傍観者は語る 7
最初、兄が昨日いたはずの治療院のベッドにいないので、またジローとなにかあったんじゃないかと疑ったが、ジローは縛られたまま鍵のついた部屋にいた。
兄の部屋を調べてみると、荷物が無くなっていて、枕の下に置手紙が残されているのを発見した。
手紙は俺宛てで、『家族を頼む』とだけ書いてあり、何故ともどこへとも書いてはいなかった。
拘束を解いたジローにも兄が居なくなったことを告げ、なにか思い当たることはないかと訊ねたが、『俺が知るかよ』というだけで、昨日のことについても何も語ることはなかった。
兄がいなくなる理由が分からず、なにか事情があるんじゃないかとあちこち聞きまわって、兄の行方を捜した。本当ならもう村に帰る用意が済んでいたのだが、兄がいなくなったことで数日延ばしてもらうなどの手配をして俺たちの宿舎は混乱状態だった。
そして気が付けばジローもいつの間にか居なくなっていた。
ジローまでも行方不明か?!とまた仲間たちが大騒ぎしたが、俺たちの宿舎を管理してくれている軍の上官が『アイツはもう報酬を受け取って別の仕事に就くと言って出て行った』と教えてくれた。
村には帰らないとは言っていたが、あまりにも唐突で、わざと俺たちに気付かれないようにして出て行ったことに皆不信感を持った。兄が居なくなったすぐあとだったのでひょっとしてジローは兄を追いかけて行ったんじゃないかと誰かが言い出した。
ジローが『殺してやる』と兄に言った台詞が頭に蘇る。
あの時の殺してやるという言葉は脅しじゃなく本気のように見えた。
だから兄も身の危険を感じてこの場を離れたのだろうか。
まさかとは思うが、本当にジローは兄に復讐するつもりで追いかけていったのではないかと俺も不安になった。
兄の安否が気にかかったが、怪我で満足に動けない状態では探しに行くこともままならない。皆に、ジローと兄を探しに行ってくれないかと頼むが、自分たちもジローにとって復讐対象なのかもしれないのだから、そんな危険な真似できないと言った。
殺してやると叫んでいたジローは狂気に満ちていて本気で兄に殺意を向けていた。
あれほどの憎しみを抱きながらも、長年親友として仲がいいように振る舞っていた。いつか復讐の時を狙って、親友を演じ続けていたのだろうか。もしそうだとしたら、どれだけの恨みをジローは内に溜め込んでいたのかと、想像するだけでも恐ろしかった。
やはり敵に情報を漏らしたのはジローに違いない、きっと俺たちを憎んで死ねばいいと思ってわざと敵に教えたんじゃないかと再び言い出す者も現れた。
いつもおどけて明るく振る舞っていたのに、腹の中では自分たちへの恨みが渦巻いていたなんてまともな人間の感性じゃない。そういう奴ならどんな非道なことだってやりかねない。
そう言われると誰も否定できず、真実は分からないけれどその可能性はあるかもしれないと皆が思った。
そして、誰ともなく『村の人間みんなを恨んでいたのなら、兄だけじゃなく自分たちにも復讐に来るつもりなんじゃないか?』と言い出した。
確かにそれは……と思ったところで、ジローを責めた奴らがサッと顔色を変え、心底怯えた表情になった。
ただでさえ恨まれていたのに、根拠のないことでジローを犯人扱いし口汚く罵ったのだから、ジローが狙うのはまず自分たちなんじゃないか……と思ったようで、身に覚えのある奴らは急に不安になったようだった。
一度芽生えた不安は伝播し、身に覚えのある奴らが『自分たちも村に帰るのは危険だから別の町に行く』と言い出した。
なにもかも憶測に過ぎないのだから早まるなと言っても、彼らは俺たちの言葉も聞かず、数人で示し合わせて、あっという間に手続きをして出て行ってしまった。
兄、ジローに続き、何名も村の仲間が離脱していったせいで、残された者たちには言いようのない不安と焦りが広がっていった。
このまま村に帰っても、何故こんなに帰ってこない者が多いのか、なにがあったのかとしつこく問い詰められるのは目に見えているし、戦死者が多くでたこと、ジローのこと、兄のことを戻った者が説明しなくてはいけなくなる。
家族は泣くだろうし、どうして引き止めなかったと戻ってきた自分たちを責めるだろう。
そんな面倒なところにわざわざ帰りたくないと思うのは当然だった。
ちょうど手元には多額の報酬がある。どこかでしばらく遊んで暮らせるだけの金があるのだから、わざわざ厄介ごとが待っている故郷に、なにも急いで帰らなくてもいいじゃないか。どこかで少し骨休めをしようなどと言い出す者が現れ、
後継ぎでない次男や三男などの身軽な奴らがそれに同調して一気に出て行ってしまった。
結局残った者だけで村に帰ることになったのだが、その人数は、行きの時の三分の一にも満たなかった。
