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ものすごく久しぶりの更新になってしまい申し訳ないです。
ディアちゃんが町に戻ってきたところからお話が始まります。
町に帰ってきてからの日々は、まさに驚きの連続だった。
裁判のための一時的な滞在のつもりだったので、挨拶に行く人は限定しようと思っていた。
お世話になった商工会長と、女衆の一部の人だけ会いに行って、その人たちには私が町にいることは黙っていてほしいと告げる予定でいた。
最初に商工会長の元へ挨拶に伺ったのだが、会長は私の顔を見た瞬間泣き崩れてしまった。
何が起きているのか分からず、私はただアワアワするばかりで会長が泣き止むまで待つしかできなかった。付き添いで一緒に来てくれたクラトさんが、『どういうことだ?』と目線で問うてくるけど、私にだって分からない。
騒ぎを聞きつけた会長の奥様が出ていらして、私と泣き崩れる夫を見てだいたいの事情を察したらしく、会長に代わって涙のわけを教えてくれた。
商工会長とは意外と付き合いが古く、私が子供の頃ラウの店で働き始めた頃からの知り合いだった。
ラウの店は町一番の大店だったので、商工会でも顔役として所属していた。そのため、私もこちらで人手が欲しい時など、お義母さんに頼まれてお手伝いに来ていたから、会長とは子どもの頃から何度も顔を合わせていた。
子供好きの優しい方で、店の用事で来るだけでもお菓子を持たせてくれたり、お義母さんに指示されてお手伝いでこちらに来たときは、『内緒だよ』といってお小遣いをくれたりしていた。
今にして思うと、お手伝いの賃金はお義母さんか両親に支払われていたのだろうから、それとは別にくれていたお金だ。
当時は、私のお手伝いや労働に対して賃金が発生するということに気付いていなかったから、お小遣いをもらえて単純に喜んでいたのだが、今にして思うと会長は余分なお金をいつも支払ってくれていたということになる。
私はそれを知らずに、簡単に受け取ってしまっていたが、それも改めてお礼とお詫びをしたいと思っていた。
だが会長は、私が町を飛び出すほど追い詰められていたのに、何の手も打たず私を放置してしまったことをずっと後悔していたらしい。
あんなことになってしまった原因の一端は自分にもあると常日頃言っていたそうで、今回突然訪問してきた私の姿をみて感極まってしまったそうだ。
会長が責任を感じる理由がどこにあるのかと、私は疑問で頭がいっぱいだったが、奥様が教えてくれた話を聞いて驚いてしまった。
実は会長は、両親が私を妹と差別して冷遇しているという話を随分前から把握していたそうだ。
女衆から商工会長の元へ、そういった報告が定期的に上がってきていた。各家で分担している女衆の仕事をいつも私一人が集いに来て仕上げていることや、家族は羽振りの良い身なりをしているのに私はいつも着古した服ばかり着ていることを女衆の方々が気付いていて、私が家で冷遇されているのではないかと気にかけてくれていたそうだ。
だが家族の問題に商工会が口を出すのは難しいからと、会長は私の婚家となる予定のお義母さんにそのことを相談し、気にかけてやってほしいと伝えていた。
会長は、店では私は大事にされていると思っていたので、この件は婚家のお義母さんに任せるのが最善だと考えていた。
実家で冷遇されていても、私はラウの婚約者と正式に決まっていて、すでに店で重要な立場で長年働いている。もう実質ラウの家族のようなものだから、実家のことは結婚するまでの問題だろうし、それまで義母に任せればいいだろうと判断したらしい。
ところがなんと結婚式当日に、新郎であるラウの浮気により、結婚そのものが潰れるという事態に見舞われてしまった。
あの日、会長も会場に来ていたが、控室のほうから聞こえる騒ぎでだいたい何が起きたか察しがついたという。
式はどうなるのだろうと皆で心配していたら、なんと花嫁本人が式の中止を告げに来て、青い顔で頭を下げ続けるので、その会場にいた誰もが言葉を失ってしまった。
いくらなんでも、私に謝らせ事態の説明をさせるのは酷だろうと、他の招待客に呼びかけ、この場は騒がず会場を出ようと促した。
