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翌日、軍警察へとクラトさんと二人で赴いた。
被告人であるお義母さんが亡くなったのだから、私は今後のことを話す必要がある。クラトさんは店の後処理について今後どうなるのか聞きたいと言っていた。
軍警察の受付に行くと、担当の憲兵さんが出てきてくれた。
今日はクラトさんも憲兵さんに話があると言うと、一緒に部屋へ通してもらえた。
気が急いて、とにかくラウのことを伝えたいと思い私は口を開きかけたが、どうやらラウのことはすでに把握しているようで、憲兵さんは『まずは裁判の話からしていきましょう』と言って、最初に私が関係している両親の話を始めた。
両親の裁判は、すでに仕事仲間から訴えられていて、私が帰郷する前からすでに裁判が始まっていた。そしてこれらが近々結審すると予定だと教えてくれた。
両親が置かれている状況としては、複数人から訴えられていることと、仕事資金として預かったのに実は仕事そのものが嘘で、実際は負債の穴埋めに使ってしまっていたこと、そして計画的とも思える形で町から逃げ出している事実を踏まえて、極めて悪質な詐欺行為とみなされ、おそらく実刑は免れない。
「ですから、ディアさんが過去のことで訴えを起こさなくともすでに他の件でかなり重い罪になるでしょう。裁判はお金も時間もかかることですから、よく検討なさってください」
裁判を起こすかどうか、まずはその確認をしたいと憲兵さんは言った。
「そうですね……自分でも調べてみたんですけど、過去のことを証明して有罪にするのは難しいようだと思ったので、詐欺で有罪が確定するなら私は告訴しないつもりです」
刑期がどれくらいになるかまだ分からないが、かなり重い罪になるだろうから、数年は牢から出られないだろう。それに、町の条例により有罪となった者は刑期を終えたあとももう二度とこの町には住めないと決まっている。
詐欺行為を働いて有罪になったという情報は各商工会に共有されるので、おそらくどの町に行っても商売をすることは叶わないだろう。流れ者になるか、身分札を必要としない村や集落で暮らすしか、彼らに選択肢はない。
少なくとも向こう何年かは塀の向こうにいることになるのなら、もうそれでいいかと私は思った。
正直、お義母さんの件で私は疲れてしまった。
裁判を起こせば、もう一度あの両親の罵倒を聞くことになる。また誰かから『お前のせいだ』と言われて責められた時、耐えられる自信が今の私にはない。
だから、有罪が確定するなら告訴しないと憲兵さんに告げた。
「それなら……もうこちらへ来て頂く必要はなくなりますね。脱税の裁判は、被告人が死亡したので中止になりますから……」
お義母さんの話になった時、クラトさんが口を開いた。
「店はどうなりますか?破産申請もせず、未納分の税金も納めていないうちにラウは行方をくらましてしまいましたが、アイツはなにか罪に問われるでしょうか」
「彼は脱税には関与していないので、出奔しても軍警察が動くことは今のところありません。店は現物納扱いにして役場で処理するでしょう。そうなると取引先への未払い分は踏み倒すことになりますね。取引先が彼を訴える可能性はありますが、詐欺行為を働いたわけでもないし、本人が逃げてしまった以上、泣き寝入りするしかないですね」
クラトさんはぐっと何かをこらえるように顔を顰めた。
関わった者としてこんな終わり方は本当に不本意だろうが、他人であるクラトさんにはもうどうにもできない。それが分かっているからこそ、余計に悔しいのだろう。
家を借りたのも、まだ町でやらなければいけないことがたくさんあると思っていたからなのに、こんなことになってしまって町に居る理由が無くなってしまった。クラトさんも、ラウのことが無くなればここにいる意味がない。
「私、裁判がまだ長くかかると思っていたから……家も借りてしまったのに、無駄になってしまいました。もう、ここにいる意味もないんですよね……クラトさんはどうしますか?」
