傍観者は語る 8
ディアさんの故郷の町へは順調にいけば半月ほどで着く。
その間、俺と彼女は色々な話をした。
自分でも、俺はこんなに饒舌だったのかと驚くほどだったが、よく考えると村では年寄ばかりで話す相手もいなかったので当たり前のことだった。
彼女は自分のことを『人づきあいが下手』だと言っていたが、そんなことはない。相手の話を聞くのが上手いし、言葉の端々に気遣いが感じられて、いつの間にか話すつもりもなかったことまで口にしてしまう。
旅のあいだも、雨や悪路で身体的に辛い状況でも文句のひとつも言わないで、俺や馬の心配をしてくれる。長い時間を一緒に過ごしても辛くない相手というのは案外少ないものだ。
ジローがなんだかんだ言って手放すのをためらった理由がよく分かる。彼女の隣は居心地がいい。
ある時、ディアさんが不思議そうにこう問いかけてきた。
「若い人たちがほとんど村を出てしまった時、クラトさんも村を出ようとは思わなかったんですか?」
「怪我を負ったというのもあるが、後継ぎである兄が居なくなってしまったから、俺が家を出るわけにもいかなくて……うちには借金があったから、受け取った報酬をそこで全部使ったら、もう出て行く資金も残っていなかったしな」
「そう……ですか……」
本来なら、兄も嫁さんをもらって、両親と家族みんなでしばらくは畑をやっていく予定だった。だからこそ、収益をあげようと農地を広げたのだが、それが全て不可能になってしまったので、借金だけが残ってしまったのだ。
兄は行方が分からなくなり、俺は一生治らない怪我を負って、働き手どころか厄介者となって帰ってきた。両親はその事実に呆然としていたが、いつまでもそうしてはいられないと、必死に働き始めた。
最初両親は、俺が生きていくのに無一文にさせるわけにいかないと言って報酬は受け取ってくれなかった。
自分たちで返していくから心配するなと言っていたが、その次の年に、心労が祟ってか相次いで亡くなってしまった。
残された俺は、親の葬式を出す気力も無くて、見かねた村長が全て取り計らってくれた。
借金は報酬で全部返し終えたが、それからはもう生きる意味も見いだせなくて、食事もほとんど摂らずただぼんやりと過ごすような日々が続いた。
自死しようなどと思っていたわけじゃないが、毎晩このまま朝に目覚めなければ楽なのにと考えたりしたから、今思うとまともじゃなかったんだろう。
そんな無気力に過ごしていた俺に、村長が『そんなに日がな一日暇にしてんなら仕事を手伝え』と言って家から引っ張り出してくれた。
村役場で働いていた者は皆辞めて出て行ってしまったので、村長が一人で村の業務全てを担っていた。人が減って業務も減ってはいたが、それでも力仕事や村外へ行く仕事などもあって、一人では到底無理な量だった。
年寄りたちは、自分らには難しいと言って手伝いもしない。
俺はそれを知ってあの人の助けになろうと決めて、村長が引退する時までは村に留まるつもりだった。
話の途中で相槌が返ってこなくなったので、ふと横に座る彼女のほうを見ると、少し涙ぐんで申し訳なさそうに小さくなっていた。
俯くディアさんに、俺は少し自分の話をしたくなった。
「ディアさん。ジローが君を突き放したことをどう思う?」
「どう……って、それは……納得できなかったですけど……」
曖昧な言い方だったが、少しも承服していないのが伝わってきた。
「ディアさんはジローの言うことに納得がいってないかもしれないが、俺はアイツの意見が正しいと思うよ。人の気持ちは変わるものだ。環境や年齢が変わってくれば、見えるものが違ってくる。ただ、好きだなんだという一時の感情だけではいつか後悔する時が来ると、俺も思うよ」
「……クラトさんも、ジローさんと同じことを言うんですね。なんで私のことなのに、お二人とも決めつけるんでしょうか……」
ディアさんは不満げにつぶやく。自分は違う、後悔などしないという思いがあるのだろう。
自分の気持ちが変わることなどないと信じ切っているディアさんの様子を、『若いな』と羨ましい気持ちで見ていた。
俺も若い頃は、そういうものを信じて疑わなかった。でも、愛とか恋とかなんてしょせんは一時の感情に過ぎなくて、変わらぬ想いなんてないんだと、年を重ねれば嫌でも思い知らされてしまう。
もう思い出すこともなくなった過去の苦い記憶を久しぶりに掘り起こして、ディアさんに向かって言う。
「納得がいかないよな。俺もきっと君と同じ歳の頃に同じことを言われたら、絶対に否定したと思うよ。でも、俺が『人の気持ちは変わる』と断言するのは、自分が経験したからわかるんだ」
俺には結婚を約束した女の子がいた。
同い年で、小さい頃から知っていた相手だった。
だからお互いの良いところも悪いところも全部知っているというような気心が知れた間柄だった。
俺よりも彼女のほうが俺に惚れてくれていて、将来お嫁さんにしてほしいと彼女から言ってくれた。
だから俺たちは、子どもの頃から将来を誓い合っていた。
子どもは何人欲しいとか、どんな家に住みたいとか、そんな夢物語みたいな話だったけれど、彼女と思い描く未来が叶えられると信じて疑わなかった。
おじいちゃんおばあちゃんになってもキスをする夫婦になろうね、とはにかみながら言っていた彼女が、この先ずっと自分の隣にいると当然のように思っていた。
傭兵仕事に参加したのも、彼女と結婚するために先立つものが欲しかったからだ。
村に残るにしても独立して家や畑を買う資金が欲しかったし、移住するならなおさらまとまった金が必要だった。
それが、金のために行った傭兵仕事で、俺は一生治らない怪我を負ってしまった。
村に帰ってきた俺の姿を見て、彼女はその場で泣き崩れた。
