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ジローさんのことを思い出して口数が少なくなった私を、リンドウさんは心配して早めに食事を切り上げて施設まで送ってくれた。
施設の共同玄関を開けて、リンドウさんに今日のお礼と別れの挨拶を交わしていたところに、突然大きな叫び声が聞こえてきたので、私は飛び上がって驚いた。
リンドウさんがすばやく私の前に立ち、『何事だ?!』と声をあげた。
すると廊下の奥から五、六歳くらいの男の子と女の子が走ってきて、その後ろからびしょ濡れになった憲兵さんが追いかけてきた。
「……なんでお前びしょびしょなんだ?この子らはどうしたんだ?保護児か?」
「そうだよ!俺が今日当番だから、この子たちの世話をしてやってたっつーのに、いきなりかみつかれて水をぶっかけられたんだ!俺だってわけがわからねえよ」
保護した子どもたちの世話は憲兵さんが交代で見ていると聞いていた。大部屋から共同廊下にまで出て逃げてきたこの二人を憲兵さんが追いかけていたところで私たちと遭遇したようだった。
憲兵さんは怒り心頭で、子どもたちをつかまえようとしていたが、二人は廊下の隅にぎゅっと身を縮めてしゃがんで、目に見えて怯えていた。
その両者のあいだにリンドウさんが割って入って、憲兵さんを止めた。
「待てって。まずは何があったか説明しろよ」
「何って……この子ら、全然風呂入っていないみたいで、見たら虱がわいてるんだよ。放っておいたら他の子にも移っちまうし、洗ってやろうとしたら、こっちの小さいほうがいきなり嚙みついてきてよ。そんでもう一人は桶の水を俺に頭からぶっかけて、二人で逃げたんだ」
「ああ……そういうことか……お前、記録読んでないのか?この子ら口がきけないんだよ。だからつい手が出ちゃったんだろ。そんなに怒るなよ」
「あ……そういやそうか。いや、でも俺は、この子らのために洗ってやろうとしたんだぜ?別に痛いことするわけでもないのに、こんなことしなくてもいいだろ。子どもだからって、やっていいことと悪いことがあるだろ」
二人のやり取りを隣で聞いていて、確かにこの子たちはさっきから一言も発していないと気付いた。
関係のない私が何か言うのは気が引けたが、憲兵さんの怒りが収まりそうになかったのでつい口をはさんでしまった。
「あの……差し出がましいようですが、こっちの子は女の子ですから、男性に服を脱がされるのは抵抗があったんじゃないでしょうか?小さな子どもですけど、お風呂に入れるなら女性のほうがいいかと……」
「へっ?あっ?この子、女の子?え……男の双子かと……って、あなたは……」
二人とも不自然に切られたざんばら髪だったので、この憲兵さんはどちらも男の子だと思っていたらしい。急に口を出してきた私に憲兵さんが戸惑っていたので、リンドウさんが『新しい入居者だ』と説明してくれた。
「女の子だったかぁ……でもなあこの子ら自分で風呂に入らないんだよなあ。女性の隊員なんていないしなあ。やっぱ臨時で女性雇えって上に言うか?」
赤子などが保護された時は、さすがに世話役を雇うらしいが、この年齢なら必要ないと判断されてしまい、引き取り先が決まるまで憲兵さんたちが交代で面倒をみると決まったらしい。
でもまだこの子たちは小さいのに……と私は思ったが、聞くとこの二人、五、六歳くらいに見えたが、なんと十歳だった。なるほど、女の子は男性に風呂に入れられるのは抵抗があるだろう。もう一人の子は、彼女を守ろうとしたのだ。
憲兵さんはもう俺の手には負えないとぼやいていた。
子どもたちはよく見ると顔も垢じみていて、何日もお風呂に入っていないのがうかがえる。虱がわいているのなら、相当かゆいに違いない。
「もし……よければ私が二人のお風呂を手伝いましょうか?この子たちがいいと言ってくれればですけど……」
リンドウさんたちは『えっ?!』と驚いていたが、すぐにダメとは言わなかったので、やらせていいのか迷っているようだった。
私は子どもたちの前にしゃがみ、直接聞いてみる。
「はじめまして。私は今日からこの施設に住まわせてもらうことになったディアと言います。虱はかゆみが強いので、二人ともつらいですよね?よく洗えば成虫はやっつけられるので、今日はかゆくなくなって夜よく眠れると思うんです。だからお風呂にはいりませんか?