私がこれ以上さらし者にならないようにとの配慮だった。
商売がからんだ結婚だというのに、こんな形で婚約破棄となればもめるのは必至だ。
結婚がつぶれた以上、私がラウの店で働き続けるのは不可能だろうと会長も考えていた。
私が家族に冷遇されていたことを鑑みると、妹の味方について私一人が割を食う結果になりはしないかと心配した会長は、後日両家を呼び出して仲裁に入るつもりだった、と申し訳なさそうに語った。
結婚式の翌日にさっそく、会長が両家に使者を立てて今後の話し合いについての約束を取り付けに行ったが、帰ってきた使者は私が家を飛び出し行方がわからなくなっているという衝撃的な話を持って帰ってきて、会長は目玉が飛び出るかと思ったそうだ。
結婚式が直前になって中止になったという話は、出席者からあっという間に噂が広められ、翌日に私が家出をしてしまったという話と相まって大きな話題となって町中を駆け巡った。
なにせ、結婚式の控室で新郎と花嫁の妹が浮気していたせいで式が中止だなんて、話題として面白いに決まっている。
たくさんの人の耳にこの話が入り、その後いろんな人から話が上がってきて、あの日起きた出来事の全容を会長はのちに知ることとなった。
会長は良かれと思って出席者全員を引き上げさせたのだが、あのあと、会場の片づけをする私を置いて家族やラウ達はさっさと帰ってしまい、結局私が日暮れまで一人で片づけをするはめになったと知らされた。
家族において行かれた私が一人きりで暗い道をとぼとぼと歩いているのを見た人がいたらしく、それを知らされた会長は、そんなことになるくらいなら帰らずにその場で仲裁に入るべきだったと激しく後悔したそうだ。
「まさかあの状況で、被害者側であるディアちゃんに片づけをさせて、置いてきぼりにするなんて思いもしなかった。今更だが君のご両親は本当におかしい人たちだったんだな……。
本当に申し訳なかったね。そもそも、女衆から君の家の話が上がってきた時に、ちゃんと対応していればそもそもあんなことには…………なにもかも、対応を間違えた私のせいだ」
「い、いえ、あの、全く会長のせいなどではありませんので……謝らないでください」
ようやく泣き止んでまともにしゃべれるようになった会長は、私などに深々と頭を下げて謝ってくれた。実際、会長は全然関係ないので謝られても申し訳なさしかない。
あの結婚式の後に両親やラウが散々責められたというのは聞いていたが、会長から当時のことを聞くと、私が思っていた以上にとんでもないことになっていたらしい。
結婚式の後、私が片づけをしていたことや、置いていかれて一人で帰った姿を見ていた人がいたことにも驚いたが、それよりもその後、噂に尾ひれがどんどんついて、今現在ではちょっとした怪談話のようになっていた。
あの日の私は、傷だらけの姿で破けた婚礼衣装を引きずりながら暗い夜道を一人で泣きながら歩いていた……という大幅に間違った話が真実として語られているらしい。
私が突如家出をして行方不明になった理由も随分と脚色されていて、生きるか死ぬかの瀬戸際で家から逃亡したことになっている。
聞くと、妹をラウと結婚させたい両親は、邪魔な私を排除するために、『妹の幸せを喜べない非道な姉!』などと難癖をつけ、私に対し殴る蹴るの暴行を加えて事故を装って殺そうとしたという話が町では真実になっていて、命の危険を感じた私が着の身着のまま家を飛び出して、親から逃げるために無理を承知で町から出て行った…………ということになっていると聞かされ、私はめまいを覚えた。
なにがどうしてそうなったのか分からないが、噂って怖い。何が怖いって、私は一言も語っていないのに、私の主観らしき話が噂話に交じっているからだ。誰がどのようにして言い出したんだろう。
そのほかにも、実は家出じゃなくてすでに両親が私を殺して埋めた説や、この世に絶望してすでに自ら命を絶って悪霊になっている説なども、一時期は根拠のない噂が出回っていたそうだ。
私はこの話を聞いて、青ざめて震えていたが、クラトさんはこっそり横を向いてばれないように笑っていた。ばれているけれど。
「ええ……会長……なんなんですかその話……どうしてそうなったんですか……」
