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「母さん。俺は母さんを親としても商売人としても尊敬していた。あんたが言うならそうなんだろうって、大概のことは信じて疑わなかったよ。今回母さんをディアの元まで連れてきたのだって……あんたの言うことを信じたからだ。
だけど……もう無理だ。母さんは、商売のためなら汚いことでもするっていうけど、俺にはできない。
そうやっていろんな人を騙して傷つけて生きていたら、必ず自分に返ってくる。そういうの身をもって経験したからよくわかるんだ」
―――村にいた時、俺に仕事とかいろんなことを教えてくれた人がいた。
―――その人に、ディアにしたこととかすげえ叱られて、厳しく諭された。人を欺いて生きるような人間はいつか必ず破滅するって。だからできるだけ正しく生きろって。
ラウは涙をにじませて、クラトさんと冬の間二人でいろんなことを話したんだ、と思い出をかみしめるように言った。
「俺、いろんなことを教えてもらってさ、俺の話もたくさん聞いてもらった。あの人、厳しいことも言うけど、本当に俺のためを思って親身に相談に乗ってくれて、すげえ世話になったんだ。だからクラトさんに顔向けできなくなるようなことは絶対にしない。
子どもなんて……ディアが逆らえなくするための人質として作れってことだろ?脅しの道具として子どもを使うなんて、そんなん人として最低だろ……。俺には無理だ。だから母さんの指示には従えないよ。ディアを放してくれ」
ラウがきっぱりとお義母さんに対して拒否の言葉を言ってくれた。
ああ、クラトさんと過ごした後、ずいぶんまともになったと思っていたけど、本当に真人間になったんだなと感動すら覚えた。
肝心のラウが拒否したのだから、お義母さんの計画はこれで頓挫だ。
ホッとして、あきらめたお義母さんが私を放してくれるのを待った。
だが、お義母さんの手が緩むことはない。
どうしたのかと身じろぎすると、首筋にひやりとした感覚がした。こちらを見ているラウが急に焦った顔になったので、首元のこれがなんなのか予想がついて血の気が引いた。
「流されやすい馬鹿な子だとは思っていたけど、ちょっと町を出ていただけで変な影響を受けちゃったのねえ。
あのねえ、そうやって正義漢ぶって悦に入りたい年ごろなのかもしれないけれど、何もかも失って後悔してからじゃ遅いのよ?もし明日食べるものにも困るような生活に陥ってからでも、あなた同じことを言える?今まで恵まれていて、お金に困ったことがないからそんな甘ったれた偽善が言えるのよ。もう、仕方がないからお母さんがあなたの罪悪感を減らしてあげるわよ」
どういう意味かと思う間もなく、お義母さんは抜き身の小刀をぐっと私の首筋に押し当てた。
「ホラ、あなたが了承しないとディアちゃんの身が危ないわよ。首がすっぱり切れちゃうわ。
ラウは私に脅されて、仕方なくディアちゃんを連れていくことに同意するのよ。だからあなたは悪くないわ。脅されているんだもの。
もう宿はいいから、この町も出発しちゃいましょうか。こんなところでモタモタしていると、うっかり逃げられちゃうかもしれないからね。ラウも本音ではディアちゃんとやり直したかったんでしょ?この機会を逃したらもう二度とディアちゃんは手に入らないわよ。私の言う通りにするのが一番いいの」
刃物が首筋にぴたりと触れているので、身動きがとれない。
こんなものをお義母さんは携帯していたのか、はたまたこうなることを想定して服に仕込んでいたのか。
いずれにせよ私は本当にこの人を甘く見ていた。
正しく公平な人なんかじゃないと気付いていたのに、まだどこかで優しかったお義母さんのほうが本当なんじゃないかと思って、分かり合えるのではないかと期待していた。
「ま、待て!母さん!本当に、そんな真似やめてくれ!ディアに怪我させたら取り返しがつかないだろ!本物の犯罪者になるんだぞ!」
「そうねえ。母親が犯罪者だなんてラウも困るでしょう?わかったら早くして。とりあえず町を出てしまいましょう。後のことは旅程でゆっくり考えればいいわ」
ぐっと刃物を持つほうの腕に更に力が入ったのを感じ、それを見ていたラウが焦ったように『分かった!分かったから!』と言って降参した。
とんでもないことになってしまった。このままじゃ本当に連れていかれる。
さきほどお義母さんが言って聞かせた計画のとおりにされてしまう。恐怖と絶望で体が震える。
いやだいやだいやだ!
ジローさん!助けて!
