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色々と想像もしていなかったことを聞かされ、なんだか頭が追い付かず私はやや茫然としていた。
もう私のことなど皆忘れているだろうと高をくくって、お世話になった人のところにだけ挨拶に行こうなどと考えていたけれど、下手に以前の居住地区を歩いたりしたら、死んだはずの人間が化けて出たと騒ぎになるんじゃなかろうか。そんな可能性があるなんて思いもしなかった。
あの頃、私はほとんど町の人たちと交流がなかったから、会長があんな風に気にかけてくれたことも驚きだったし、女衆のひとたちが私のことを心配していたことも全く知らなかった。
さきほどの話を思い返していると、黙ったまま歩いていたクラトさんがふと話しかけてきた。
「商工会長が全面的に味方になってくれるようだから、色々とやりやすくなるな。あの感じなら、大抵のことは引き受けてくれるだろう。さっきは断ったが、後見人を会長に頼んでもいいんじゃないか?後ろ盾ができるのは悪い話じゃないだろう」
「会長は、罪滅ぼしだと言ってくれましたけど、別に会長がなにかしたわけでもないのに、そこまでお願いできないですよ」
「そうか?本当にディアさんが助けを必要としている時に分かっていながら放置したんだ。十分に罪深いだろ。その当時、ほんの少しでも手を差し伸べてくれていれば、君の人生は全く違ったはずだ。それを向こうも分かっているから、罪悪感を軽減したくて申し出ているんだろ。だからなにかしたいと言うのなら、させてやればいいんじゃないか?会長の言ったとおり、しょせんあちらの自己満足なんだから」
「……クラトさんは厳しいですね」
「ディアさんが甘いんだ。後悔しているとか言うくらいなら、何故その時になにもしなかったんだと思わないのか?全てが済んだ今になって、どれだけ謝罪を並べても、そんなのは全部後付けの言い訳としか感じない」
それよりも、とクラトさんは会長の話を終わらせて、相談があると言ってきた。
「今日の会長の話を聞いて、少し気になったことがあるんだ。ラウはいまだに周囲から疎まれているような状態なんだが、ディアさんが帰ってきたことが話題になって、また結婚式の話が蒸し返されてラウへの嫌がらせが過熱するんじゃないかと、少し心配になったんだ。
今、アイツは店の後処理をしているところだが、その関係各所でも門前払いを食らうようになったら作業が進まなくなるだろう。
それでな……その、短期間でも俺が行って手伝ってやりたいと思っていて……すまん、ディアさんには迷惑をかけることになるが、許してほしい」
「確かに、会長の話を聞くとその可能性は高そうですね。はい、私は構いませんからラウのところに行ってあげてください。きっとクラトさんが来てくれたらラウも心強いと思いますよ。迷惑とか特に思い当たらないんですけど、なにかあるんですか?」
「迷惑というか……俺はディアさんのために来ているのに、君を裏切ったラウに肩入れしては、嫌な気持ちにならないか?
それに、君の元婚約者と俺が一緒にいたら、その関係性を不思議がって余計なことを言ってくる奴がいるかもしれないだろ?俺の勝手な行動で、君に嫌な思いをさせるかもしれないと分かっているんだが……やっぱり放っておけなくてな。すまん」
非常に申し訳なさそうにクラトさんが言うから、思わず笑ってしまった。
クラトさんは、思った反応と違ったのか、不思議そうに私を見た。
「すごく深刻そうに言うからなにかと思いましたよ。クラトさんは本当に真面目ですよね。そんなこと気にしなくていいんじゃないですか?逆にクラトさんとラウの関係性に興味が行って、私の存在が薄まるかもしれないですし」
「そ、そうか?そういうものか?」
クラトさんはラウと親しくしていることを私に悪いと思っているようだが、私としては、ラウがまともになったのは偏にクラトさんのおかげだから、逆に感謝しかない。
『取引先に迷惑をかけないように』なんてラウが考えるようになったのは、絶対にクラトさんの影響だし、きっとクラトさんに恥じない行動をしようと頑張っているんだろう。
「だからぜひラウを手伝ってあげてください。せっかく本人がやる気になったんですし」
「ああ、ディアさんがいいのなら……というか、もう君はラウが憎いとか思わないんだな。改めて今日会長から話を聞いて思ったが、本当に散々な目に遭っているのに、よくアイツを許せるなと感心する」
「うーん、許すとかではなく、もうラウのことがどうでもよくなったからですかね?別に幸せを願ったりしないですけど、不幸になれとも思わないんです」
私の返答を聞いて、クラトさんは理解できないといった微妙な顔をしていた。
その後、私はまた軍警察へと行く予定があったので、私を送り届けたクラトさんはラウのところへ行くと言ってそこで別れた。
裁判のことは全て、村に手紙をくれていた憲兵さんが窓口になってくれている。
昨日、これまでの裁判の進捗や、お義母さんの立件について色々教えてもらえた。
両親は、仕事仲間からそれぞれ告訴されていて、その裁判が複数あるため時間がかかっている。預かった資金を使いこんでしまっているので、返金して示談にすることもできないということで、現在の裁判の状況から見ても、おそらく有罪は免れないだろうとのことだった。
お義母さんによる店の脱税は、本人が故意によるものではないと無罪を主張しているので、現在はまだ取り調べと証拠集めの段階だった。
