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あれから教会にも足を運び、今更ながらあの時の騒動を司祭様に詫びた。
私が仕出かしたわけではないのだが、あのような行為で神聖な教会を穢したことがずっと気にかかっていた。おそらく誰も謝罪に行ってないだろうから、あの式の当事者として改めて謝るべきだと思ったのだ。
司祭様はまず私が無事に帰ってきたことを喜んでくれて、そして『あなたが悪くないことで謝ってはいけない』と笑って言った。
さらに、仲裁に入らなかったことを逆に謝られてしまった。会長もだが、司祭様も、傷ついているであろう私をそっとしておこうと気をまわしたことが裏目に出たと、苦い顔で当時を振り返った。
そして帰り際、司祭様はそっと私の頭に触れ、『あなたに幸福が訪れますように』とお祈りを捧げてくれた。
正しく生きている人の元へ精霊様は必ず幸福を運んでくれるから、と優しく頭を撫でられ、私は不覚にも号泣してしまった。
会長を通じて旧知の人たちとの再会も果たした。女衆の人たちは皆私の無事を喜んでくれて、会ってから全員で泣いてしまった。そしてやっぱり、当時の私を助けてやれなくてごめんなさいと何度も謝られた。
こんなに大勢の人に囲まれた経験なんてないから、いっぺんにたくさんの人から話しかけられて目が回りそうだった。
懐かしい人たちに会えて、温かく迎えてもらえたことはうれしかったけれど、会う人会う人に謝られてしまって、なんだか申し訳なくて疲れてしまった。
これではなんだか、謝らせるために会いに来たみたいになっているようで、会いに来たことが本当に正しかったのか、ちょっと分からなくなってしまった。
それに、女衆の人たちが、私が居なくなった後から始まったラウの店の凋落ぶりを面白そうに話してみんなで盛り上がっていた時、どうにも居心地が悪くて聞き続けるのが辛かった。皆それを聞かせれば私が喜ぶと思って話してくれているようだったので、止めることもできず、曖昧に頷いてその時間をやり過ごした。
最終的に店が廃業してしまったことに話が言及した時、『胸がすく思いがしたわー』と皆で笑っていたのを見て、なぜ店の廃業が嬉しいのかとつい訊いてしまった。すると、場の空気が一気に気まずいものになり、それをきっかけに再会の集いは解散となってしまった。
空気を悪くしてしまったし、皆と同じように笑うことができなかったので、やっぱり私は人と話すのが下手なんだな……とこの後だいぶ落ち込んだ。
思い返してみると、女衆の集いでは皆ずっと楽し気におしゃべりをしながら作業していたけど、私は隅のほうで黙って一人で作業をしていただけで、話しかけられても事務的な受け答えしかできなかった。
久しぶりの再会だったから、今回は歓迎してもらえたかもしれないが、二度三度と会ったらやっぱり私と会うのが嫌になってしまうんじゃないかと思って、女将さんたちの『また近いうち会いましょう』と言われたが、次の約束をする勇気がでなかった。
でも人と会わずに人づきあいが上手くなるわけがない。
人との会話が苦手なら余計にもっといろんな人と会って対人技術を学ばねば、と決心したが、思いのほか裁判のことで時間を取られ、それ以降、女衆の人たちにも会う機会は作れずにいた。
やらなくてはいけないことが多くて、毎日があっという間に過ぎて行き、何度か会長を通じて、私に会いたいと申し入れがあったようだが、時間が取れなくて断るという日々が続いていた。
ひとまず裁判が終わって落ち着いてから、と会長に伝えて、そのうち会えればいいかとこの時はのんびり構えていた。
***
ある日、いつもどおり軍警察を訪れた際に、被疑者であるお義母さんが亡くなったと憲兵さんから告げられ、言葉を失った。
「……え?なんて……今なんて……?」
「その……ですから被告人が亡くなったので、担当の者は皆対応に追われていて、今日はお話できそうにないんです。今この場であなたにお知らせすべきか迷いましたが、いずれ知れることですから、早いほうがいいかと」
私はいつものように約束の時間に来て受付で待っていたのだけれど、なかなか担当の人は現れなかった。そのうちに、顔見知りになってから何かと気にかけてくれる憲兵さんが慌てた様子で私の元に来て、お義母さんが亡くなったと告げ、今日のところは帰ってほしいと言われたのだった。
