ。なにすんなり了承してんだこの子は。
部屋空いてないとか嘘だし、本当に空いてないなら別の宿に行きゃあいいだけの話だろ。ちょっとは疑うってことを覚えたほうがいいぞ……。
なんのためらいもなく俺と同室の部屋に入っていくから、俺のほうが慌ててしまう。なんなんもう、この子なんでそんなに俺を信用しちゃうの。アホだろ。
俺の嘘なぞ気付きもせず、呑気に部屋で荷物の整理とかしているディアさんを、やけくそ気味に寝っ転がってぼんやりと眺める。
……この子、俺がどんな嘘ついても信じるんじゃねえか?
クソみたいなお願い事しても、それっぽい理由をつければなんでもやってくれそうだ。
ディアさんの唾液飲ませてとか俺が言ったらどんな顔すっかな?
さすがにそんなこと言われたら気持ち悪いとか言うだろうな。
汚物を見るような目をするディアさんを見てみたい気もする。
「……なァ、ディアさぁん。あのさあ」
「はい、なんですか?」
「…………」
「ん?なにかありましたか?」
「……やっぱなんでもないわー」
いや、無理だな。
曇りなき眼で見つめられて、俺はゲスい言葉を飲み込んだ。
今更、クズが良い人ぶるなよと自分でも思うが、こんなにも無条件に信頼されると、悲しませたくないとつい思ってしまう。
最低な言葉を投げつけて、俺がどれだけクズな人間かを知らしめたいと思う一方で、泣かせたくないという思いがクズの俺の口を噤ませた。




