54
いずれにせよそろそろ公表する時期だったから村長も誤魔化すことはしなかったけれど、勝手にしゃべったジローさんにちょっとご立腹のようだった。
「まだ言うなって言っといたのに、勝手に言っちまいやがってこの馬鹿ジローが。決まったらワシが話すっていってあったろう」
「いいや、調整だなんだってモタモタしてたからディアさんがあんな目に遭ったんだぜ?少なくとも、もっと早くマーゴさんたちにも公表してりゃ、エロ君に手紙なんか出さなかったんだ。
俺はもっと早く村を出ようって勧めてたのに、ディアさんは廃村の話を俺にしてこないし、村長も、廃村が決まったら手続きとかが大変だろうから、そこまでは手伝いたいってディアさんが言ってたって村長が言うからさァ……仕方なく留まっていたってえのに、結局この仕打ちだぜ?もうこれ以上この村のためにディアさんがなにかしてやる義理なんてねえよ。もうディアさんはこの村に置いとけねえ。すぐにでも出ていかせる」
今までこんな風に村長に対して怒ったジローさんを見たことがなかったので、唖然としてしまってなにも言えなかった。
村長もジローさんの言葉に思うことがあったのか、そうしたほうがいいかねと肯定して、私に『こっちは大丈夫だから、もう村を出な』と言った。
マーゴさんは突然廃村の話が出てきたせいで、混乱しきっていて、もう私そっちのけで村長を質問攻めにしていたので、私とジローさんは村役場を出て家に帰ることにした。
数日ぶりの我が家は、しばらく換気していなかったせいか少しこもった匂いがしていた。私は貯蔵庫の中身を確認しながら、窓を開けて換気してくれているジローさんに先ほどのことを訊ねる。
「ジローさん……すぐにでも村を出るって、本気ですか?」
「ん?あァ、ごめんな勝手に決めて。クラトとも話したんだが、今後のことは隣村の役場に任せて、村を出ちまったほうがいいと思うんだ。
手続きとか手伝いたいってディアさんは言うけどなァ、ジジババどもは若いもんは年寄に尽くして当然くらいに思っているからさァ、ディアさんがいるとずっと面倒ごと押し付けられて、移住できなくなるんじゃないかってクラトも心配していてな。まあアイツ自身もそうだから、いい機会だしクラトもいい加減村を出るかって言ってるんだよ」
そういうの分かっていたのに、俺がこんなとこに連れてきちまったせいだ、もとはと言えばなにもかも俺のせいだ、ごめんとジローさんは落ち込んだ顔で言った。
「クラトさんも村を出るんですか?それは知らなかったです。私たちは港町に行く予定でいましたけど、クラトさんは移住先とかもう目処をつけているんですか?」
「あーそれなァ……あのな、提案なんだけど、ディアさんは一度故郷の町に帰らないか?移住前に、両親の裁判の進捗を聞いておいたほうがいいかと思ったんだ。あの女将さんのこともあるだろ?それになァ、ディアさんが突然いなくなって心配している知り合いもいるだろうから、顔見せてやったらいいんじゃないか?」
ジローさんにそう言われて、そういえば裁判で呼び出しされる可能性があったことを思い出した。
両親のことに続いて、あのお義母さんの脱税が発覚した今、証言を求められるのは確実だ。
でも結婚式であんなことがあって、次の日に出奔した私がどんな顔して帰ればいいのかと怖くて、返答に詰まってしまう。
「いい思い出がないあの町に帰るのをためらうディアさんの気持ちは分かる。でもなァ、ディアさんは自己評価がすげえ低かったから、誰も自分のことを気にかけてないとか思ってそうだけど、実際は違うと思うぜ?両親や店が町の人たちから総スカンを食らったってのがその答えだろ?
