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「クラトさん、何か食べませんか?」
声をかけてみたが、返事は芳しくない。考え込んでいるようだったので、私も部屋に引っ込んだほうがいいかと思い食堂の席を立ったところで、クラトさんに引き留められた。
「ラウのこと、ディアさんは怒っていないのか?あんな暴言を吐かれたのに……」
「お前のせいだと責められたことですか?ええ……まあ酷い言葉でしたけど、ラウの状況じゃ仕方がないかなと思いますから、気にしていないです」
「俺は……己の境遇を言い訳にして、人を貶めるのは卑怯だと思っている。あれを許してしまうなら、不幸な奴は何を言っても誰を傷つけてもいいということになってしまうだろ。ディアさんは簡単に許していたけれど、それはアイツのためにならないと俺は思うんだ。言ってしまった一言で、取り返しがつかなくなることもある。あの時はどうかしていたと謝罪したって、言ってしまった言葉は消えないだろ?そういうのを分かってもらいたいんだ」
クラトさんらしい、厳しくも優しい意見だった。年長者として、ラウの間違いを正してやりたいという親心のような思いなのだろう。でも、私にこんな話を振ってくるということは、さきほどのことを気にして後悔しているのかもしれない。
「クラトさんのいうことは正しいと思いますけど……私は正直、ラウの気持ちもわかるんです。クラトさんはきっとこれまで、一度も自分を恥じるような行いをしたことがないんじゃないですか?だから理解し難いかもしれないですけど、道を踏み外した人間からすると、クラトさんのような正しさが眩しくて……そういう人から正論を言われると、逆に追い詰められちゃうこともあるんですよ」
「どういう意味だ?」
「私、以前自棄になって家に火をつけようとしたって話をしたの、覚えていますか?あの時、偶然かち合ったジローさんは、話してみると本当にいい加減な人だったんです。人のことブスブス言うし、私の打ち明け話を笑い飛ばすし、ていうかそもそもちゃんと聞いてくれていなかったですし、ダメな大人の見本みたいな人でした。
でも私は、ジローさんのそのいい加減さに救われたんです。家族を焼き殺そうとした私のことを、ジローさんは責めるでもなく慰めるでもなく、ただ受け流してくれた。だからそれまで言えなかった自分の汚い気持ちも愚痴も全部ぶちまけることができて、結果私は立ち直ることができた」
あの時、もしクラトさんのような正しく生きてきた人に出会っていたら、私は自分の醜い感情を恥じて、心の内をさらけ出すなんてできなかったと思う。正論で諭され、自分がしようとしていた罪を言葉にして並べられたら、立ち直るどころか人生を終わりにしていただろう。
クラトさんの言うことは正しい。だけど皆がクラトさんのようになれない。私もそうだが、嫉妬や恨み、その他の悪感情に打ち勝てる人ばかりではない。
正しさは時に人を追い詰めることがあるのかもしれない。あの時のラウは、まさにそういう状態だった。
「……じゃあ、ディアさんは、俺が間違っていたと言うのか」
「間違っていませんよ。ラウはこれまでクラトさんの真っ直ぐな生き方に憧れて、クラトさんを目標にすることで頑張ってきたんだと思います。でも今は、お義母さんがあんな形で亡くなって、頑張ってきたことが全部無駄だったって思って気持ちが折れちゃったんじゃないですか?今はどんな言葉をかけられても、聞ける精神状態じゃないんだと思います」
私がそう言うと、クラトさんは難しい顔をしてそれ以上何も言わなかった。
クラトさんは私のために怒ってくれたわけだし、こんな風に背中から撃つみたいなことを言うのは気が引けたが、今のラウはきっとクラトさんから突き放されたらもう立ち直れない。できればクラトさんから歩み寄ってくれたら……と期待を込めて、私の考えをぶつけてみた。
「今はなにも言わないで、ただ近くでラウの話を聞いてあげるのではダメですか?クラトさんがそばにいてくれたら、気持ちも落ち着くと思うんです」
「……そうか」
そう言ったきりクラトさんはまた考え込んでしまったので、私はそっと食堂を出た。
クラトさんはラウのダメなところも含めて面倒見る気でいたから、きっと歩み寄ってくれるだろうと思っていた。
***
それからクラトさんはまだ悩んでいるようだったが、私には何も言ってこないし、クラトさんの考えを邪魔しないよう、それからしばらくラウのことを話題に出さずにいた。
