傍観者は語る 3
まだ酒が抜けていないのか酒臭い息でさらに絡んでくるジローが面倒になってきたので、俺は荷物をさっさとまとめて家を出た。最後までなにか言いたげな様子だったが、自分で手を離すと決めたのだからアイツも未練を断ち切るしかない。
小さな馬車を用意してディアさんの家に向かうと、彼女はもう準備を終えて俺を待っていた。
「行こうか」
そう声をかけると、彼女は軽く微笑み、狭い御者台の隣に乗ってきた。
後ろの座席でいいのにと言うと、『クラトさんと話をしたいから』と軽く微笑みながらさらりと返してきて、肩が触れるくらいの位置に腰かける。恋人や夫婦の距離だぞと言いたくなるが、彼女がそんなつもりじゃないというのは普段の様子から分かっている。
普通の男だったら確かにこれは自分に気があるのではと勘違いしてしまうだろう。ジローがあれだけ心配するだけのことはある。
そういうことも忠告したほうがいいのだろうかと一瞬思ったが、ラウにはあからさまに距離をとっていたので、俺に対しては完全に保護者枠として気を許してくれているのだろうと考え、ひとまず彼女の話を聞くことにした。
「なにが聞きたいんだ?」
だいたい予想はついていたが、あえて聞いてみると、その返答は案の定だった。
話しにくいことなら話さなくてもいいんですが、と前置きしながら彼女は恐る恐る俺に尋ねた。
「クラトさんとジローさんは昔に何かあったんですか?最初に会った時に言っていたことが気になって……」
「ああ、そのことか……別に話しにくいというわけではないんだが……」
勝手に聞いたら、またジローさんに嫌われちゃうかもしれないんですけど……とうつむきながら彼女は言う。
「ジローさんは村を嫌っているみたいなんですけど、そのことを聞こうとするといつも話を逸らされちゃって、結局あの人のこと、私は何も知らないんです。クラトさんは最初ジローさんを嫌っているように見えたんですが、過去に何かあったんですか?差し支えない範囲で構わないので、昔のことを教えていただきたくて……」
ディアさんを自分の故郷に連れてきたわりには、自分のことをなにひとつ話していないらしいジローのほうにどう考えても問題がある。あれほど近しい雰囲気で一緒に暮らしていたというのに、彼女はジローのことを全くと言っていいほど知らなかったらしい。
「いや、差し支えないというか……ディアさんはあまり聞きたくない話かもしれないが……俺がジローを嫌っていたのは、俺の兄貴と関係があるんだ」
その前に、子どもの頃の話からしようか、と俺は言って、昔のことを思い出しながら語り始めた。
***
俺には一人、兄がいた。
兄は子どもの頃から出来が良く、同じ年ごろの子と比べて背も高く力も強かったので、友達のなかで一目置かれるような存在だった。
友達同士のケンカやもめ事なんかがあると、みんな兄を頼って相談したりするので、皆に信頼されている兄が俺の自慢で憧れだった。
兄には友達が多く、俺は一緒に兄たちと一緒に遊びたくてついて行きたがったが、年下のちびだった俺はいつも置いてけぼりだった。
でも、その兄の友達の中でひとり、俺やほかのちび共を気にかけてくれて、一緒に連れて行ってくれる奴がいて……俺はその兄の友達によく懐いていた。
「その、兄の友達というのがジローだ。昔っからお調子者だったが、子どもの頃は面倒見がいい、優しいやつだったんだ」
「私からみると、今のジローさんも面倒見がよくて優しい人です。クラトさんもそのころは仲良しだったんですね」
「まあ……小さい時は友達というか、面倒見てもらっていたというほうが正しいけどな。兄もけっこう悪ガキで、やんちゃなジローと二人していたずらや度胸試しなんかして、大人に怒られていたけど、俺は小さい時はそういうのがかっこいいと思って、くっついていきたがったんだ」
兄とは親友と呼べるくらい仲がよく、二人は何をするにも一緒だった。
子どもたちの大将は兄だったが、それを助ける参謀みたいな存在がジローだった。
兄たちの遊びについていけないチビでも邪険にせず、みんなを引っ張って行ってくれるジローのことが俺は好きだったし、小さい子や女の子にも分け隔てなく接してくれて面倒見のいいアイツはみんなに好かれていた。