だからさ、帰って町の人たちと改めて話をすれば、あの時つらかったディアさんの気持ちも多少救われるんじゃねえかな。故郷のことをつらい記憶のままにしておかないほうがいいかと思うんだ。それに、親はアレだったけど、ディアさんだって友人や世話になった人とかいただろ?そういう人たちと、縁が切れたままでいいのか?」
確かに、あの時は何もかもに絶望していて、あんな形で婚約者に捨てられた私をみんなが笑っているんだろうと勝手に思い込んでいたが、良識ある人や私と仲良くしてくれていた人はそんなことしないだろうと冷静になってから考えられるようになった。
それでも、ラウの友人や男性陣からすると、『あのディアじゃ婚約破棄されても仕方がない』と言いそうなものだが、ラウや両親が町の人から責められて大変なことになったという話だった。
町から出てみると色々なものの見方が変わったりしたように、今改めて当時のことを町の人たちから聞いたらまた違った見え方がするのかもしれない。
ジローさんから見た私がどんな風だったのか分からないけれど、今のままでは確かにジローさんの言う通り、町での日々は思い出したくもない過去だ。別に過去は忘れて生きようと思っていたからどうでもいいと思っていたけれど、ジローさんがそう言ってくれるなら、もう一度向き合ってみようかとも思う。
「……そうですね、一度は帰ったほうがいいかもですね。町の人たちと会うのは少し怖いですが、ジローさんも一緒なら大丈夫です」
ジローさんは家の使用人たちとも仲が良かったみたいだし、いろんなことが解決した今なら私たちが顔を出しても問題はないだろう。
じゃあそうと決まったら荷造りをしなくちゃ、ともう次のことに意識を飛ばそうとしていた時、ジローさんが複雑そうな顔をしているのが目に入った。
「……ジローさん?どうかしましたか?」
「あァ……それなんだが、ディアさんを町に連れていくのはクラトに頼んであるんだ。俺は一緒に行かない」
「え?……え?なんでですか?どうして……」
村を出ると宣言したばかりなのに、なぜジローさんは一緒に行かないのか分からない。
故郷に寄っても、そのあとは港町に移住するのだから、一緒に行ったほうがいいと思うのだが、ジローさんは言いにくそうにしながらも、港町に移住というのも、町に戻ってからもう一度考え直したほうがいいと言い出した。
「俺とディアさんは同時期にいなくなったが、俺はその前から辞めてどっか移住するかってほかのやつらとも話していたから、俺と一緒に出奔したとは思われていないんだ。
それなのに、今回俺と二人で町に帰ったら、ディアさんが俺と一緒に町を出たとばれちまうだろ?そうすると、駆け落ちしたのかとかこんなオッサンとデキてたのか、とかってさァ、痛くもない腹を探られて、ゲスい想像されて色々言われる羽目になるんだ。またディアさんが嫌な思いするだろうからさ、故郷の人間には、俺といたことは伏せておいたほうがいい」
ラウとのことがあったから、私が故郷に戻ることはないと思っていたが、両親もお義母さんも逮捕されて、故郷を厭う理由はほぼ取り除かれたといってもいい。
それなら、私は故郷の町に戻ることができる、とジローさんは思ったそうだ。
やっぱり見ず知らずの土地に行くより、生まれ育った故郷の町に帰るほうがいい、と言い出した。
もし故郷の町で暮らし続けるのなら、自分と一緒にいたっていう事実は私にとって悪評にしかならないから、クラトさんに連れて行ってもらえというのが、ジローさんの意見だった。
「別にジローさんと一緒にいたことは事実ですし隠すつもりはないですよ。ジローさんと……付き合っているって言われたって、私は構いません。だって私は……ジローさんのこと好きですから」
自分でも驚くくらいスッと『好き』という言葉が出た。
私の評判とかを気にしてくれて、一緒に行かない選択をするというのならそんなのは要らない気遣いだと分かってほしかった。
確かに町には知り合いも多いし少ないながらも友人だっていた。ジローさんが嫌だと思うなら町に定住するつもりはないし、二人で新天地に行って楽しく暮らせたほうがよっぽどいい。
ジローさんに対する気持ちをこうして言葉にするのは初めてだった。
好意を隠してはいなかったけれど、直接的なことを言われて、ジローさんはどんな反応をするのだろうかと思い彼をまっすぐ見つめるが、ジローさんは少し眉根を寄せて返答に困っているようだった。
その顔を見て、ああ、この後彼が発する言葉を聞きたくない、と瞬間的に思った。