つい先日、お義母さんの起訴が決まり、あと私がやるべきことは裁判で証言するだけというところまで来ていた。そんな時に突然亡くなったと聞かされ、まさかの事態に言葉が出ない。
茫然自失の私に代わり、送迎のために一緒に来てくれていたクラトさんが代わりに質問をした。
「なにがあったんですか?事故かなにかですか?ラウは……被告の親族はもうこのことを知っているんですか?」
「息子さんはすでに昨日の時点でお知らせしてあります。今も必要な手続きがあるのでこちらにいらしてますよ。ですが、少し取り乱していて……」
クラトさんと憲兵さんが二人で何か話をしていたが、私は耳鳴りがして立っているのがやっとだった。
その様子に気付いたクラトさんは私に『早く帰ったほうがいい』と言ってひとまず帰ろうとしたが、ラウとクラトさんの関係を知っている憲兵さんが、ラウが取り乱しているからそちらに行ってやってほしいと頼んで、私のことは自分が送るからと申し出てくれた。
クラトさんは少し迷っていたが、やっぱりラウの様子が気にかかるようで憲兵さんに私を託して奥へと走って行った。
仕事中の憲兵さんに送ってもらうのは申し訳なかったが、私も取り乱していたので断らずに付き添ってもらうことにした。
帰りの道すがら、なにがあったのかと質問したが、詳しくは後日……と言って教えてもらえなかった。私もそれ以上重ねて聞くこともできず、家まで送り届けられ、憲兵さんは申し訳なさそうにしながら帰っていった。
家に帰り、ひとりになると力が抜けて床に座り込んで、なにもできずにいた。
お義母さんの死を聞いて、色々な感情が入り乱れて、何を思えばいいのか分からず、ただ茫然と家の天井を眺めていた。
まだ物が少ない部屋はガランとしていて、そんな部屋に一人でいると無性に心細くなって、急に涙が溢れてきそうになる。
この部屋を借りることを決めたのはつい先月のことだった。
クラトさんの助言に従い、滞在場所のことを商工会長に相談したところ、すぐに色々な物件を見繕って紹介してくれた。その中の会長の持ち物件だという古い家を借りることになった。
もともと下宿所として使っていたという家だが、築年数が古くあちこち痛んできていたので空き家にしていたところだという。だから家賃は要らないと会長は言ったが、それでは申し訳ないので、修繕個所を時間がある時にできるだけ直しますとクラトさんが申し出て、それを交換条件として借りることになった。
クラトさんは私と同居になるのを散々渋ったが、この家なら部屋も独立しているし、私が一人暮らしになるのは危険だと会長がクラトさんに言うと納得したようで、一緒に住むことに同意してくれた。
空き家になっていたのでひとまず最低限の修繕をしたり必要なものをそろえたりして、ようやく落ち着いて住めるようになったばかりだった。
(裁判が長引くことを考えて家を借りたのにな……無駄になっちゃったのかな……)
家のことなど今考えることじゃない、と思ったが、じゃあお義母さんの死を聞いて何を思えばいいのかと考えても何も思い浮かばなかった。
何もする気が起きなくて、ただぼんやりと食堂に座ったままでいたら、いつの間にか西日が窓から差し込んでいて、クラトさんが帰ってきた。
「すまない、遅くなった。なにも食べていないんじゃないかと思って、屋台で飯を買ってきたんだが、食べないか?」
食事のことなどすっかり失念していた私は、クラトさんにお礼を言いつつ食事を頂くことにした。
食べながらクラトさんに、ラウは大丈夫なのかと聞いた。
「最初母親の死を聞かされた時はずいぶん取り乱したみたいだが、俺が会いに行ったときはちゃんと会話もできたし、今後の話を色々決められるくらい冷静だったように見えた……が、一人にすると危ない感じがしたから心配だな。
ああ、そうだ、明後日遺体を埋葬するらしいんだ。ディアさんには悪いが、その日は俺も手伝いに行こうと思っている」
「私も行きます」
「いや、君はやめたほうが……」
「行きます」
「……分かった」
クラトさんはそのあとも、『辛くないか?』と何度も訊ねて心配してくれたが、私は行くと言って譲らなかった。




