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その日は朝から小雨が降っていて、埋葬予定の墓所に向かうまでにじっとりと服が濡れて重苦しい気持ちになった。
ラウは先に着いていて、私たちが来たときはもう墓穴が準備され、司祭様の到着を待っていた。ラウはクラトさんの後ろに私の姿をみとめると、一瞬泣きそうに顔をゆがめて、すぐに下を向いてしまった。
ほどなく司祭様が到着され、お義母さんの棺に葬送の儀式を行ってくれた。
参列者は私を含め三人しかいないので、ラウとクラトさんの二人だけで棺を埋葬した。普通の葬儀式とは違い、見送る人がほとんどいない、寂しいお別れだった。
棺に土がかけられていくのを見ていると、お義母さんとの記憶があふれ出るように思い出されて、涙がこぼれそうになる。でも私がこの人の死に涙してはいけないと、ぐっと唇をかんでこらえた。
本当の娘のように可愛がってくれていたと思っていたのは私の幻想で、実際はただ使い勝手のいい駒として教育されていたのだ。この人の死を嘆く理由は私にはないはずだ。
それを頭では分かっているのに、今でもまだ、あの人に褒められて嬉しかったことや、優しく撫でてくれた手が鮮明に思い出されて、でもそんなことを思い出す自分への嫌悪感と相まって、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
埋葬が終わっても、ずっと黙ったままのラウに、なんと声をかけていいか分からず、私も黙ったまま、立てられたばかりの墓標にそっと花を添えて黙祷した。
私が墓標の前から立ち上がると、真横で私をじっと見ていたラウが、ポツリと言った。
「ディア、なんで来たんだよ」
「なんでって……お義母さんとは色々あったけど、最後のお別れくらいはしたいと思ったから……」
「色々、か。お前は母さんに散々な目に遭わされたもんなあ。犯罪者の末路を見てどうだよ?自業自得でざまあみろとか思ってんだろ。
母さんがなんで死んだかお前知ってて来てんのか?自死だよ、自死。自分で首をつって死んだんだ。破滅した人間にはお似合いの死に方だろ?」
「おい!ラウ。やめろ!墓前でする話じゃないだろ!」
「自死……?」
ラウの言葉を聞いて、クラトさんや憲兵さんがずっと言葉を濁していた理由が分かった。お義母さんの死因が自死だと言われ、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
堰を切ったように酷い言葉を吐き出すラウをクラトさんが諫めるが、ラウの口は止まらなかった。
ラウは目が落ちくぼんで酷い顔色をしている。私はそのやつれ切った顔を見ていると何も言い返せなかった。
「葬儀をわざわざ見に来るとか悪趣味なんだよ!破滅させた張本人はお前だろーが!そんな奴が母さんを弔う気持ちなんかねーだろ!憲兵に母さんを突き出したの忘れたのかよ。お前が母さんを追い詰めたんだろ?!そんな奴に最後のお別れだなんて言われたくねーんだよ!母さんが死んだのはお前のせいだ!お前の……!」
「やめろラウ!いい加減にしろ!自分が何を言っているのか分かってるのか?!母親の死とディアさんは全く関係ないだろう!最低だぞ!ディアさんに謝れ!」
怒声をあげたクラトさんは、その勢いのままラウの頬を叩いた。それほど強く叩かれたわけでもなかったが、ラウは糸が切れたように崩れ落ちて、地面に突っ伏して泣き出した。
クラトさんは怒りが収まらないようで『放っておけ』と言って帰ろうとしたが、私はまだラウと話があると言って引き留めた。
「ラウ、落ち着いてからでいいから、ちょっと話がしたい」
私が静かな声で語りかけると、ラウは不愉快そうに顔をゆがめた。
「……そうやって物分かりのいい顔して善人ぶるのやめろよ。ひでーこと言われてんだから、前みたいにキレて殴り飛ばせばいいだろ」
「確かに私はお義母さんを憲兵に突き出して、あの人の地位も名誉も失墜させた張本人だよ。でもそれを後悔したことはないし、謝るつもりもない。確かにお義母さんには恨まれていただろうけど、だからと言って、あの人が私のせいで自死するとは思えない。お義母さんの性格だったら、むしろ私に仕返しするために裁判で無罪を勝ち取ろうと策をめぐらすんじゃないかな。自死するっていうのがそもそも不自然に感じる」
私のせいだとラウは言ったが、あの人の性格を考えるとそれはどうしても腑に落ちない。
疑問に思ったことを言ってみたら、その返答が意外だったらしく、ラウはさきほどとは打って変わって、口を開けてポカンとしていた。
「いや……お前……なんでそんなに普通なんだよ、お前今、俺に何言われたかわかってんの?なに冷静に分析してんだよ。まずは怒れよ……」
「今更ラウに何を言われても傷つかないわよ。もっと最低なことしたの忘れた?こんなことでいちいち怒っていられないわ」
私が呆れたように話すと、ラウは毒気を抜かれたようで、しばらく黙っていたが、しばらくして小さな声でポツリとつぶやいた。
「……ディアは俺なんかより母さんのこと分かってんだな。俺は息子なのに……全然あの人のことが分からなかったよ」
それからお義母さんに何があったのか、ぽつぽつと記憶をたどるように教えてくれた。