数日後、『ラウのところに行ってくる』とクラトさんは言った。
「色々考えたんだが……後処理を手伝うと申し出たのは俺自身だし、色々な手続きも関わった以上中途半端に投げ出したくない。俺も家族を亡くしたばかりの者に対する配慮が足りなかったと思うし、言い過ぎたことをラウに謝ってくるよ」
クラトさんらしい真面目な優しさだなと思いながら、いってらっしゃいと送り出した。
ラウは、お義母さんが自分に何も告げず自死したという事実は、今後ずっとラウを苦しめ続けるだろうけど、クラトさんが居てくれればきっともう一度立ち直れると思う。
ラウとは本当に色々あって、これ以上ないくらい傷つけられて憎んだ時期もあったけど、お義母さんに逆らって私を助けてくれた時のことは感謝している。
だからラウには、人生を投げ出さずまっとうに生きてほしいと思っていた。
出かけて行ったクラトさんは、夜が更けてもなかなか帰ってこなかった。
ラウと色々話しているのかなと思い、特に心配してなかったのだが、深夜遅くになって帰ってきた音が聞こえたので出迎えてみると、ただ事でない様子だったので、なにか問題が起きたのは一目瞭然だった。
何かあったんですかと問うと、クラトさんはぎゅっと眉をひそめて、苦し気な声で言った。
「ラウの奴、行方をくらましやがった。あちこち聞いて回ったんだが……どうやら町を出てしまったようだ。あのバカ、店の後処理もまだ途中だっていうのに、全部投げ出していったんだ」
まさかの事態に私は何も言えずに、拳を握りしめるクラトさんを茫然と見ていた。
今日朝早くにラウの店を訪ねたクラトさんだったが、ラウは不在で店の扉の鍵は開いたままだったので不審に思い、家の中を探して回った。空きっぱなしだった金庫の中身が空になっていた。一瞬強盗でも入ったのかと思ったが、部屋は散らかっておらずラウの荷物もなくなっていたので、ラウが金と荷物を持ってここを出て行ったのだと気付いた。
ラウには頼れる友人など町にはいないと思ったが、クラトさんは取引で付き合いのあった店や商工会長のところに来てはいないかと聞いて回った。
だがどこにもラウは来ておらず、馬車の発着所で聞いたところ、少し前にこのあたりでラウとおぼしき男を見かけたという人がいたので、ラウは町を出たと考えて間違いない、クラトさんは言った。
ラウが町を出たと分かったクラトさんは、店に戻り再び家探しをしたところ、一緒に手伝って進めていた廃業の手続きなどの書類がそのままになっているのを発見した。
納める予定のお金も全て金庫から消えていた。
本当にラウは全てを投げ出して町を出て行ってしまったのだ。
「自分で後処理をすると父親に啖呵を切って始めたことなのに、あの馬鹿は全部無駄にしやがった。本当にアイツは馬鹿だ」
後処理だって、取引先に迷惑をかけるわけにいかないとラウが言うから、クラトさんも手伝いを申し出たというのに、目途がついてきた今になって全て投げ出してしまった。クラトさんが憤るのも当然だ。
「……今後、店はどうなるんでしょう」
「店の権利を持つ本人がいなくなってしまったんだから、後処理はもうできないな。現物納として店の土地建物全部没収で終わりだよ。そうなると、取引先へは未納分の支払いがされない。それを避けるため、自分で後処理をすると決めたはずなのに……本当に、あの馬鹿……」
知り合いとなった軍警察の人にラウのことは伝えてきたから、あとは軍警察と役場の範疇になる。家族でも従業員でもないクラトさんは、後処理を引き継ぐこともできず、関わることもできない。
クラトさんはラウの無責任さに心底怒っていたが、それと同じくらい後悔をしているようだった。
あの時、ラウに怒らず話を聞いていれば。あの時すぐにラウの元へ行っていれば。そう思うと後悔してもしきれないのだろう。
お義母さんが亡くなって自暴自棄になってしまったのだとしても、これまで努力して積み上げてきた生活と信頼を投げ捨ててしまうなんて、この先絶対に後悔するに違いない。
こんなことになって私も後悔ばかりが押し寄せてくるが、行方もわからないラウのことをもうどうにもしてやれない。
ラウが私に言った、『お前のせいだ』という言葉が胸に刺さる。
その言葉を認めるつもりはないし、あの時の自分の行動が、間違っていたなんて絶対に思わない。けれど、私がもっと違う対応をしていればこうはならなかったのかなと、何度も考えてしまう自分がいた。




