傍観者は語る 6
ギスギスした雰囲気が続いたまま村へ帰る準備が進んでいたが、出発日が決まったところでジローが、『俺は村に戻らない』と宣言した。
しかももう、知り合いの軍人に話をつけて、軍隊での仕事をあっせんしてもらう手筈を整えているし、村とは別方面の隊に同行させてもらうことが決まっていると言った。
「お望みどおり俺は村から出て行ってやるよ。もう二度と村には帰らねえ。腐った根性の人間が寄り集まった村になんて誰が帰るか」
そう言われて、ジローを責めた奴らは後ろめたく思ったのか、悪かったと何度も謝罪し、必死にジローを引き留めていた。だがジローは聞く耳を持たず、もう完全無視を決め込んでいた。
こんなことになる前は、責めた奴らもジローと仲が良かったし、年下の奴らは、面倒見のいいジローに色々助けてもらっていた。一時の感情で暴言をぶつけたことをとても後悔し、なんとかジローに思い直してもらおうとしていたが、ジローは話をすることすら拒んだ。
そこで皆が、親友である兄から話をしてくれと頼みこみ、兄も自分の迂闊な発言がもとでこうなっているので、その謝罪も含めジローと二人で話をしてみると言ってくれた。
兄がジローに『二人だけで話す時間をくれないか』と頭を下げて懇願すると、さすがに無視はできなかったらしく、少しだけなら、と言って了承した。
その日の夜に兄とジローは、他の奴らに口を挟まれたくないからと療養所の外で二人きりで話をしていた。
俺は、ジローが違うと言っているのに聞く耳を持たなかったのだから、どう考えても責めた奴らが悪いと思っていた。ひどい目に遭って傷ついていたのはジローだって同じだ。そんな時に仲間だと思っていた奴らにいきなり罵られ責められたのだから、どうしたって今まで通りの関係に戻るのは無理だ。
でも村にはジローの母親もいる。
こんな勢いだけで出て行ってしまったら後々後悔するだろう。
兄とジローは親友なのだから、少し揉めても最終的にはジローが説得に応じるだろうとこの時は思っていた。
二人がなかなか戻ってこないなと皆がそわそわしていた時に、『ぎゃあああああ!』と兄の叫び声が響き渡った。
慌てて皆が外に飛び出し、俺も痛む足を引きずりながら外へ向かった。
そこには、頬から血を流す兄と、皆に押さえつけられているジローがいた。
「なにがあった?!ジロー?!兄貴、どうしたんだ?!」
兄は右頬を両手で押さえていたが、指の隙間からだらだらと血が流れている。
抑え込まれるジローの右手には、小刀が握られていて、その刃先には血がついていた。
状況からして、まさかジローがやったのか?!と思い抑え込まれているジローを見ると、アイツは血走った目で兄を睨みつけながらこう叫んだ。
「放せっ!アイツだけは許せねえ!殺してやるッ!!放しやがれェ!」
何がどうしてこんな事態になったのか全く分からないが、兄を傷つけたのは間違いなくジローのようだ。数人がかりで抑え込まれながらもまだ刃物を兄に向けようとするジローの姿を見て、俺はどうすることもできなかった。
「おいッ!誰か縄持ってこい!ジローは頭が冷えるまで閉じこめておけ!」
皆で『落ち着け!』と声をかけても、興奮したジローの耳には届いていない。話ができる状態ではなかったので、落ち着くまで手足を拘束して鍵のかかる部屋に閉じ込めることになった。
ひとまずジローのことは置いておいて、兄の怪我を治療しなければならないと、急いで治療院に運んだ。
兄は治療院で頬の傷を縫われたが、刺し傷ではなく刃先がかすめただけなので出血の割にはそこまで重症ではなかった。
何が起きたのか、ジローには聞けそうにないので兄に事の次第を聞くと、ためらいながらも全てを話してくれた。