このままお義母さんの思い通りになるくらいなら、首を切られたほうがましだ!と私は決意し、彼女の腕にかみつこうとした瞬間、馬車の扉が『バキンッ!』と大きな音を立ててこじ開けられた。
開いた扉の向こうには……鬼の形相のジローさんが立っていた。
お義母さんも私もそちらに気を取られていた一瞬に、ラウが小刀をつかんだ。慌てたお義母さんが思わず腕を振り払うと、つかんでいたラウの手のひらをざっくりと裂いてしまい、血が飛び散った。
「痛ってぇ!」
うっかり息子の手を切ってしまったお義母さんは動揺して、私を拘束する腕が緩む。
すかさずジローさんがお義母さんの腕を捻り上げ、小刀を取り上げた。そのまま馬車の座席に押さえつけて、体勢を崩していた私を片手で引っ張り起こす。
「ディアさん!俺の後ろに入れ!」
そう言ってジローさんは私を自分の背中側に押しやり、暴れて抵抗するお義母さんを、持っていた縄のようなものですばやく縛り上げた。
お義母さんは狂ったように暴れてもがいていたが、ジローさんに押さえ込まれ、動けないように手足をギチギチに拘束されて、猿轡をかまされるとようやく大人しくなった。
ジローさんは箱馬車の床にお義母さんを転がしたあと、振り返って私の肩をつかんだ。
「ディアさんっ!大丈夫か?!怪我はないか?!」
汗だくで、荒い息のまま必死に私の無事を確認しようとするジローさんの姿を見て、私は一気に緊張が解けて涙があふれた。力いっぱいジローさんにしがみついて、声を上げて泣いた。
「ジローさんっ……!来てくれたぁ……っジローさんっジローさぁんっ」
「見つけられてよかった……あぁもうすげえ心配したぁ~無事でよかった……」
ジローさんは泣きわめく私を大事そうに抱きしめて、無事を確認するかのように頭や背中を何度も撫でてくれた。
そうやって私がジローさんにしがみついて泣いていると、あとからクラトさんも駆けつけてくれて、この状況に唖然としていたが、ラウの姿をみとめると恐ろしく低い声で恫喝するように問いただした。
「おい、ラウ。お前これはいったいどういうことだ。お前がディアさんを誘拐したのか」
「クラトさん……すみません。俺……本当にすみません」
「ま、待って。ラウ、血が出てる」
ラウが悲痛な声でクラトさんに謝るのを聞いて顔を上げると、さきほど切られてしまった手のひらからぽたぽたと血が垂れていた。
「クラトさん、あの、まずはラウの手当てをしないと」
「あ、ああ……そうだな。ひとまず自警団の守衛所に行こう。ラウ、出血がひどいから応急処置で布を巻いて止血する。手を見せろ」
そう言ったクラトさんは優し気で、怪我をしたラウを心配しているのが伝わってきた。その様子にホッとして、ラウも素直に手を差し出してクラトさんに手当てをしてもらっていた。
自警団の守衛所へ、ラウとお義母さんを連れて向かう道中、私はずっとジローさんの腕にしがみついていた。
極度の緊張から解放され気が緩んだせいか、急に恐怖が襲ってきて、しがみつかずにいられなかったのだ。そんな私にジローさんは、気遣わしげに頭をなでて落ち着かせてくれた。
少し冷静になってきたころ、私は疑問に思っていたことを訊ねた。
「あの、なぜジローさんたち、私がここにいるってわかったんですか?」
「ああ……それな、クラトのおかげなんだ」
ちょうど隣町に出かけていたジローさんは、帰りの道で村方面から来る箱馬車を見かけた。
そこは隣町に近い大きな道の分岐点で、他にも馬車が数台通っていたが、村方面から来たのが、普段この辺で見かけるような荷馬車ではなく、町でよく使われる箱馬車が珍しいなと思いなんとなく気にかかった。
だがその時は、遠くから見かけただけのその光景を、それ以上気にかけることはなく、そのまま通り過ぎてジローさんは村に帰ってきた。
ところが、家に帰ると私はおらず、家を出る前に私が今日は早く帰ると言っていたのにおかしいと思ったジローさんはすぐに村役場に私を迎えに行った。
村役場には、村長のほかにクラトさんとマーゴさんが来ていて、そして私の姿はなかった。
ジローさんが『ディアさんが帰ってきていない』と告げると、その場にいたマーゴさんがさっと顔色を変えたという。
その様子から、なにか事情を知っていそうだと思ったジローさんはマーゴさんを激しく問い詰めた。
最初は口を濁していたマーゴさんだったが、ジローさんの剣幕に押されて、実はラウ親子が来ていたことを白状したのだ。そして自分が私とラウ親子を引き合わせたと。
マーゴさんはあのあと話し合いがどうなったか気になって様子を見に戻ってきたのだが、そこにはもう私たちはおらず、停めてあった馬車もなくなっていた。
じゃあやっぱり役場で話をするために移動したのかと思ってきてみたが、誰も来ていないと村長は言う。
じゃあどこに行ったのかとさすがに心配になり、ちょうど役場に来たクラトさんに『こういう馬車を見なかったか?』とラウ親子のことは伏せたまま聞いていたところにジローさんが来て、私が帰ってきていないと聞いて、ひょっとして自分はとんでもないことをしてしまったのではと青くなったそうだ。
マーゴさんから話を聞いたジローさんたちは、すぐに私が連れ去られたのだろうと結論づけた。
私がラウ親子と和解して話し合いの結果、一緒に帰るとなったとしても、誰にも告げずにいなくなるなど不自然だし、無理やり連れていかれたに違いない。
ジローさんは帰り道ですれ違った箱馬車がそうだったのだろうと気付いて、役場の馬を借りてすぐに箱馬車の後を追いかけてきてくれたのだった。
事情を知ったクラトさんも自分の馬で後から追いついてきて、行方を捜すのを手伝ってくれた。
箱馬車はどこにも立ち寄らず道を進んでいる可能性もあったが、宿場町がこの先あまりないことを考えると一番大きい隣町に寄っているかもしれないと予想して、まずは町の受付で確認してみることにした。
クラトさんはこの隣町によく出荷物の搬送のために訪れるので、受付をする門兵とも顔見知りの知り合いだったので、事情を話すとすぐに受付記録を確認してもらえた。
ラウの名前が記録簿にあると教えてもらえたので、この隣町に私たちがいることはすぐに分かった。
だが大きな宿場町であるし、どこに向かったかまでは分からず、ジローさんとクラトさんは二手に分かれて探し回ってくれた。
馬車を停留できる施設は町に数か所点在しているが、面倒でもそこを回れば必ず馬車を見つけられる。その近くの店や宿に私たちが来ていないか虱潰しに探して、ジローさんはようやく先ほどの馬車を見つけたのだ。
係留している馬車の中から声が聞こえたので、絶対に私が中にいると踏んで扉をこじ開けて、ジローさんは私を助け出してくれたのだった。




