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翌日、食料の買い出しに朝市へ行こうと考え、出かける準備をしていると、部屋をノックする音が聞こえた。
訪ねてくる人なんてリンドウさんくらいしかいないと思いすぐ扉を開けると、そこにはリンドウさんではなく昨日の憲兵さんが立っていた。
「朝っぱらからすみません……。ちょっとお話したいことがあるんで時間もらえないですか?昨日の件を上に報告したら、伍長があなたにお会いしたいって言うんで」
なにか昨日の件で怒られるのかと身構えたが、相談したいことがあるということなので、朝市はあきらめてそちらを優先することにした。
軍警察の建屋に案内されたが、いつも行く小会議室ではなく、部署長の部屋へ通された。そこには部署長と思われる少し年嵩の男性と、医師の服装をした総髪の男性が待っていた。
「ああ、呼び出してしまってすまないね。昨日のことを直接聞かせてもらいたくてね。まずはあの子たちのお世話をしてくれてありがとう。君が呼びかけたら素直に応じたようだが、なにかコツでもあるのかな?実は、医師の診察でも大暴れして、我々も非常に手を焼いていたんだよ」
と、部署長は横にいる医師に水を向けると、彼は腕をまくって、くっきりと浮かぶ歯形を見せてくれた。
「あの子たちは事故で父親を亡くして、家に取り残されているのを保護したんだが、口もきけない上に獣のように噛みつくので、言葉が理解できないのだと思っていたんだ。だから初対面の君が説得して風呂に入れたと聞いて驚いたよ。あの子たちは口がきけないだけで言葉は分かっているとしたら、何故ああも我々を拒絶したのかと思ってね、君の意見を聞かせてほしいんだ」
「私は何も……特別なことはしていません。あの子たちは私の言うことを正しく理解していました。皆さんを拒絶されたのは……推測ですが、男性が怖いのでは?でしたら女性が対応すれば怖がらずにお世話させてくれるのではないでしょうか」
「なるほどねえ。十歳と聞いていたのにあの体格で口もきけないから、障害のある子だと思っていたんだが、認識違いだったようだ。あの子たちの今後の対応も考え直さないといけないねえ」
部署長がそう言ってしばらく医師と二人で色々話し合っていた。
そのうち、子どもたちの個人的なことに話が及んできたので、無関係の私が聞いてしまっていいことではないと思い、話し込む二人に声をかけた。
「すみません、もう私は席を外したほうがいいと思いますので、失礼してもいいですか?」
「あ、いやいや。話はこれからなんだよ。君にお願いしたいことがあってね」
彼らはもう一度席に着くよう促すと、私のこれからにも関わる話を始めた。
***
「時間とらせてすんませんでした。あ、もう昼だし一緒に飯でもどうですか?」
部署長の部屋を出ると憲兵さんが私を食事に誘ってくれた。たしかにもうそんな時間だ。 朝早くから呼び出されたのに、終わった頃にはもう昼を回っていた。
そんな話をして廊下を歩いていた時、後ろから名前を呼ばれた。
「……ディアさん?!……なんでお前がディアさんと一緒にいるんだよ。勝手に彼女を連れ出すな!」
私を呼び止めたのはリンドウさんだった。怖い顔をして私の隣にいる憲兵さんにつかみかかる勢いで咎めている。
「伍長に彼女を呼んで来いって言われたんだよ。つかお前、事件を担当してただけで別に彼女の保護者でもなんでもないだろ。こっちの件はお前に関係ないんだから、口出してくんなよ」
「かっ……関係なくはない!施設入居の……保証人……だ」
「手続き上、保証人欄にお前の名前書いただけだろ。仕事でしたことを恩に着せるとか、男らしくねーぞー」
「なんだと?!」
なんか揉めてる……。昨日、リンドウさんが彼を殴っていたから、この二人は仲が悪いのかもしれない。
「あの……私ちょっと早く帰りたいので、ごめんなさい。失礼します。リンドウさん、また今度」