兄はあの時、『自分が余計なことを口走ったせいでこんなことになって申し訳ない』とジローに謝り、そしてほかのみんなもひどいことを言って後悔して反省もしていると伝えた。だから一緒に村に戻ってほしいと頼んだが、ジローは頑として譲らず、『絶対に村には戻らない』の一点張りだったという。
そこで兄は、『母親はどうする気だ』と、親のことを引き合いに出したそうだ。
ジローの母親は、村では浮いた存在で親しい者も頼れる者もいない。それを分かっていて見捨てていくのか、家族を捨てて行った父親と同じことをしようとしているんだぞ、本当に一人ぼっちにする気か、などと、責めるようなことを言ってしまった。
すると、ジローは途端に激高し、『それはお前等のせいだろうが!』と怒鳴り始めた。
母親が、他に頼れる人がいないのはお前らが俺たち親子を差別してきたからだろうと怒り、これまで自分と母親が村でどれだけ差別され虐げられてきたのかを語りだした。
兄はジロー親子を取り巻く環境が決して良くないと気付いていた。だからこそジローをできるだけ庇ってきたつもりだったが、ジローは兄や友人たちもそれを見て見ぬふりをしていたと言って兄を責めた。
兄にしてみれば寝耳に水の話だった。
見て見ぬふりなんてしていない、むしろジローが困っている時はできるだけ手助けしてきたつもりだし、ジローの家庭環境を理由に仲間外れにしようとする奴がいたら諫めてきたと言ったが、そう言った兄にジローは『お前のその偽善者ぶった態度が昔から嫌いだった』と言い出した。
諫めてきたなどと偉そうに言うが、『ジローは父親が居なくて辛いんだ、優しくしてやれ』などと言うだけで、庇うどころかむしろ貶めていた。それを憎みこそすれ、感謝などするわけがない。厚かましいにもほどがあるなどと言われ、兄もあんまりな言われようについカッとなってジローを殴ってしまった。
ジローのためを思って庇ってきたのに、人に感謝もできないような人間だから、お前もお前の母親も村でのけ者にされるんだろう!とつい口走ってしまうと、それを聞いたジローは発狂したように叫びだしたという。
ずっと俺を馬鹿にし続けたお前だけは許せねえ!殺してやる!と叫んで、小刀を兄に突き付けた。もみ合いになっているうちに、兄の頬をかすめてしまってざっくりと切れてしまって、命の危険を感じた時に皆が駆けつけてくれて、刃物を持ったジローを取り押さえてくれたのだ、と疲れた様子であの時の詳細を俺たちに語って、ため息をついた。
俺はそれを聞いて、まさかあのジローが……と驚いたが、それがジローの本音だったのかと知って、これまで自分はジローの何を見てきたのだろうと情けなくなった。
それはほかの皆も同じだったらしく、ジローにそれほどまでに憎まれていたことに衝撃を受けていたようで、親友同士だと思っていた兄にすらためらいなく刃を向けるジローの憎しみの深さに恐怖を覚えているようだった。だがそれと同時に、勝手な逆恨みだと憤る者も少なくなかった。
それからは、今後ジローと自分たちはどうすべきなのかと話し合った。
兄はまだケンカの興奮が冷めやらぬ様子で、ジローの言うことは逆恨みだ、自分たちが謝るようなことではないと言って怒っていた。そんなに村が嫌いで出て行きたいなら出て行けばいいと吐き捨てて、それに賛同する者も多かった。
だが、ジロー母子が村で差別的な扱いを受けていたことは事実で、逆恨みだと思うなら尚更このままケンカ別れしてはいけない、ちゃんと誤解を解いて、ジローが村で不満に思うことを改善していこうと提案すればきっと分かってもらえると、ジローと仲の良かった友人らが言ったことで、他の皆ももうこれ以上争いごとは避けたいと口々に言いだして、明日ジローともう一度腹を割って話し合おうという結論に至った。
だが翌日、思いがけないことが起きていた。
兄が姿を消したのだ。




