傍観者は語る 1
しばらく別視点でお話が進みます。
ジローに『ディアさんを頼む』と言われ俺は、複雑な気持ちでそれを了承した。
昨日、突然夜も更けた頃にジローがうちに来て、『今日泊めてくれ』と言ってきたので驚いた。
ディアさんとケンカでもしたのかと訊ねると、最初は口ごもっていたが、仕方なく家にあった酒をふるまってやると、酒が回ってきたあたりで、俺にディアさんの保護者になってくれ、お前が町へ連れて行ってやってくれと言い出した。
そこから『なに勝手なことを言っているんだ』とケンカになってしまった。
村にきた当初は、確かにディアさんもジローに対して同居人以上の感情はないようだったが、冬を越えたあたりからお互いを見る目が変わっていったように感じた。
そしてディアさんがラウの母親に連れ去られた時、ジローは鬼の形相で駆けずり回って間一髪のところでディアさんを助け出した。探し出すのは難しいかもしれないと思っていた俺はジローの執念に近い行動力に感嘆したし、助け出されたディアさんもアイツにしがみついて離れなかった。ジローが席を外すと不安がって怯えることがしばらく続いた。その姿を見て、俺はもう二人のことに口を出すのはやめようと思ったのだ。
この件でディアさんは家族も恩人もなにもかも失ったのだ。心のよりどころとなるのはもうジローしかいない。
その二人に口出しする権利など俺には無いと思った矢先の事だったので、ここまできて今更投げ出すのかと、アイツの無責任さに腹が立って、そんな頼みは聞き入れられないと最初は突っぱねた。
だが、ケンカしながらもアイツの話を聞いていると、以前は考えなかったディアさんの幸せをちゃんと考えるようになったのだと言う。
このまま彼女の人生を消費させるだけの自分と一緒にいてはいけないとようやく決心がついたから、断腸の思いでお前に頼みにきたんだと泣き出したので、さすがに受け入れざるを得なかった。
話を聞いてくれというので、仕方なくまた酒をふるまう羽目になり、こうしてどうでもいいアイツの愚痴に付き合っている。
自分はあの子にふさわしくない、彼女のために身を引いた、だなどと訳の分からないことをごちゃごちゃ言っていたが、どうやらいきなりウチに来たのは、ディアさんに別れを告げたら泣かれたので、どうしたらいいかわからず逃げてきた……ということらしい。
俺は涙ながらに語るジローにあきれ半分で話を聞いていた。
本音を言うと、いい歳をしたオッサンが初めて恋をした青少年みたいな台詞を吐いていることにドン引きだった。酒が抜けたらコイツは自分の発言を思い出して悶絶するんじゃないか?
「それで?ジローはどうするつもりなんだ?」
「……あ?だから前も頼んだように、クラトがディアさんを故郷の町に連れて行ってやってくれよ。お前がやっていた仕事は俺がやっとくからさァ。なんならお前もそのまま移住しても構わねえよ。どうせ離村するつもりだったんだろ?ちょうどいいじゃねえか。
あ、でも旅の途中、ディアさんと二人っきりだからって手を出すなよ?!クラトはいい男だけど、ディアさんとは歳が離れすぎているから、夫としてはちょっとな。ディアさんにはもっと若くていい男で……エロ君みたいなんじゃなくて、下半身が緩くない真面目な奴でないと……」
「言われなくてもお前じゃあるまいし、あんな若い子に手を出したりしないよ。他の人に頼むのも心配だしな、俺がディアさんを町まで送って生活基盤が整うまで手伝うよ。だが、ディアさんが裁判などの用事が終わったらお前がいるところに戻ると言うんじゃないか?そうしたらまた俺も彼女を送って村に戻ることになるだろう?だったら移住はそのあとまた検討するから、家はこのままにしておいてくれ」
「ディアさんは戻らねえよ。今は俺しか身近な人がいないから慕ってくれているけど、町に帰ればきっとあの子はお姫様みたいに大歓迎されるだろうし、親のことがあっても、あの子の勤勉さは知れ渡っているから、縁談も山ほどくるだろうしなァ……町の良さを実感して、まともな環境に馴染んだら、こんな不便でつまらねえ生活に戻りたいなんて思わねえだろ」