申し訳ないが大柄な男性二人が揉めているのが怖かったので、一人で帰りたかったのだが、そそくさと逃げ出そうとした私を二人が引き留めた。
「いや、僕が送りますんで!」
「お前仕事放り出すなよ。俺が送る」
「今は昼休みだ!」
結局、二人とも一緒に私を送ることになって、気まずい感じで施設までの道を歩いた。ここからすぐ近くだし、送ってもらう必要なんかないんだから一人で帰りたかった……。
「ディアさんを呼び出したのは、昨日の子どもたちの件か?」
「まあそうだけど。お前、ほかの事件抱えてるから世話の当番に入ってないし関係ないだろ。首突っ込んでくるなよ」
「ひとつ裁判が中止になったから手が空いたんだよ。次から僕も当番に入るから関係あるんだ」
二人がまた険悪な雰囲気になってきたので、とりなすように私から先ほどの話をリンドウさんに教えることにした。
「昨日のことで、子どもたちの世話係に女性を雇うことになったんです。それで……部署長さんが、私にその仕事を受けてくれないかって仰って……」
仕事と言っても、子どもたちの引き取り先が決まるまでの一時的なものだ。だが私は子育ての経験もないし荷が重いと一度は断ったが、他の子はもう大きいのでそれほど手がかからないし、憲兵さんもちゃんと当番で世話をしにくるので、その補佐でよいと言われた。
給金は随分な額を提示してくれたし、どうせ仕事を探さなくてはいけないと思っていたところなので、結局引き受けることにした。
と言った話をリンドウさんに聞かせると、彼は何とも言えない渋い顔をしていた。
「ディアさんが仕事を希望されていたのなら、僕が紹介できたのに……出遅れました……」
「え?いえ、仕事は紹介所で探すつもりでした。そんな、リンドウさんに何もかも頼るわけにいかないですから」
「だってさ。リンドウ振られたな」
「余計なこと言うなよ!」
本当にこの二人は仲が良いのか悪いのか、終始つっかかっている。文句を言い合う二人に挟まれて、施設までの道がやけに長く感じた。
施設に着いたところで、『じゃあ……』と部屋に帰ろうとしたが、憲兵さんに引き留められた。
明日、正式に契約書を交わして、世話を交代で担当している人たちに私を紹介してから仕事についてもらうという話だったが、今日はおおまかな仕事の流れだけ見てもらいたいというので、子どもたちへの紹介もかねて、お手伝いに行くことにした。なぜかリンドウさんもまだ時間があると言ってついてきた。
昨日二人をお風呂に入れるために部屋に入った時は、全体を見渡す余裕がなかったけれど、改めて今日様子を見てみると、大部屋はかなり散らかっていたし、床はほこりがたまってかなり汚れていた。
基本的に子どもたちは自分のことは自分でできる年齢なので、掃除も洗濯も本来は自分たちでやってもらうことになっている……と聞いたが、だがこれは……やってないのかできないのかわからないけれど、多分誰もなにもやっていないように見える。
憲兵さんが各部屋にいる子どもたちを呼んで、私を紹介した。
今ここにいる子どもたちは、昨日会った男女の双子と、十三歳、十二歳、十一歳の男の子三人兄弟の全部で五人だけだった。その三人兄弟はすでに引き取り先が決まっているらしく、別の町から迎えが来たら、ここを出るそうだ。
男の子三兄弟は一応小さい声で挨拶を返してくれたが、警戒しているのか、窺うように私を観察している。
昨日の双子は相変わらず何も喋らないが、いつの間にか近くに寄ってきてくれていた。
私がここの世話係としてくると聞いた瞬間から、目を輝かせて喜んでいるように見えたから、歓迎してくれているのかもしれない。そう思うとなんだか嬉しくなって、二人にほほ笑むと、彼らも嬉しそうにして私の手を握った。
どう反応したらいいのかと思いながら双子と手を握りあっていると、憲兵さんが私の肩を引いて、『挨拶も済んだし、俺たちは昼食を食べに行きましょう』と言ってやんわり双子と引き離した。私が困っていると思って気を利かせてくれたようだった。