「ディアさんにはまず、脱税の証拠固めに協力していただきたいのです。彼女は罪を認めていないので、取り調べにも協力的じゃないんですよ。押収した二重帳簿があるのだから、有罪は確実だと思うのですが、どうもあの方は口が上手くて、こちらの不備をついてきたりするので厄介なんです。裁判で脱税について故意に資産を隠したと全面的に認められないと、軽い罪になってしまう可能性があるので、証拠を整えておきたいんです」
私の担当をしてくれている憲兵さんが、小会議室に案内してくれて、そこで押収した帳簿や資料を広げてこれまでと今後のことについて詳しい話を教えてくれた。
「裏帳簿と私が記入していたほうの帳簿との照合でしょうか?実際の売り上げとの整合性も全部見ないといけないですよね?じゃあしばらくこちらに通えばいいですか?……それって何日くらいかかるものでしょうか?」
「申し上げにくいのですが、起訴までにまだ時間がかかりますし、裁判が始まってからも証言に立っていただくことになるので……少なくとも数か月はかかるかと」
「えっ……そんなにですか?」
少なく見積もって数か月と言われ、思わず戸惑った声をあげてしまった。場合によってはそれ以上になるとするなら、その間ずっと宿暮らしできるほどの資金はない。
安い家を借りて短期間でも働くか……でも住所も定まらない身元の不確かな女など働ける場所などあるのだろうか。
どうしたものかと考えていると、憲兵さんは私が考えていることが分かったのか、こんな提案をしてくれた。
「もしよければですけど、軍警察には一時滞在できる施設があるので、よかったら紹介しましょうか?そこは事件事故の被害者で行き場のない女性や子供を保護した際に住めるように用意されているんですが、ディアさんの立場なら利用可能だと思います」
私は両親とも捕まっていて帰る家もないから、申請すれば無償でそこを利用できると教えてもらえた。非常にありがたい話だが、考えた結果お断りした。
「私一人ならぜひお願いしたいところなんですが、同行者がいますので、そちらを利用することはできないんです。お気遣いありがとうございます」
「……あの方とは……どういうご関係ですか?ご夫婦ではないんですよね?」
「いえ、クラトさんとはそういうのではないです。あ……でも、面倒事を避けるために、夫婦だということにしておくかもしれません。さきほどそういう話になりまして」
「そ、そうですか……?」
説明が足りなかったのか、微妙な顔をする憲兵さんだったが、それ以上は質問してこなかった。
その日も、私の取り調べが終わった後には憲兵さんが『送ります』と申し出てくれて、宿まで付き合ってくれた。
日暮れ前だし、大丈夫だと断ろうかとしたが、クラトさんにも一人で出歩くなと言われているのを思い出して、申し訳ないが遠慮なくお願いすることにした。
宿までは軍警察からそれほど離れていないので、憲兵さんと話しながらややのんびり歩いていた。
その時、後ろから男性の声で名前を呼ばれ驚いて振り返ると、男性二人がこちらを見て笑っていた。
「うっわ、ホントにいたよ。ディアだろ?あれ」
「隣の男、昨日の奴じゃないじゃん。アイツ、ラウと一緒にいたわけだし、やっぱ嘘だったんじゃね?うわーすっかり騙されたわー」
名前を呼んだわりには、話しかけるわけでもなく遠巻きにこちらを見ている男二人は、どこかで見たことがあるような気がするが、知り合いではなかった。
よく覚えていないけど、昔ラウとよく一緒に遊んでいた仲間にいたような気がする。
あちらは私を知っているようだが、直接知り合いでもないし、なんだか嫌な感じだったので、関わるまいと思いそのまま無視して歩き出した。
すると慌てたように『待て待て!』と声がかかり、追ってくる足音が聞こえた。
「お前、ディアだろ?返事くらいしろよ。ラウに振られて死んだんじゃねって言われてたけど、ちゃんと生きてたんだなー。なになに?隣の奴は旦那?お前どっかで結婚してたのかよ。だから帰ってきたわけ?」
「……どなたですか?急いでいますので、失礼します」
やけに親し気に話しかけてくるのでひょっとして同窓かもしれないと思ったが、過去に会話を交わした記憶もない。知り合いでもない人の雑談に付き合う理由がない。
取り合わないのが一番だと思い、切り上げようとするが、男たちはなおも絡んでくる。
「いやいや待てよ、みんなお前が行方不明になって心配してたんだぜ?なのに無視するとかさーおかしいだろ?ホンット昔っから愛想のかけらもねーよな!全然変わってねえし」
そう言って私の肩に手をかけようとした男の手を、隣にいた憲兵さんが叩き落とした。
『いてえ!』と声をあげ、憲兵さんのほうへ拳を振り上げかけたが、その姿を見て動きを止めた。
後姿では分からなかったのか、向き合った相手が軍警察の紋章がある隊服を着ていると気付いて、男は固まっていた。
「妻はあなたのことなど知らないと言っていますが?用件があるなら私が伺いましょう」
憲兵さんが私を後ろに庇い、男たちに対峙してくれた。
軍警察だと気付いた男たちは、見るからに青ざめてうろたえていた。自警団とは違い、彼らは国から派遣されている人間なので、その恩恵を受けている町民が不敬を働くことは許されない。
その相手に拳を振り上げたという事実だけで、拘束されてもおかしくないというのが分かっているから、彼らは返答すらできないのだろう。
憲兵さんが重ねて『用件は?』と問うと、『人違いでした!』と叫んで逃げ出してしまった。
男たちが居なくなって私はホッと息を吐いた。
すっかり忘れていたけれど、昔はああいう不躾で聞きたくもない言葉をよくわざと聞こえるようにして言われていた。
思い出したくもないことを記憶から引っ張り出されてしまって、あの頃のいつも感じていた嫌な気持ちが蘇ってしまい、無意識のうちに私はぎゅっと自分の服を握りしめていた。