そう自嘲してジローは手酌でうちの酒をがぶがぶと飲んだ。ちなみにそれは俺のカップだと思ったが、黙っておいた。
そりゃあ、あの働き者で美人なディアさんだったら商売をしている家でなくとも嫁に欲しいと思うだろう。
だが実際のところ、ディアさんはこのどうしようもないオッサンを好いているらしい。
なんでよりにもよってコイツなんだろう。
年齢差もあるが、なによりだらしない仕事もしない金もない中年男なのだ。
たとえ恩人だとしてもあんな若い娘であれば一緒に暮らすのは普通嫌がるのではと思って、最初の頃は本気であの子はジローに騙されているか洗脳されているのではと心配していた。
だが話してみれば非常に頭のいい理性的な女性で、騙されているわけではなさそうだなと思って、余計に心配になった。
まあ、聞くと不幸な生い立ちらしく、自分を虐げる者ばかりが周囲にいたから、ジローのようなちゃらんぽらんでもいい人に見えたのだろう。
「まあ、そうだな。ディアさんなら周りが放っておかないだろう。恵まれた環境で過ごせば、わざわざこんな寂れた土地にいるお前の元に戻るなんて馬鹿らしくなるもんな。よかったじゃないか。ジローが望んだとおり、きっとあの子は幸せになるよ。俺もあの子の幸せを見届けてから帰ることにするよ」
わざとらしくジローが自分で言っていたことを揶揄して言ってみると、あからさまに傷ついたような顔になり、ぐずぐずと鼻をすすりだした。中年男の泣きべそなんて鬱陶しいことこの上ない。
「おい、泣くなよ。ディアさんの幸せのために、自分で彼女を手放すことを決めたんだろ」
「そうだけどさァ……もうディアさんの顔も見られないのかと思うとさァ……畜生、やっぱ一回くらいおっぱい揉んでおけばよかった」
「お前今すぐ出ていけ外で寝ろ」
「じょおだんだよぉクラトォ~!揉める機会なんていくらでもあったのに指一本なかったんだぜ!?本当にそんな下心あったらもう何回か事故を装って揉んでるよォ!でも俺が触ったりしたらあの綺麗なディアさんが汚れると思ってぐっと耐えたんだろォ!鋼の精神だとほめてくれよ!俺は本当にディアさんの幸せを願っているんだよぉ……」
「そんな冗談いらないだろ。お前なあ、お……胸のことばかり言うのはディアさんに失礼だろ。普段からそんなところばかり見ていたのか?男として最低だぞ」
「いやいやいやいや、お前こそ男として大丈夫かァ?ディアさん連れて歩いてりゃ分かるだろうがな、すれ違う男どもは必ずディアさんのおっぱいチラ見して行くからな?ガン見してくる奴が居たらお前が前に立ってディアさんを隠せよ?うっかりを装って触ってくる奴とかマジでいるからな?村に来るときあの子を連れた俺がどれだけ苦労したかお前知らねえだろ。
あの子なあ仕事している時以外はホント無頓着ってえかぼんやりしてんだよ。これからクラトがあの子の保護者なんだからよォ、しっかり守ってくれよ……」
そう言ってジローはまたぐずぐずと泣き出す。俺は繰り返される酔っ払いの話にちょっとうんざりして、もういい加減にしてくれと言いたくなったが、アイツが小さな声で、
「俺はなァ……本当にあの子が大切なんだよ……あんないい子を不幸になんかできねえだろ……」
と、絞りだすように呟いたので、もう少し黙って聞いてやるかと我慢することにした。
酒が回ってきて、ねちねちと俺に絡んでくるジローを適当にあしらって話を聞いていた。
ジローとこんな軽口を聞ける間柄に戻れるとは以前の自分では想像もつかなかったな、とだんだん何を言ってるのか分からなくなってきたジローの話を聞き流しながらぼんやり思った。
最初の頃は自分も頑なで、人から聞かされた話がすべての真実のように思い込んでいたが、今、改めて自分の言動を振り返ってみると、あまりにも一方的過ぎたと反省する部分もあった。
それに、ジローからの話を全然聞かないまま一方的にアイツを責めた自分の浅慮を少し後悔していた。




