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脱税は摘発されれば即逮捕だが、故意でなければ罰金刑で済むと法律の本に書いてあった。数年にわたり過少申告をしていたことに疑惑を持たれるかもしれないが、そこはまだ成人していない子どもだった私が集計の仕方や税率の計算方法を勘違いしていたことにすれば話の筋が通る。
さすがに経営者が最終確認を怠ったお咎めはあるだろうが、それでも罰金だけで済むのだから、これならお義母さんの体面も保たれる。多少私が泥をかぶってもいいと思って提案したことだった。
脱税は重罪だが、店を経営することの大変さをそばで見ていた私は多少なりとも知っているつもりなので、相談する相手がいないなか、お義母さんも追い詰められていたのかもと考えると、同情する気持ちがわいてくる。
お義母さんはきっと、罪が告発されるかもしれない恐怖で冷静さを欠いていたのだ。
最も少ない損失で解決できる道が示され、私が口をつぐむと約束すればきっとこの意見に同意してくれるはず。
そう期待を込めてお義母さんの反応を待つが、彼女は私の予想とは全く違うことを言い出した。
「無理よ。修正申告したって今はもう払えるお金がないもの。ラウとあなたの結婚が破談になったせいで、店は営業できなくなっているのよ?そんな時に税金の修正申告なんかしたら悪評に拍車がかかって、それこそ店はつぶれてしまうわ。
本業の卸だって、あの結婚式の不祥事で大口の取引先を失って大損害を被っているのよ?そんな状況で店に金を都合してくれといったって、逆に店をたたんでその分の金を本業に回せと言われるのがオチよ。今更もうそんな方法はとれないの。分かる?
だからね、もうディアちゃんに全部なんとかしてもらうしかないのよ。あなたが戻ってきてくれれば、町の人たちも納得してくれるし店も再開できる。打ち切られた取引先も、ディアちゃんがいればまた元通り契約してくれるわ。
だから、ね?ディアちゃんには絶対に戻ってきてもらうしかないの」
にっこりと笑って私に言うお義母さんの顔は、幼い頃から見てきた優しい姿となんら変わりなかった。怖いくらいいつも通りだ。
ぞぞぞっと怖気が背筋を通り抜ける。
私は最良の解決法を示したはずだ。むしろこれ以外破滅せずにいられる方法などないと、商売人として長けたお義母さんならすぐに理解するはずだと思っていたのに、この人はくだらない冗談でも言われたかのように提案を聞き流した。
お義母さんの言っている意味が分からない。
私が戻る?絶対に戻らないとずっと言っているのに、この人はなにを言っているのだろうか。
無理やり拘束して連れて行ったところで、そんなことをされた私がお義母さんのいいなりになるわけがないのに。
「……は?私が……なんとかする?い、いえ、私は帰らないと言いましたよね?店の立て直しなんてできません。第一私が戻ったところでラウのしたことは変わらないんだから、町の人の評判が回復する要素にならないし、私だって許すつもりはありませんよ……馬鹿なことを言わないでください、ちょっと冷静になってよく考えてみてください」
軽蔑を込めて言うが、お義母さんは意にも介さず笑みを浮かべたままだ。
「いいえ、ディアちゃんはね、結婚がだめになって失意のまま町を飛び出したんだけど、ラウがそんなディアちゃんに謝りたくって国中を回って探したのよ。
それでようやくあなたを探し出して、ラウは誠心誠意あなたに謝って、あなたはその熱意と真摯さに負けてラウを許すの。
そして、突然町を飛び出してみんなにあわせる顔がないからって町へ戻るのをためらっていたけど、ラウと私の説得でようやく戻る決心をするのよ。
一度は破談になったラウとの結婚だけど、改心したラウを許したとあなたが報告すれば、ラウの悪評も消えるでしょ?一度はダメになった二人がもう一度心を通わせて、協力しあって店を盛り立てていく……なんて美談があったら、店も以前よりもっと繁盛するわ。なにもかもめでたしめでたしじゃない?」
「は……?なにを言っているんですか?全く意味が分かりません。なんですか?その作り話。まったく事実と違いますし、私はラウとやり直すつもりなんてほんの僅かもありません。もう……お話にならないです。
ラウ、もうあなたが帳簿を確認して、申告の修正をしてよ。全額払えなくてもいきなりつかまったりしないと思うし、支払いの期日は役場で相談に乗ってもらえばいいじゃない。
ねえ、ラウはお義母さんのこんな馬鹿な計画知らなかったのよね?私がやり直すつもりがないことはあなたが一番よく知っているよね?あなたからお義母さんに言ってよ……私じゃ無理だわ……」
狂気とも思える内容の作り話をあたかも事実のように語りだしたお義母さんに私はゾッとして、もうこの人とはまともに話ができないと思い、ラウに矛先を向けた。お義母さんが判断能力をなくしているのなら、ラウになんとかして収拾をつけてもらうしかない。
とはいえラウも、お義母さんのまともじゃない話を聞かされてさっきから混乱の極みにあるようで茫然としている。
しっかりして、と私が言いかけた瞬間に、お義母さんが遮るようにラウに話しかけた。
「ラウ、さっきも言ったとおり、あなたはディアちゃんと早いとこ子どもを作っちゃいなさい。大丈夫よ、最初はちょっともめても、子どもができちゃえば、男と女なんて案外うまくいっちゃうものなのよ。子はかすがいっていうけど、ホントにそうなのよ。
ディアちゃんは愛情深い子だし、子どもを見捨てたりできないものね。子どもには父親が必要だし、いい環境で育てるためには店の立て直しも必要だものねえ。
ねえ、ラウ。分かるでしょ?修正申告して、本当に罰金だけで済むと思っているの?去年だけならともかく、数年前からだと知れたら確実に逮捕されて店は取り潰しで没収よ。あなただって経営者の一人になっているんだから知らなかったでは済まされないわ。人生終わりよ。犯罪者がこの先まともな職に就けるわけないし、これから先長い人生どうやって生きていくの?物乞いにでもなる?
