傍観者は語る 9
天候にも恵まれたため、ディアさんの故郷には予定していたよりも早く着くことができた。
懐かしい故郷の街並みに、ディアさんは感慨深げに周囲を見渡していた。なんだかんだあってもやはり生まれ育った土地には特別な思いがあるんだろう。とはいえ、あまり知り合いには出くわしたくないと言うので、ディアさんが住んでいたあたりには近づかず、役所や各商工会議所などが集中している町の中心部にひとまず宿を取ることにした。
安価な宿を選んだが、滞在が長期に及ぶなら金銭的にもずっと宿に泊まり続けるのは難しくなる。今後のディアさんの身の振り方次第だが、滞在先もどうするか考えないといけない。
宿の受付で部屋をふたつ取りたいと告げると、『ご夫婦ではないのですね』と余計なことを言われた。
移動中もままあることだったが、部屋をふたつ、と受付で言うとだいたい俺たちの関係性を探るような目で見られるのが鬱陶しかった。ディアさんはディアさんで、ベッドがふたつあるなら同じ部屋でもいいですなどと簡単に言うので本当に勘弁してくれと思っていた。
俺を信頼してくれての発言だとは分かっているし、俺自身もその信頼を裏切るような真似をするつもりはないけれど、もう少し警戒心と言うものを身に着けてもらいたい。
荷物を置いてから今後の予定を確認する。ディアさんは不義理をしてしまった知り合いの人々に挨拶にも回りたいが、本来の目的は両親の裁判と、ラウの母親の脱税疑惑の証言をするためにきたから、そちらを優先したいと言った。
裁判所か留置所か、軍警察か、まずはどこを訪ねる?とディアさんに問うと、
「手紙をくださった憲兵さんにお礼を言いたいので、まずはそちらに伺おうと思います」
と言った。両親のその後のことなども聞きたいからというので、一人で行けると言っていたが、ひとまず付き添うことにした。
軍警察も裁判所も宿からすぐ近い場所に位置している。
軍警察の建屋の受付で、手紙に書いてあった所属と名前の人物に面会の申し込みをして、ディアさんが訪ねてきた理由を告げた。今日は面会の約束を取り付けて後日時間を取ってもらうつもりできたのだが、少し待つように言われて、そのあとすぐその人物が現れた。
彼はディアさんの顔を見ると、一瞬驚いた顔になってその後嬉しそうにほほ笑んだ。ディアさんも相手が覚えていてくれたと分かったのか、パッと笑顔になって挨拶をした。男は顔を赤くし急いでディアさんの元へ駆け寄ってきた。
「よかった、実は近々脱税の聴取であなたを召喚しなければと思っていたところなんですよ。ご両親のことでもいずれ来ていただかなければならなかったんですけど……それにしても、あなたも災難でしたね」
「いえ、色々お手数かけまして申し訳ないです。その節はありがとうございました。お手紙で両親の近況も教えていただけましたし、とても助かりました」
「いえ、その、それも仕事のうちですから……あの、もし時間があるならこのまま聴取にご協力いただけますか?今後の裁判のことも……」
そう言いかけてその憲兵の男がチラリと俺のほうを見た。
「ディアさん、俺ラウのところに顔出しに行きたいんだ。悪いけどそこの憲兵さん。終わったらディアさんを宿まで送ってくれないか」
「あっ、はいもちろん安全にお送りいたします。お任せください」
憲兵の男はさわやかな笑顔でそう答えた。
いずれにせよ聴取ならば俺がその場に付きそうことはできない。
この憲兵の男はディアさんの両親を捕らえたあとに、村役場に寄ってディアさんのことを訊ねていった。裁判で呼び出される可能性があるから、関係者のディアさんの身元を調べていくのは当然のことだが、彼女のことをずいぶん気にかけている様子だった。
今の表情を見ると、若干の下心があって親切に手紙などを送ってきたのかもしれないが、両親がどうなるか不安だったディアさんの気持ちを汲んでしてくれたのだろう。
憲兵なら身元も確かだし、送迎くらい任せても問題ないか、と思った俺は、保護者らしく振る舞いながらディアさんのことを頼むと、憲兵の男は俺とディアさんの関係性をなんとなく察したのか、目に見えて嬉しそうだった。
じゃあ行きましょうとディアさんを案内する彼の顔は嬉しそうにほころんでいて、仕事なのだからもう少し顔を引き締めたほうがいいぞと内心思った。
まあ、ディアさんは人目を惹く美人だし、若い男だから仕方がない。表情は隠せてなかったが、それでも彼女を不躾な目で見ることもなかったから、節度はわきまえているほうだろう。
村からここまでの移動であちこちの宿場町を経由してきたが、ジローが俺に忠告したとおり、ディアさんを無遠慮にジロジロ見る男どもの多さに辟易した。俺が少し離れただけで変な輩に絡まれているから目が離せなくて、人の多い場所では余計に気を遣って苦労させられたのだ。
ディアさんは男から向けられる目線の意味が分かっていないから、ジローがあれだけ危なっかしいと忠告してくる理由が身に染みて分かった。
故郷の町にいた頃はどうしていたのだろうかと不思議に思って、町ではこんな風に男に声をかけられたことはなかったのか?と聞いたことがあるが、きょとんとして『家と店の往復しかしていなかったから、知らない場所にはいかなかったから……』とよく分かっていなそうな返事を返してきた。