左目は怪我のせいで視力が衰え、左足は満足に動かせない状態で、傷は今でこそさほど目立たなくなったが、当時は縫合した傷や、やけどの跡が生々しく、親ですら俺を見て目を逸らすほどだった。こんな体になってしまっては、畑仕事も満足にできない。思い描いていた将来設計が全て壊れてしまって、彼女にはひたすら謝るしかできなかった。
それでも俺は、どうにか生計を立てる道を考えるから心配しなくていいと、泣く彼女を慰めた。
正直、この村で農業以外の仕事で生計を立てていくのは難しいから、他所の町に出るかと考えていた。幸い報酬と別に傷病手当金も満額でもらえたので、数年は生活に困らないくらいにある。大きい町なら、選り好みしなければ何かしら職にありつけるだろうし、彼女と二人ならきっとなんとかなると俺は思っていた。
だが、彼女は俺の怪我が完治する見込みはないと知ると、他の若い娘たちと一緒に村を出て行ってしまった。
彼女とは、子どもの頃から気持ちを確かめ合って、家族よりもずっと近しい存在だった。一生この人だけだと思っていた。心変わりするなどあり得ない、と彼女もよく言っていた。その言葉を俺は信じられると思っていたし、俺も同じ気持ちだった。
「なにがあっても一生そばにいる……なんて語り合ったこともあったはずなのに、彼女は俺が使いものにならないと分かった時から、すぐに村から逃げ出す算段を整えていたんだ」
俺は自分の過去をディアさんに話して聞かせた。
女に逃げられただけの情けない話だから、今までほとんど人に話したりしてこなかったが、恥を忍んでもディアさんには話す意味があると思った。
ディアさんは先ほどから相槌も打たず青い顔で話に聞き入っていた。俺が少し黙ったところで、ディアさんがためらいがちに質問してきた。
「クラトさんは……その彼女を、恨んでいないんですか?」
「まあ、最初は俺も納得がいかなかったけどな。でも逃げて当然だよ。兄貴が居なくなったから俺が家を継がなきゃいけないのに、俺は一生治らない怪我を負っていて、畑仕事ができる状態じゃなかった。報酬があったって、家の借金で全部無くなるくらいの額だ。
こんなのと結婚したら絶対不幸になると逃げ出したくなるのも無理はない。他の若い娘もどんどん村を出て行ってしまっていたしな。彼女だけを責められないと気付いたんだよ」
将来を誓い合った頃の彼女の言葉が嘘だとは思っていない。あの時は本当にそう思っていたんだろう。ただ、状況が変わっただけだ。状況が変われば人の気持ちだって変わる。当然のことだ。
「だから、ディアさんも今はジローに対して恋情のような気持ちを抱いているかもしれないが、それが一生続くとは限らないだろう?年の差のあるジローは君よりずっと早くに亡くなるだろうし、ジローがいなくなった後、どうやって生きていくか想像したことがあるか?子どもも財産もないひとりぼっちの余生を送るなかで、後悔する瞬間が絶対にないと本当に言い切れるか?それよりも前に、やっぱり子どもが産みたいとか思うかもしれないだろう?
年を重ねれば人の気持ちも変化してくる。ジローが君を突き放したのは正解だと俺は思っているよ。君はまだ若く世間知らずで、今はただジローに依存しているだけだ」
ディアさんはなにも言わないで俯いていた。キツイことを言ったから、泣いてしまうだろうかと思ったが、彼女はただ黙って下を向いているだけだった。
彼女に気づかれないように、俺も下を向いて深く息をついた。
『逃げて当然だ』と、なんてことなさそうに言ってのけたが、答えながら声が震えそうになり、自分でも思っている以上に過去を思い出して動揺していた。ディアさんにそれがバレやしないか内心は冷や汗をかいていた。
悟ったような振りをして偉そうに説教したが、みっともないことに、いっそ戦争で死んだほうが良かったのかもと、これ以上ないくらい落ち込んで、当時はどうしようもなかった。
でも本当に死んだ奴らは、どんなことをしても生きたかっただろうなと思って、生き延びた者の使命だと考えるようにしてなんとか立ち直った。
でも結局俺は、それからもう何かになりたいとかどうなりたいとかの希望を見つけられなくて、その後の俺の人生は、なにするでもなく惰性で生きてきたようなものだった。
ジローは自分のことを『もう余生みたいなものだ』と言っていたけれど、俺もそうだったのかもしれない。
ディアさんが彼女と同じことをするとか言いたいわけじゃないが、きっとディアさんも、歳を重ねてこれからいろんな経験をしていくうちに視野が広がって、今まで見えなかったものが見えて来るようになる。そうして自分の選択を後悔する時がくるんじゃないかと、ジローは思うんだろう。
ジローの気持ちはよく分かる。たとえディアさんが後悔していると口に出さなくとも、そう思っているのが伝わってきたらとても耐えられない。すぎてしまってから後悔させるくらいなら、今突き放して離れたほうがお互いのためだと、年長者として決断したのだろう。
ジローには、できるだけディアさんの生活環境が整うまで面倒見てやってくれと頼まれている。
確かにこの子を放っておくと悪人の食い物にされてしまうと心配するジローの気持ちがよくわかる。芯の強いしっかりした子に見えるのに、世間知らずで人の悪意に鈍感すぎるし、自分を大切にしていない。家族に大切にされた経験がないからだろう。幸せの基準がきっと著しく低い。
もしまたあの子の両親や逮捕された女将のような人間につかまってしまったら、同じように利用されてしまうに違いない。
この子にちゃんとした後見人となってくれる人に預けるまで、俺が面倒を見なければいけないなと、考えていた。
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