さあ、ラウ、今ここで選びなさい。破滅の道を進むか、私の言う通りに、ディアちゃんを連れて帰るか、どっちかしかないわ」
「こ、子どもって!何を馬鹿なことを!私は絶対に嫌です!さっきからそう言って……」
「ディアちゃんの意見は聞いていないの。ラウ、大丈夫よ、もともとディアちゃんはあなたのことが大好きだったんだし、本気で嫌なわけないわ。それに女なんてね、なんだかんだ言っても肌を合わせた相手には情がうつるものなのよ。それで子供ができればなおさら、我が子の父親を愛しく思うようになって、男女っていうのはそうやって家族になっていくんだから大丈夫よ。
ラウだって本当はディアちゃんとやり直したいんでしょう?二人がやり直すのが全て解決する唯一の方法なのよ。それくらいわかるでしょう?ラウ、決断しなさい」
狂気に満ちた内容を理路整然と、諭すように話すお義母さんを見て、寒気が止まらない。
なにひとつ理解できないししたくもないが、恐ろしいのは彼女の言うことに同意しそうな人が一定数居そうに思えてしまうことだ。
私からすれば狂気以外の何物でもないが、この人は気がふれているわけでも追い詰められて自棄を起こしているでもない。
ただ、彼女にとっての『最良の方法』があるから、私の気持ちやラウの意見をねじ伏せ、どうにかそれを通そうとしているのだ。
―――逃げよう。
もう話し合いなんかじゃない。この人のなかではもう今後の計画は決まっていて、私をどうやってその計画通りに当てはめていくかしか考えていない。そこに私の意思が介在するわけがない。この場から逃げ出して、どこでもいいから助けを求めよう。
さっと立ち上がって馬車の扉に手をかけるが、『ガチッ』と取っ手の金属音が響いただけで、扉が開かない。
いつのまにか鍵がかかっている!と気が付いて、あわてて鍵を開けようとしていると、後ろから引っ張られ口を押さえつけられた。
「もう、ディアちゃんたらちょっとおとなしくしていてちょうだい。まだ話が終わっていないでしょう」
「やめてくださ……っ」
力ずくで押さえ込まれ、お義母さんの爪が顔に食い込む。
押さえつけられているといっても、私が全力で暴れて殴れば振りほどけるかもしれない。けれど、ここまでされてもまだ私は『けがをさせてしまうかも』という考えがよぎって、とっさに動くことができなかった。
ラウも母親の狂った行動にどうすることもできないようで、硬直して動けずにいる。
そんなラウに対してお義母さんは子どもを諭すように言う。
「ラウ、いい加減あなたも大人になりなさい。自分の店を持って商売をするっていうのは綺麗ごとの理想論だけではやっていけないの。多少汚いことに手を染めても店を守ってみせるという気概をもたなければ商売人になれないわよ。
ディアちゃんとは何もなければ結婚する予定だったんだから、多少遠回りしただけでしょ?何をためらうの?あなたが決断すれば、全てが丸く収まるのよ」
めちゃくちゃだ。身勝手な理論を振りかざしているが、でもこの人の声や言葉には妙な説得力がある。話しているとあちらの論旨に振り回されて、なにが正しいのか見失いそうになる。
この人の悪質さに気付いている私ですらそうなのだから、息子であるラウなんか簡単に丸め込まれてしまうのではないか。
お願いだからこの人の言う通りにしないで!と願いを込めてラウを見ると、泣きそうな顔をした彼と目が合った。
私と目が合った瞬間、不安そうに泳いでいた瞳がハッと見開かれ、一度強くぎゅっと目を閉じた後、腹が決まったのか今度はしっかり前を見据えてこう宣言した。