「母さんは、お前の言う通り本気で無罪を勝ち取る気でいた。ずっと自信満々で今後のことを俺に指示してきたよ」
確かに、憲兵さんから聞いていたお義母さんの様子は強気そのもので、聴取にも手を焼いているという話だった。
頭も口も回るお義母さんは巧みに話題をそらして自分の都合の良い話にもっていってしまうので、若く経験の浅い取調官では言い負かされてしまうので、なかなか証言がとれず梃子摺っていた。
そんな状況が続いていたから、必ず勝てる裁判とは言い難いと憲兵さんは言っていたほどなのに、何故この状況で自死を選ぶのか納得がいかなかった。
その疑問を口に出す前に、ラウが答えてくれた。
「父さんとの離縁が成立した次の日に、あの人なんの前触れもなく自死したんだよ。俺、前日にも面会してんのに、その時はホントいつも通りで、俺にはなんにも言わなかった。
憲兵の人が教えてくれたんだけど、ちょっと前に父さんから離縁の手続きの書類が届いて、母さんは特になにも言わずにその書類に記入したらしいけど、離縁が成立したって知らせを聞いたすぐ後に、牢の中で自ら命を絶ったんだってさ」
「え……じゃあ……旦那さんと離縁したせいで?」
「遺書もないから分かんねえけど、そうなんじゃねえ?俺、あの二人、夫婦としてはとっくに終わってると思ってたんだ。父さんは船に乗るようになってからほとんど家に帰ってこなくなったし、帰ってきてる時でも、仕事の話しかしてなかった。そんな関係だったのに、離縁したくらいで死ぬか?わけわかんねえよ。俺には何も言わないままで、勝手に死にやがってよ……息子は大事じゃねーのかよ……」
そう言ってラウは頭を掻きむしって泣いていた。
私も言える言葉が見つからず、ただ黙って聞いていた。
旦那さんと一緒にいる姿を見たのは私も数える程度しかないけれど、確かに夫婦というより仕事仲間のような振る舞いをお義母さんもしていた。
だが、思い返してみればそもそもお義母さんが脱税をしたきっかけとなったのが、旦那さんの仕事で出た損失を被ったことが原因だった。
お義母さんの口からその話を聞いた時、商売人のお義母さんがずいぶんと合理性のない行動をしたものだと疑問に思った。
その疑問がこうなってみてようやく解けた。
夫に頼まれれば、あの人は自分の店が危うくなろうとも法に触れる行為に手を染めてでもそれに応えてしまう。それほどまでに夫を愛していた。
ずっとお義母さんにとっての最優先は『自分の店』なのだと思っていたけれど、あの人の一番は店でも息子でもなく、夫だった。
こうなってみて、ようやくお義母さんの不可解さの全てに合点が行ったが、気付くにはなにもかもが遅すぎた。
ラウにとってはつらい事実だろう。ラウだけは母親を見捨てず、四面楚歌の状態でも店の後始末をつけようと孤軍奮闘していたのに、その本人はラウのことなど全く顧みることもなかった。
母親は、妻をあっさりと切り捨てていった夫のことしか見ていなかった。ラウが自分はいったい何のために頑張ってきたのかと、自棄を起こしても仕方がない。
「母親が死んで辛いのは分かるが、さっきのディアさんに対する暴言が許されるわけじゃないぞ。どんな状況だからって、言っていいことと悪いことがある。八つ当たりで誰かに当たりたかったのなら、俺でもよかっただろ?何故俺に言わない?ディアさんなら言い返してこないとでも思ったか?自分より弱い相手を選んで悪意をぶつける、その卑怯な根性が気に入らない」
「クラトさん、今は……」
私はさきほどのラウの暴言を聞き流して終わりにしようとしていたが、横で聞いていたクラトさんはそれが許せなかったようで、怒りを露わにした。
クラトさんに厳しい言葉をぶつけられたラウはうつむいたまま返事ができずにいた。
「店のことも投げ出さずちゃんと後始末をつけようとしているのを見て、最初に会った頃と随分変わったお前を見直していたんだ。だから俺も、お前の助けになってやりたいと思って今日もこの場に来たのに……クズの本質は全く変わっていなかったってことか。俺の見込み違いだったか」
「そうですよ……俺がクズだなんて、クラトさん最初っから知ってたでしょ。アンタに褒められたくて、心入れ替えたって嘘ついてただけですよ。アンタに褒められると気分が良かったから。でも人間、そんな簡単に変われないです。誰もがアンタみたいに、正しく真っ直ぐに生きられないんですよ。俺も、やらかしたことをちゃんと償えば、やり直せるのかなと思ったけど……やっぱ一度道を間違えた俺はもうダメなんですよ」
己を卑下するラウは力なく笑っていた。
「……そうやってすぐ投げやりになって諦めるのもお前の悪いところだ」
クラトさんは発破をかけるように言ったが、ラウはもう何も答えず、さらに言い募るクラトさんに『もう放っておいてくれよ!』と叫んで、その場から逃げるように立ち去ってしまった。
その態度にクラトさんは怒ったが、ラウを追いかけることはせず、私に帰ろうと促した。
私たちは、お互い無言のまま帰路についた。
あれだけ慕っていたクラトさんに対してあんな捨て鉢な態度をとるなんて、ラウは思った以上に追い詰められていたようだった。
クラトさんもなにか考え込んでいるようで、家に帰ってからも口数は少なかった。




