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「どうかしましたか?」
日報を書いていた私の手が止まって、ぼんやり考えこんでしまっていたらしく、リンドウさんが声をかけてきた。
リンドウさんが当番に加わるようになってから、週に一回はこの子ども部屋で顔を合わせるようになっていた。
「あ、ちょっと気になることがあって……えっと、子どもたちの引き取り先って決まりそうなんでしょうか?」
「三兄弟の行き先は、故郷の町に戻ってからそこの町役場が決めると思います。双子は……養子として引き取りたいというところはありませんでした。口がきけないのでは働くことも難しいでしょうから、弟子として引き取る店もまずないでしょう。今は病気の孤児を引き受けてくれる慈善団体に問い合わせているところです。そこならまず衣食住は保証されますからね」
三兄弟のお迎えは故郷の町がすでに手配して、こちらに迎えが向かっている最中だ。もう彼らがこの町に残る可能性はないとのことだった。
「そうですか……じゃあ、もうすぐ三兄弟はここを出るんですね。いい庇護者に引き取られるといいんですが……」
リンドウさんは私の言葉を聞いて、少し何かを考えた後、『実は』と言って、小さな声で話し始めた。
「少し前にあいつら、この町に残れないかって俺たちに相談してきたんです。なんでもするから仕事をさせてほしいって必死に頼んでくるんですよ。でももう故郷から迎えが来るんだから無理だと言ったんですが……」
「故郷での行き先が不透明だから不安なんでしょうね。でも資料見ましたけど、大きな町で福祉も充実しているから、この町よりも良い環境なんじゃないでしょうか」
「いや、彼らは……あなたと離れるのが嫌なんですよ。何度もディアさんのことを訊いてきて、ここを出たらあなたはどこに行くのか、とかしつこかったんです。でも直接あなたには何も言ってこないでしょう?自分たちはあなたの負担にしかならないと分かっているから、仕事をしたいと言っているんでしょう」
「私とですか?でも……私はずっとここにいるわけじゃないですし、そんなに慕ってもらえるほどなにかをしたわけじゃないのに」
「分かってます。駄々をこねればディアさんに迷惑がかかるんだぞと言ったらアイツらも素直に諦めました。それでアイツらに、なんでディアさんにだけ懐くんだって聞いたんですよ。そしたら、『あの人だけが、俺らを必要としてくれた』って言ってたんですよ。なんの話だと思ったら、最初に手伝ってほしいとお願いされたことらしいです」
なんのことかと思ったら、最初に昼食を作った時に私が『お手伝いしてくれますか?』と声をかけて、準備を手伝ってもらった時の話らしい。
「そ、そんなことで?」
なにげなく訊ねてみただけのことで、なんの重みもない言葉だ。正直言ったことすらそれほど記憶に残っていなかった。戸惑う私にリンドウさんは少し悲しそうにして言った。
「あなたにとってはなにげない一言だったかもしれないですが、言ったほうはそんなつもりはなくても、受け取る側にとってはそれが救いになったり薫陶を受けたりするってこともあるでしょう?