でもジローの家は少し村では浮いた存在だった。
ジローの家は父親が居ない。詳しいことは知らないが、どうやらジローが赤ん坊の頃に蒸発してしまったらしい。
だがジローの母は、夫がいつか帰ってくるかもしれないからと、帰ってくるその日まで家を守ると決め、この村に留まり続けた。
母親もよその土地から来た人で、村に親戚などもいなかったため助けてくれる人もおらず、ジローの家は当時からずっと経済的に困窮していた。そういう状況のため、村で行われる行事の奉納金などが払えず、当時の村長の好意で免除にしてもらっていたと聞いたことがある。
その待遇を快く思わない者も少なからずいたようだった。
ただでさえ父親が居ない家ということで、男衆がする色々な村の雑務に協力していないのにさらに特別待遇かと不満を漏らし、ジローの母に対してよく思わない大人もいた。
ジロー母子に対しあからさまな嫌がらせをする者もいたが、そういう輩を村長が窘めたところ、ジロー母とよからぬ関係なんじゃないかなどと噂を立てられたりしたので、誰も表立ってジロー母を庇うことができなかったと、のちに村長が話していた。
当時は子供だったのもあって理解していなかったが、今思い返せばジローの家は明らかな差別を受けていたと思う。
お祭りの時にはジロー母子は参加させてもらえなかったし、村全体で仕込む冬支度の保存食作りにもジローの母は呼ばれないから、あの家には村で作る保存食は配られていなかった。
ジローも友達の祝い事などで他の子どもたちは皆よばれているのにジローだけは来ていない、ということもあった。
ひとつひとつ小さなことかもしれないが、子どもだったジローにとっては理不尽で耐えがたいことだっただろう。
そういう大人たちの差別的な空気は、本来なら子供たちにも伝染しそうなものだが、明るく面白いジローは子どもたち皆に好かれていて、友達は多かった。兄とはずっと親友で、少なくとも子どもたちの中ではジローは仲間外れにされたりしていなかったように思う。
だが、そういう村の環境のせいか、ジローは成長するにつれ段々素行が悪くなり、一人で行動できる歳になると、母親の手伝いもせず時々ふらっと村からいなくなるようになった。
どこかの町で悪い遊びを覚えただの、ろくでもない友人ができたらしいだのと色々言われていたが、遊ぶだけじゃなくどこかで日雇いの仕事もしているようで、ちゃんと金を稼いで帰ってきていた。
とはいえ家の畑があるのに村外で金を稼ごうとするジローを年寄たちは快く思わず、そのころにはずいぶんと悪し様に言われていたが、本人はどこ吹く風で、村の女の子にたびたびちょっかいを出しては揉めたりして、この頃にはジローはすっかり村の問題児になっていた。
ジローは村からしょっちゅう出て行ってしまうので兄や友人たちともしばらく疎遠になっていたが、村に戻ってきた時には一緒に飲んだりして、なんだかんだと親しく付き合っていた。
兄たちも村の外の話は面白いらしく、ジローも、割のいい仕事にありつけたので奮発してどこどこの娼館に行ったなどと友人たちに自慢したりしていて、俺はいつもそれをあきれて聞いていた。
そして、ジローは村に居る時は見るたび違う女の子を連れて歩いていた。そんな不誠実な男だと言うのに、仕事で行った先の町で珍しい食べ物や装飾品などを女の子に土産として色々あげていたからか、村の女衆には人気があった。
だが、ある時ジローはついに兄の恋人にまで手を出してしまった。
アイツはほかの女の子にするのと同じように遊び半分でちょっかいをかけただけだったと兄には言い訳していたようだが、当然兄は激怒し、これをきっかけにジローと兄はしばらく険悪な時期が続いていた。
結局、ジローが兄に平謝りして、今後は村の女の子に手を出さないと誓って二人は仲直りした。
だが俺は、親友である兄の恋人にまで手を出す節操のなさに嫌悪感を抱くようになっていて、このころからジローを避けるようになった。
親友の恋人に手を出す神経が分からないし、そもそもあちこちの女の子に手を出すような不誠実さが俺には受け入れられなかった。