仕事で店の外に出る時も常に女将が一緒だったというし、友人と出かけたりすることもかなったというから、店と家の近所でわざわざラウの婚約者として知れ渡っているディアさんに手を出そうとする奴はいなかったんだろう。
ラウは婚約者として最悪だったかもしれないが、町一番の大店である息子の婚約者という肩書はある意味彼女を守っていたのかもしれない。
ラウは以前仲間内で散々ディアさんをこき下ろしていたらしいが、それもひょっとして破局すればいいと嫉妬した周囲に乗せられたんじゃないだろうか。
「ラウも大概バカだよな」
村に来たばかりのディアさんは綺麗な顔立ちはしていたが、痩せていていつも不安そうな表情が痛々しかった。だが冬を越したあたりから、ふっくらとした頬になり、髪も艶やかで、健やかさが加わった。近頃のディアさんはハッとするほど綺麗になった。ジローと過ごすことで気持ちも安定したのか、よく笑うようになった。
ディアさんが、以前の知り合いに会ったら驚かれるだろうな。
求婚者が列をなすのではとジローは言っていたが、あながち冗談では済まなくなりそうだ。
彼女は裁判のことが片付いたらまた村に戻ると言っていたが、ジローの言う通り、そうはならないだろうと俺も思う。
まともな男とまともな恋愛をして、結婚して子どもを産んで、夫と二人三脚で一生懸命子育てをして歳を重ねていく。きっとそれが本当の幸せだと、ディアさんも気付く時がくるだろう。
俺はもう遠い過去に諦めた理想の人生だなと、若い彼らの後姿を眩しい思いで見ていた。
***
あらかじめ聞いていた住所を頼りにラウの店を訪ねると、店は閉じていたが奥の窓に明かりが灯っていたので大きめの声で呼びかけてみた。
すると、俺の名前が聞こえたのか、恐る恐る扉が開いて、以前よりも痩せたラウが顔を覗かせた。
「……!クラトさん!え、どうしてここに……」
「ディアさんを送るついでにお前の顔を見に来たんだよ。なんだ、暗い顔をして。ちゃんと飯は食ってるのか?ずいぶん痩せたぞお前。店はどうしたんだ?ずいぶん荒れているが」
「いや……母親があんなことになって、店はもう完全に廃業なんです。そんで今はその後処理をやっているところなんです。親父はさっさと離縁するって決めて母親を切り捨ててしまったから、まあ、俺まで逃げるわけにもいかないんで、俺一人でなんとか片づけているんです。……あ!すんませんこんな汚いとこで。どうぞ上がってください」
部屋に入れてもらうと、店舗部分はもう空っぽの陳列棚が並ぶだけで閑散としていた。居住部分もほとんどの家財が運び出された後のようで、ラウはどうやってここで生活していたのかと心配になるほどだった。
「……親父さんは、後処理は手伝ってくれないのか?」
「親父は、この店は自分の名義じゃないから、土地建物の権利まるごと現物納して終わらせろって言っていたんです。でもそれだと取引先とかにも迷惑がかかるから、俺がちゃんと手続きして処理するって啖呵切っちまったんで、勝手にしろって言って喧嘩別れですよ。親父はもう船の上です。まあ、一応後処理が終わったらこっちに来いとは言ってくれましたけどね。行くかどうかは……」
丸投げして終わらせることもできたのに、取引先に不義理をするわけにいかないとラウは思ったようだった。最後に会った時のラウは、母親の逮捕で憔悴しきっていた。それでも、腐らず現実を受け止めてちゃんと後始末をつけようとしている。
ある程度はラウの自業自得なのだろうが、今の状況の全てがコイツの責任ではない。俺の責任じゃないと逃げ出さなかったことを、親ならば誉めてやるべきなのに突き放して放置していく父親の気が知れなかった。
最初にラウを見た時、短気で傲慢、それでいて卑屈という悪印象しかなかったが、色々話して打ち解けてみると、最初思ったような悪い奴ではなかった。
良くも悪くもまだ精神的に子どもで影響されやすいんだろう。きちんと説明して叱れば聞く耳も持っているし、一緒に過ごすうちに、ずいぶんと素直な性格になった。
まあ俺もコイツの無駄に偉そうな態度に腹にイラッときていたから、最初吐くほど働かせてやって、生意気なことを言うたび張り飛ばしてしごいてやったから、心が折れて従順になったのかもしれないが。
色々やらかしたとはいえ、こいつはまだ成人したばかりの若者だ。今のしおれた姿を見ていると、手助けをしてやりたい気持ちになる。
「……しばらくこの町に滞在するつもりだから、俺も手伝ってやるよ。全部ひとりでやるんじゃ大変だろ?俺はディアさんを送るために一緒に来たんだが、彼女の今後の身の振り方が決まるまではここにいるから、時間は結構あるんだよ」
「えっ?そういやディアと一緒に来たって……あ、裁判とかあるからか。クラトさんが手伝ってくれたらそりゃすげえ有難いですけど……もう店にはマジで金ないんですよ。なにもお礼できないんで……」
「お礼とか、ガキが気にするなよ。それよりお前夕飯食べたのか?まだならどこか飯屋に行こう。俺はこの町のことまだ分からないから、お前が旨いとこに案内してくれよ」
ためらうラウの背中を半ば無理やり押して、近くの食堂に案内させる。