子どもたちの食事は?と聞くと、いつも朝食を用意するついでに昼ごはんも一緒に置いていっているから、そちらは気にしなくていいと言う。
テーブルの上を見ると、確かに人数分パンが置いてある。どうやらそれが昼ごはんらしいが、みるかぎり誰も手を付けていない。日持ちのする堅いパンだったので、子どもには食べにくいから食欲がわかないのかもしれない。
「子どもたちもお昼まだみたいですし、ここで作ってみんなと一緒に食べるとかってできますか?見ると缶詰とか乾物とか、在庫品がたくさんあるので、簡単なものならすぐ作れますし」
「え?ディアさんが作ってくれるんですか?」
「はい。子どもたちやお二人が良ければ」
みんなの反応をうかがうように言うと、子どもたちも期待に満ちた目をしてものすごく頷いている。やっぱり堅パンの昼食は嫌だったらしい。
賛同が得られたところで、私は台所で在庫品を探りながら何を作るか考えた。
生鮮食品はないが、保存のきく根菜や缶詰などは結構な数置いてあるので、その中からいくつか選び出し、調理を始めた。
塩蔵肉と豆のトマト煮込みを火にかけながら、ジャガイモのガレットを次々焼いて皿に盛っていると、子どもたちが興味深々で台所の入り口に集まってこちらを見ていた。
「……よかったらお手伝いしてくれませんか?」
ちょうど人手が欲しかったので試しにそう問いかけてみると、皆嬉しそうに近づいてきたので、お皿を運んでもらったり、カトラリーを用意してもらった。
見ると、双子も台所にいたので、パンを持ってきてほしいというと急いでパンを取ってきてくれた。
「ありがとうございます、助かりました」
それぞれにお礼を言うと、子どもたちは頬を上気させて頷いていた。それならと、さらにお手伝いを頼むと、実に嬉しそうにするので、遠慮なく手伝ってもらうことにした。
パンはこのままでは食べにくいようなので、薄く切ってバターと砂糖を塗って軽く焼き、シナモンを振って甘いおやつにした。出来上がったものをお皿に乗せて、双子に運んでほしいとお願いすると、ものすごく誇らしげにおやつを運んで行ったのが可愛らしかった。
大きなテーブルに料理を取り分けたお皿を並べて、みんなで席についていただきましょうと声をかける前にもう子供たちはすごい勢いで食べ始めていた。
なんとなく流れで一緒に食べることになったリンドウさんと憲兵さんも子どもたちと一緒に食べているので、なんだか不思議な光景だなと思いながら私も自分用に取り分けた食事を口に運ぶ。
おやつのつもりで作ったシナモントーストは、子どもたちが奪い合って食べていたので大人の口に入ることは無かった。双子は異常なくらい痩せていたので摂食障害があるのかと思っていたが、量は少ないものの取り分けた分は全部平らげていたので、これまであまり食事を摂れない環境にいただけなのかもしれない。
あっという間に食べ終わったところで、私は子供たちに声をかけた。
「お片づけを手伝ってもらえると助かるんですが、誰か……」
と声をかけると、『やる!』と皆手をあげてくれた。
なぜかリンドウさんも手をあげていたが、『お前は昼休憩終わりだろ』と憲兵さんに突っ込まれて、しおしおと項垂れて帰っていった。
私がお皿を洗うと、布巾を持った子供たちが並んで濡れたお皿を受け取って拭いていく。一番背の高い三兄弟のお兄ちゃんが食器棚にしまうという流れ作業をしていたら、あっという間に片づけが終わった。
「手伝ってくれたから片づけがすぐ終わりましたね。みんなお手伝いありがとうございました」
片づけも終わったところで私は、じゃあ帰りますねと言ってこの部屋を出ようとしたら、三兄弟が揃って『えー!帰っちゃうの?!』と声をあげた。
全員に引き留められてしまい、どうしたものかと思っていると、憲兵さんが『時間があるならいてほしい。いるだけでいいから』と言われてしまった。
今日は出かけるつもりだったが、別に約束というわけではなかったので、結局私は了承した。だけどただいるだけというのも手持無沙汰なので、ひとまずこの荒れた部屋を掃除したいと提案した。