されたくないことや嫌なことがあれば、身振り手振りで教えてください。その嫌なことは絶対にしないので、できる部分だけ私にお風呂の手伝いをさせてくれませんか?」
ダメ元で聞いてみたことだったが、意外にも二人はあっさりと頷いてくれた。
憲兵さんに対して水をぶっかけるほど嫌だったようだから、もうちょっと渋られるかと思っていたので、すぐに頷いてくれたので拍子抜けしてしまった。
でも二人がいいというのなら、気が変わらないうちに洗ってしまったほうがいい。ポカンとする憲兵さんを促して、子どもたちが住んでいる大部屋へ二人を連れて行った。リンドウさんはまだ事の流れについていけてないようで、慌てながら私たちの後を追ってくる。
部屋に入ると他の子どもが三人ほどいて、いきなり入ってきた私たちにビックリしていたが、そちらに説明するのは憲兵さんたちに任せることにして、そのまま浴室へ二人を連れて行った。
憲兵さんに子どもの着替えとタオルの場所を教えてもらって、彼らには私が声をかけるまで浴室の扉を開けないでとお願いする。
浴槽に湯をためつつ二人の服を脱ぐように言ってみると、ゆっくりだがちゃんと服を脱ぎ始めた。
二人ともなにかためらいがあるのか、なかなか全部を脱ぐことはできずにいたが、急がせることは言わず石鹸や着替えの準備をして待っていたら、最終的にちゃんと脱いで私の手を引いて合図してくれた。
裸になって分かったが、二人の体は傷だらけだった。
新しい傷と古い痕が混在していて、決して事故などで負ったものではなかった。長期間、誰かによって加え続けられた暴力の結果に見える。
「お湯が傷に染みると思いますが、綺麗にしないと化膿してしまうので、つらいでしょうけど少し我慢してくださいね」
二人を浴槽に入れると、身を固くしていたけれど素直に洗わせてくれた。
もう何日も洗っていなかったようで、なかなか汚れが落ちない。一度湯を換えて洗い直すと、ようやくこびりついた垢が落ちて綺麗になった。
洗面台を探ると軟膏とガーゼがあったので拝借して、まだ傷がふさがっていないところだけ手当てをして服を着せると、二人は見違えるように綺麗になった。
とはいえ、二人ともがりがりに痩せていて、お風呂の後だというのに顔色があまりよくない。
浴室の戸を開けると、ずっとそこに立っていたのかリンドウさんたちが待っていた。
「か、噛まれなかったですか?すげえ、ちゃんと綺麗になってる……」
「一応よく洗いましたけど、虱はすぐには駆除できないので、一時しのぎですね。ひとまず、二人の瞼が重くなってきたようなのでもう寝かしたほうがいいかもしれません」
温まったせいか、うとうとしだした二人を部屋へ送っていく。
扉のところでぎゅっと手を握られたが、憲兵さんが『はい、もう寝ろ』と言うと素直にベッドへ入って行った。あの寝具も多分消毒が必要だろうなと思ったが、ただ成り行きでここにいるだけの私が言うのは差し出がましいかと思い黙っていた。
「すみません、助かりました。あの子ら最近保護したばっかなんですが、記録みると風呂どころか、暴れるんで診察もまだちゃんと受けていなかったみたいですね。あの子ら女の人なら暴れないのか。あなたがちょうど来てくれてよかったです。いやーそれにしても……あっ……」
そこで憲兵さんの言葉が途切れたので、不思議に思っていると、私の胸元を注視していたので目線を下げたら、私の服もびしょびしょに濡れていて、下着が透けていることに気が付いた。
二人を湯から抱き上げたりもしたので、私もかなりびしょ濡れになっていたからだ。うっかりしていた。
「見るな!」
同じく私の状態に気付いたリンドウさんが、間髪入れずに憲兵さんを殴り飛ばして、近くにあったタオルで私を包んだ。
「早く着替えないと風邪をひいてしまいます。すぐ帰りましょう!おい、風呂の後片付けとかはお前の仕事だからな。日報もちゃんと書いとけよ」
「ちょ、殴るかフツー?!お前おぼえとけよ!」
殴られた憲兵さんは当然怒っていたけれど、リンドウさんは無視して、私を抱える勢いで部屋へ向かうと、扉の前で何度も頭を下げた。
「こちらの仕事に巻き込んでしまって本当にすみませんでした。あの、早く着替えてください。すみませんおやすみなさい、失礼します!」
バタン!と勢いよく扉を閉めてリンドウさんは帰って行った。
様子がおかしかったので、どうしたのかと考えたが、状況から、私の服が透けていたことが問題だったのかもしれない。
そういえば以前、ジローさんが『男はみんなおっぱいが好きなんだよォ~』としょっちゅう胸のことについて言っていたなあと思い出す。
好きかどうかはともかく、男性にはないものだし、それが透けて見えているという状態は憲兵さんであってもあんなに慌てることなんだなあと変に感心してしまった。
とはいえ、ジローさんだったらきっと揶揄うだけで慌てたりしないだろうから、一般的な反応がどっちなのかは分からなかった。誰かに訊いてみたい気がしたが、訊ける相手が思いつかない。
軽く身を清めてから、寝間着に着替え一息つくと、どっと疲れを感じたのでベッドに腰かけた。
改めて部屋を見渡すと、やっぱり軍の所有施設だけあって設備が立派だ。
正直分不相応な部屋だと思う。家具も作り付けで備わっているし、部屋に小さいけれどちゃんと水回りがそろっている。こんなところを家賃ナシで住むなんて罰が当たりそうだ。
あくまでも身を寄せるところがない人が一時的に利用できるところなのだから、いくらリンドウさんがいいと言っても、期限いっぱいまで居付くのはよくないかもしれない。
裁判が無くなってしまったから、時間が余ってしまったしクラトさんが帰ってくるまで、仕事を始めてもいいかもしれない。村へ帰る時のために路銀を貯めておきたいし……職業紹介所に行ってみよう……。
ぼんやりと色々なことを考えているうちに眠気が襲ってきて、私はいつの間にか寝てしまった。