クラトさんはひょっとしてすぐに村に帰ると言い出すかもしれないと思い私は不安になった。一人で村まで帰るのは困難だから、クラトさんが帰るなら一緒に帰るのが最善なのだが、私はこんな気持ちのままでは帰れないと感じていた。
「そのことなんだが……ディアさんには申し訳ないんだが、俺はラウを探しにいきたいと思っているんだ。なにもかも投げ出して逃げたアイツを俺は許すつもりはない。引きずってでも連れ帰って、後始末をつけさせてやる」
おそらくラウは父親のところに行ったのではないかとクラトさんは言った。父親の船がある港町は分かっているから、そこへクラトさんも向かうつもりらしい。
父親のところ、と聞いて、クラトさんの真意がわかった気がした。
お義母さんが亡くなった後のラウの様子を思い返せば、父親を頼ってそちらに向かったとは考えにくい。それよりも、無情なまでにあっさりと妻を切り捨てた父親に復讐しようとしているのではないだろうか。
店の後処理ももう少しというところだったというのに、恩人のクラトさんにも何も告げずにラウが居なくなったのがどうにも不自然に感じていたが、人生を投げ捨てる覚悟で父親の元に向かったのだとしたらラウの行動に納得がいく。そして最悪の事態が容易に想像できる。
クラトさんもそう思ったからこそ、ラウを探しに行くと言い出したのだ。許すつもりはないなんて言っているけれど、本心はラウを心配して、取り返しのつかないことをする前に止めるために行くのだろう。
「家のこともあるのに勝手を言って本当にすまない。あの家に女性一人では不安だろうから、会長に相談して別のところに移り住んだほうがいいかもしれないな。ディアさんは村にすぐ帰りたいかもしれないが、俺が町に戻るまで待っていてくれないか?間違っても一人で町を出ようとしないでほしい」
「家のことは気にしないでください。もともと私が無理を言ったんですし。そんなに心配なさらなくても、乗合馬車に飛び乗ったりしませんから大丈夫ですよ。それくらいさすがにわきまえています」
町に戻ると決めた時、乗合馬車を乗り継いで帰る気でいた私の無謀さを何度も何度も説教してきたクラトさんは、私が大丈夫だと言っているのに全然信用していないらしく、憲兵さんにまでも私のことを頼んでいた。
ともかく、ラウを追いかけるのなら少しでも早いほうがいい。家のことは自分で何とかできるから、すぐに出発してくださいとクラトさんに言ったが、会長に私を託すまでは……と渋って譲らない。ともかく一緒に会長のところへ行こうと話していると、憲兵さんが口を開いた。
「以前、ディアさんに提案したことがあるんですが、軍警察の施設に一時的に入居されてはどうですか?事件や事故で行き場のない女性や子どもの保護を目的とした場所ですが、ディアさんの現状であれば利用が可能です。
憲兵の官舎と同じ敷地内にありますし、その建屋に住めるのは女性と子どもだけですから安全面は保証できます。彼が戻るまでそちらで生活してはどうでしょう?」
そういえば以前憲兵さんからそんな話をされたことを思い出した。その時はクラトさんが一緒だったので、断った記憶がある。
改めて聞くと、利用期限はあるが家賃はかからないという非常に有難い話だった。私が返答する前にクラトさんが『有難く受けるべきだ』と言ってきたので、ともかく一度見学に行かせてもらうことになった。
ラウは乗合馬車に乗って行ったと仮定して、自分の荷馬車で追いかければ、途中の中継地で捕まえられるのではないかと憲兵さんに助言されたので、クラトさんはすぐに出発準備にかかることにした。
クラトさんは私のことを憲兵さんに頼むと、慌ただしくこの場から出て行った。相当余裕のない様子だったなと思い、やはり自分がラウを追い詰めたと責任を感じているのが見て取れた。
「ディアさん、よければこの後居住施設を見に行かれますか?」
「あ……もし憲兵さんのお時間が大丈夫でしたら」
なんだか色々なことが起こって、お義母さんの死からずっと悪い夢の中にいるようで、憲兵さんの言葉に返事を返しながらも、私はどこか上の空だった。