「それだけ大きな騒動になったということだね。でも、女性ひとりで町を飛び出したと聞いたから、皆最悪の事態もあり得ると心配していたんだよ。とにかく無事に帰ってきてくれてよかった……。うん、ディアちゃんの顔を見ていれば分かるよ、今は幸せなんだね?」
会長はまた涙ぐんで、なぜかクラトさんを見つめ、うんうんと頷きながら言った。どうしてクラトさんに目線を向けるのかと思っていたら、クラトさんが答えた。
「あ、違います。俺はディアさんの護衛兼送迎役として一緒に来ただけで、夫ではありません」
「えっ違うのかい?!なんだあ、てっきり夫婦で挨拶に来てくれたのかと思ってたのに」
「……あっ!そういう意味だったんですか?!ちが、違います!クラトさんは、親切で私の帰郷に付き合ってくださっただけで……」
会長の言葉の意味をようやく理解した私は慌てて否定した。
必死に否定する私に、会長はなぜかニヤニヤしながら、『分かった分かった』とあしらうように言ってくる。
クラトさんに申し訳ないと思ってそちらを見たが、彼は別のことを考えていたようで、会長に向かって話し出した。
「……でも、面倒事を避けるために、彼女の夫というのをあえて否定しないというのも手かなと思っています。一時期それだけ彼女のことが噂になっていたというのなら、その張本人が帰ってきたとなれば、面白がってディアさんに近づいてくる輩も多いでしょう。こちらとしてはもめ事は避けたいので、ディアさんの後見人が決まるまでは否定も肯定もしないでおいていただけますか?」
「うーん……そうか。確かにな。ディアちゃんは独り身だと思われないほうがいいだろうねえ。今、この町にはディアちゃんを守れる立場の人がいない状態だからね。それなら私が後見人になってもいいんだが……」
「えっ?いえ会長にそこまでしていただくわけにはいきません。それに、私、裁判が終わったらまた町を出る予定なので、後見人をたてる必要は出てこないと思います」
会長は謎の責任感から、私の後見人になってもいいなどと言い出したので丁重にお断りした。後見人になるというのは親以上に責任を負う重大な契約なので、普通、私のような赤の他人に軽々と申し出るものではない。
「そうかい?まあ、私が後見人じゃあ、この町にディアちゃんを縛り付けてしまうから、君の足かせになってしまうか。
じゃあ、他になにか保証人が必要な時などがあれば力になるから、遠慮せずに言うんだよ?君らは、対外的には夫婦としておいたほうがなにかと安心だろう。それでも何か言ってくるものが居たら、私が対処するから知らせてほしい」
「ありがとうございます……でも、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかないので……」
申し出はありがたいが、そこまでしてもらえるほど私は会長になにかした覚えもないし、むしろお世話になっていたのに、挨拶も無しに行方をくらませたのだから、そこまで甘えるわけにもいかない。
そう思って断りの言葉を口にしたのだが、会長はまた目を潤ませて悲痛な表情をした。
「ディアちゃん、あの時、私はなんの手助けもできなかったことをずっと後悔していた。だからこれは、自分の罪悪感を軽くしたいだけの自己満足なんだよ。それに対して君が負い目に感じることはない。今更こんなことを言われても迷惑かもしれないが、罪滅ぼしさせてほしいんだよ」
「そんな……会長が悪いことなんて何もないのに」
「いいや、いくらでも君を助ける機会はあったのに、私はそれを黙殺したんだ。君がいなくなってから、自分の行いをどれだけ後悔したか……。多分ね、私と同じように、今でも後悔している人はたくさんいると思うよ」
だから、誰かに頼ったり世話になったりすることを悪いと思わないでほしいと会長は言った。
そして、なにかあればまずは会長を頼るように約束させられた。
短時間のつもりだった面会が、思いのほか長くなってしまったことを詫びて私は席を立った。
何度も何度も、『困ったことがあったら必ず相談にくるように』と会長には念を押されて、商工会議所を出た時には、想定していた時間を大幅に過ぎていた。