親にも要らないと捨てられて絶望していたあの子たちにとっては、あなたから『ありがとう、助かりました』と言ってもらったことがとても心に響いたんじゃないですか?彼らにとってはとても大事な出来事だったんでしょうから、『そんなこと』なんて言わないであげてください」
「あ……ごめんなさい、軽率でした。そういう経験、私にもあったのに、酷い言い方をしてしまいました……」
「あ!いやいや、あなたを責めているわけじゃないんです。ただ、あなたは自分の価値を低く見積もっていると思うんで、実際はそうじゃないというのを分かってもらいたいんです。ディアさんの存在は、自分で思っているよりも影響力があるんですよ」
「価値……は分からないですけど、私、自分の言ったことが相手にどんな風に影響があるとかあまり考えていなかったかもしれません。きっと普通の人は、子どもの頃から親や友達とたくさん関わり合って、そういうのを学んでいくんでしょうね……。私、町に戻ってきてから、何度も過去を振り返って後悔している気がします」
「まいったな、どうしてそう後ろ向きな結論に至るんでしょうね。そんな難しい話じゃないんですよ。ディアさんは人に好かれるものをたくさん持っているってことですよ。子どもたちはあなたが好きだから、言われた言葉が大切に感じるんです。僕だって……」
リンドウさんがなにか言いかけている途中で、手習いの紙を持った子供たちが居間に駆け込んできた。
「おねえちゃん!俺!一番に書き終わった!」
「僕のが綺麗に書けた!」
「僕こんなにたくさん書いたよ!」
ダダダっと勢いよく走ってきた子どもたちは、リンドウさんに体当たりして、課題として出した字の手習いの紙を一斉に私に見せた。双子も後ろからぴょこぴょこと跳ねて書いた紙をみせている。
「わぁ、もう終わったんですか?みんな集中力がありますね。手習いも算術もどんどん覚えてしまうので、学校に行くようになったらきっと優秀者に選ばれますよ。あ、でもリンドウさんがみんなの下敷きになっているので、それはダメですよ。どいてあげてください」
「「「はぁーい」」」
体当たりされて上にのしかかられていたリンドウさんは、やれやれといった感じで起き上がって子どもたちを叱っていた。
以前は憲兵さんに近づくのも怖がっていたのに、ずいぶん馴染んだなあと思い微笑ましく見ていた。
ニコニコしながらみんなを眺めていたら、子どもたちがその視線に気づいて私を見た。
目が合った瞬間、みんながパアっと花が開くように笑顔になった。その顔が本当に嬉しそうで、リンドウさんが言った『子どもたちはあなたが好きだから……』という言葉が真実なのだと物語っているようだった。
過去に、家族からも婚約者からも、切り捨てられた私が、誰かに必要とされて好かれるなんて考えてもみなかった。
家族や、ラウやお義母さんに、必要とされたくて、好かれたくて、必死にいろんなことをしていたあの頃は、どんなことをしても結局誰にも必要とされなかったのに、当たり前のことしかしていない今のほうが好かれるなんて、不思議なものだ。
町に戻ってきて、本当に色々あったし、お義母さんやラウのことなど後悔が残る出来事もあるけれど、初めて知ることがたくさんあって、やっぱり戻ってきてよかったと心から思った。
***
お世話係の仕事は順調で、日々が穏やかに過ぎて行ったが、ついに三兄弟のお迎えが到着したと憲兵さんから伝えられた。
別れを惜しむ暇もなく、荷造りを済ますと三兄弟たちは、一旦役場へ行って色々手続きをするからと憲兵さんに言われ、私はそこまでついていくことはできないので、施設の入り口で馬車に乗り込む三人を見送ることしかできなかった。
子どもたちはごねることもなく、どこか達観したように落ち着いて準備をして馬車に乗り込んでいった。
別れに際して泣いたりしないので、さすが男の子だなと感心して、私も涙を我慢して彼らを見送っていると、最後に三兄弟が『大人になったら迎えに来るから!』と高らかに宣言して馬車が出発していった。
「迎えにってなんでしょうね」
「えーっと……また会いに来るって言いたかったんでしょう」
リンドウさんが困ったように答えてくれた。
(あの子たちはまた私に会いたいと思ってくれているんだな……)
その気持ちが純粋に嬉しかった。でも、きっと彼らはこれから新しい場所で新しい家族ができて友達もたくさんできるだろうから、すぐに私のことなど忘れてしまうだろう。
また会いたいと今思ってくれているだけで充分だ。ありがとうという気持ちを込めて、私は笑顔で手を振った。
これで大部屋にいる保護児は双子だけになってしまった。
その双子も、問い合わせていた慈善団体のひとつから、空きがあるので受け入れてもいいという返事がきたので、そちらとの交渉を進める予定になっている。双子がここを出る日も、そう遠くないかもしれない。
そうなると、この仕事も終わりが見えてきた。私もまた、今後のことを考えなくてはいけない。
施設の部屋は申請すれば次の年もまだ使えるのだが、クラトさんからの連絡もないし、ひょっとしたらもっと長期間戻らない可能性も考えて、今度こそちゃんと家を借りて定職を見つけようかと考えるようになっていた。