憲兵さんが案内してくれた施設は、軍警察署からほど近い場所にあった。このあたり一帯は官舎だけが立ち並んでいて、個人の家は一軒もなかった。そういう規定があるのだろうかとぼんやり思いながら歩いていると、立派な造りの建屋に着いた。
「現在、数名の女性がこの施設を利用しています。まあ、部屋は独立しているので関わることは無いと思いますが、身寄りのない子どもを預かっている大部屋が少し騒がしいかもしれませんね」
この町に孤児院はなく、保護者を失って他に行き場のない子どもはこういった施設で一時的に預かって、いずれは養子か職人の店に弟子として引き取られていくのだという。
抗争や飢饉とは縁のなかった平和な町なので、孤児がでることがそもそも少ないので、だいたいすぐ引き取り手は見つかるのだが、少し問題を抱えた子などはなかなかいく先が決まらず、今ここにいるのはそういう事情を抱えた子なのだという。
「空いている部屋が結構あるので、大部屋から離れたところにすればさほどうるさくないと思いますし、いつでも引っ越してこられますよ。僕が住んでいる官舎もすぐ隣の建物なので、引っ越し荷物を運ぶのとかよければお手伝いしますよ。彼にあなたのことを頼まれましたからね」
部屋は作り付けの家具がそろっていて、上下水も部屋ごとに通っている。軍所有の施設とあって造りがしっかりしていて、正直下手な宿などよりもよっぽど高級な住まいだ。正直好条件すぎるのではないかと恐縮してしまう。
「僕としては、あなたがここに入居してくれれば安心なんですけどね。今ディアさんが住んでいるところは商業地区が近いですから、行き帰りで僕が付き添えない時になにかあると困るので……」
そこまでしてもらうつもりはないと言いかけたが、憲兵さんはクラトさんに私のことを頼まれていたから、もし私になにかあれば憲兵さんが責任を感じることなる。そう気付いて、ここでまた変な遠慮をして余計な面倒をかける羽目になるよりは、有難く入居させてもらったほうがいいかもしれないと思った。
「ありがとうございます。こちらに私が入居できるのでしたら利用させていただきたいです。まずは会長に家のことを話しにいかないといけないですけど、近いうちにこちらに……」
「本当ですか?それはよかった。あっ、あの僕明日非番なんで、商工会長のところへ伺うのも付き添いますよ。荷物の搬出も任せてもらって大丈夫なんで……って、あの、ディアさんが嫌でなければってことで……」
「嫌だなんて。有難いですけど、お休みの日にまで私に付き合わせるのは申し訳ないんで」
「あ、えっと……あなたが一人の時に、また変な輩に絡まれているかもしれないと思うと心配で休むどころじゃないので……付き合わせてください」
憲兵という職業柄か、本当に責任感の強い人だ。そこまで言われて私は恐縮しながらもお願いすることにした。
でも、ただひとつお願いがありまして、と憲兵さんが遠慮がちに言うのでなにかと思ったら、
「僕を憲兵さんと呼ぶんではなく……名前で呼んでいただけると……」
と、頼んできた。歯切れ悪い物言いで不思議に思ったが、きっと非番の時に職業名で呼ばれると問題があるのだろうと理解して、記憶にある憲兵さんの名前を引っ張り出しながら私は答えた。
「あっ、そうですね。出先であなたの身分がばれてしまうとまずいですよね、すみません。えっと……リンドウさん?とお呼びしていいですか?」
「っはい!家名は使っていないので、な、名前でお願いします」
リンドウさんは顔を赤くして言った。普段家の名を持つような高い身分の人なんて身近にいなかったから、名前で呼んでしまったが、馴れ馴れしかったのだろうか。
ひとまず、今日は片づけもしないといけないので家に帰ると言うと、リンドウさんは玄関先まで送ってくれた。
食堂として使っていた部屋に入ると、一枚の手紙がおいてあり、クラトさんが所持していたこの家の鍵は出発前に会長のところへ返しに行くと書いてあった。
クラトさんが使っていた部屋をのぞいてみると、すっきりと片付いていた。
もともと荷物も少なかったが、何も残らない部屋を見て、何とも言えない寂寥感に襲われた。