村に戻ると、出迎えた家族たちがその人数の少なさに驚いて、他の者はいつ戻るんだ、と騒ぎになった。
死亡者には軍から通知と見舞金が渡されるので、戦死したことは家族に知らされるが、死亡していないのに帰ってこない者がいるのはどういうことなんだと村中が大混乱になったが、軍は関係がないことなのでなにも教えてはくれない。
俺を含む戻った者たちは、何度も何度も詰問され時に責められたりもしたが、その問いかけに対し完全に口を噤み、『知らない、分からない』を貫き通した。
仲間がたくさん死んでしまったことも、ジローのことも兄のことも、出て行った奴らのこともどう説明すればいいのか分からなかった。
だがこの話はここで終わらない。家族が戻らない混乱がようやく収まった頃、戻らなかった者たちの婚約者や嫁が、次々村を出て行ってしまったのだ。
村外から手紙で呼び寄せられた者もいたようだが、夫の戻らない婚家で一生を送るなんて嫌だと決起した嫁たちが、示し合わせて逃げたらしい、とある日年寄どもが大騒ぎしていた。
女たちが逃げたことを年寄どもは恩知らずだの薄情だのと激しく罵っていた。
だが、夫のいない女がこの村ではどのような扱いを受けるのか、女たちはジローの母親をみて嫌というほど分かっていた。
家長がいない家だというだけで、その母子は村人の誰よりも下の扱いを受ける。男衆がする仕事の協力をできないからとへりくだって皆に謝罪して小さくなって生きなければならない。
女たちはそういうのを間近でみてきたのだから、自分に訪れる未来が分かっていて逃げないわけがない。
女たちが逃げ出すのは当然のことだった。
そう教えてくれたのは今の村長だ。村の年寄りたちは今でもそういう女たちの事情が理解できていないようだが、村長は以前村を出て働いていたので、村の悪い部分を俯瞰して見られる人だった。
俺はそれまで、ジローがどうしてそれほどまでに兄や村の人間を恨んでいたのか分かっていなかった。
ジローの被害妄想で、逆恨みもいいとこだと思っていた部分もあったが、女たちが『ああなるのは嫌だ』と言って逃げ出すほどの扱いをジローの母親は受けていたのだと知った。
女たちが出て行ってしまうと、残っていた若い世代の人間も、もうこの村に未来を見いだせないと言って次々離村して行き、結局村にいた若い者のほとんどが出て行ってしまった。
こうなるともう、この村は終わりだ。
年寄ばかりのこの村に新たな移住者が入ってくるわけもなく、いずれは廃村になるのが目に見えていた。
年寄りの多くはいくら言っても理解しようともしていなかったけれど、この村の状態は全て、自分たちが招いたことだ。
自分たちのしてきた差別の結果が、こういう形で返ってきただけだ。
***
「……ジローさんが、そんな……」
「ジローが村の人間を恨む気持ちは当然だと思う。だが兄はジローのことをずっと気にかけて、兄のできる限りで庇ってきたはずだ。
言葉を間違えたり、上からの物言いだったりしたことがあったのかもしれない。でもそれならもっと早く直接言えばよかっただろう?少なくとも兄はジローを親友だと思っていたのだから、話し合えば解決の道があったはずだ。
それをせずただ恨みを腹に溜め込んで、今更になって兄の好意を偽善だと罵ったジローをあの時の俺は許すことができなかった」
「でも……」
ディアさんはなにか反論しようと言いかけたようだったが、そのまま黙ってしまった。多分俺の気持ちを慮ってくれたんだろう。
あの時俺たちは、戦争という非日常で強烈な体験をいくつもした。誰もがまともな精神状態じゃなかった。
ジローだってきっとそうだった。あの時兄に言ったという言葉も、もし戦争に行かず村で平和に暮らしていたら、一生出てこなかった言葉だったのかもしれない。
だからあれがジローの本音の全てだとは今は思っていない。
ディアさんに対する気遣いや優しさを見るたびに、昔の面倒見のいいジローのことを思い出し、あの頃のことを責める気持ちは薄れていった。
いつの間にかまた軽口を言い合える間柄に戻っていたけれど、これはディアさんという存在があったからに他ならない。
「……と、昔はジローを許せない気持ちでいたけれど、今は違うから、ディアさんが心配しなくても大丈夫だ。最初に再会した時に、一方的にジローを責めたことを俺も今は後悔しているんだ」
俺がそう言うとディアさんはホッとしたようで、表情が緩んだ。
「教えてくださってありがとうございました。村の事情とかも分かってよかったです。あの……それで、クラトさんのお兄さんは、それからずっと音信不通なんですか?」
「あ、ああ。そうだな。全くあれ以来音沙汰なしだ。正直、落ち着いたら手紙くらいくれるかと思っていたんだがな」
俺がそう答えると、彼女はまた何かを考えこんでいた。




