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言葉の続きを聞こうと耳を寄せた瞬間、後ろから声がかかったので私たちは揃って飛び上がってしまった。
「ラウ、やっぱりこんなことだろうと思ってたけど、あなたおじけづいたのね。仕方のない子」
そこには宿に入ったはずのお母さんがすぐ後ろに立っていた。ラウが私にこういうことを話すと分かっていて、場を離れたふりをして話を聞いていたのだ。それが分かって私は背中に冷たいものが走った。
「本当に親のいうことを聞かない子よねえ。これには理由があるって言ったでしょう?あなたの将来、いえ、我が家の存亡にかかわる大事なことなのよ。話の一部を聞いただけで先走るのはやめなさい」
「あ、いや、でも!いくらなんでも……母さんたちが話しているの、馬車の御者台側の窓開けておいたから聞こえていたんだ。母さんディアに『腕を引いたら倒れた』とか言っていたけど、あれは明らかに、力ずくでディアを引き倒しながら頭を殴っていただろ。
一瞬だったから、俺の見間違いかと思って、ひとまず母さんの言う通り医者のとこまで来たけど、話聞いてりゃ母さんの言うこと嘘ばっかだったからもう信用できないんだよ!
脱税ってなんだよ?!ディアの言っていることが本当なら、大変なことだぜ?!
それに、さっき俺に言ったこと……あんなの……どんな理由があろうとも、俺にはそんなことできねえよ」
聞いていて思わず『はあ?!』と声を上げてしまう。
私が気絶したのは事故ではなく、お義母さんが殴って気を失わせたのか?!なんと恐ろしいことをするのかと私は唖然とした。
ためらいなく人を殴ることもそうだが、こうして事実を暴露され責められても動揺した様子もないこの人に、恐怖を覚える。
非難を込めてお義母さんをきつくにらむが、その顔は先程とかわらず、駄々っ子を見るような目をして、あきれたようにわざとらしくため息をついた。
「二人とも、ちょっと落ち着きなさいよ。大声出してみっともないったら。ここがどこだか分かっているの?宿の前で大騒ぎして、営業妨害も甚だしいわ。人の迷惑も考えられないなんて、本当に仕方のない子たちねえ」
営業妨害と言われハッとして周囲を見ると、まだ人の往来があって、私たちのほうをチラチラとみている人もいる。宿からも、なにごとかと人が顔を覗かせていた。
私とラウが場所もわきまえず大きな声を出したせいだと気付いて、申し訳なさでうつむいてしまう。
「あのねえ、ラウもディアちゃんも先走りすぎよ。非難するにしても、全部話を聞いてからにしなさいな。ラウもそのカッとなりやすい性格なおしたほうがいいわよ。
まずはディアちゃんと二人でちゃんとお話ししようと思っていたけど、ラウも疑問があって納得できないっていうのなら、三人で腹を割って話しましょう。聞きたいことがあれば全部話すから、宿の部屋を借りて話をしましょう。こんな往来で話せることじゃないわ」
場所を変えることには賛成だが、宿の部屋でと言われたときに、なんとなしに嫌な感じがした。この人と話していると、いつのまにかあちらの流れに持っていかれてしまっている。だからちょっとしたことでもこの人の言うことに従いたくない、と漠然と感じた。
部屋でと提案したことにさほど意味はないのかもしれないが、あちらの思う通りに進むのが怖くて、私は『部屋は嫌だ』と必死に拒否した。
「人目を避けるなら別に個室に入らなくてもいいでしょう。私はそこまで……長く話に付き合う気はありません」
「困ったわね、じゃあどこならいいの?お茶屋にでも行きたいの?脱税とか違法行為だとか話していたら人目をひきそうねえ。ディアちゃんはいいかもしれないけど、疑いをかけられているこちらとしては迷惑なのよ」
お互い譲らず、険悪な雰囲気になりかけて、再び周囲の人たちがこちらを気にかけているのに気付いたラウが、私たちをとりなすように慌ててこう提案してきた。
「じゃ、じゃあ!ひとまず馬車の中で話そう!さっき宿の裏に停めてきた時見たけど、あそこなら人目もないから!母さんもそれならいいだろ?」
お義母さんは多少不満そうだったが、さすがにこれ以上ここで人目を引くのは得策じゃないと判断したのか、それでいい、と言った。私もそれならばとラウの意見に従うことにした。
宿の裏手は馬房があり、ラウの馬車はまだ馬がつないだまま仮置きされていた。
係留している馬車の中に入ると、まずラウがお義母さんに詰め寄った。
「まずはディアに怪我させたことを謝れよ!医者に診せなきゃっていうから、あの場で問い詰める暇がなかったけど、あれ、うっかりとかじゃなくわざとディアを殴っただろ?!普通殴るか?!話がしたいんじゃなかったのか?!
俺、こんなことさせるために母さんを連れてきたわけじゃねーよ!
俺には『ディアは本当の娘のような存在だから』って、どうしても自分の目で無事を確認したいって言っていたじゃねーかよ。
さっきのディアの言っていたことが本当なら、脱税のことを気づかれる前にこいつを連れ戻したかったってのが本音じゃないのか?!……脱税って、本当にやってたのか?母さん……」
ラウも混乱しているのか、声が上ずって泣きそうな顔をしている。
脱税のことは話が途中になったままだった。
物的証拠などこの場にはないが、私が気付くに至った根拠として、帳簿と報告書の数字の違いや、税率の間違いなど全てこの場で私が口頭で説明したっていい。私の話を聞けばラウだって疑わずにいられないはずだ。
この場で確認できずとも、経営者側であるラウが疑いを持ってくれれば、この先ずっとお義母さんだってしらを切りとおすのは難しいはずだ。
どう考えても私のほうに分があるように思うのだが、お義母さんはどう答えるつもりなのか。もしここで適当なことを言って誤魔化しては、ラウの疑念に拍車をかけるだけだ。
顔色を窺うが、お義母さんは相変わらず困った子どもを見るような顔をして、焦りも動揺も見られない。
「そうね……店の後継者であるあなたには話しておくべきだったかもね。でもあなたは遊び歩くばかりで店の仕事なんて見向きもしなかったから、言えなかったのよ。
……何年か前、卸業のけっこう大きな損失を、店のほうの売り上げで補填したことがあったのよ。お父さんは本業のほうは赤字を出したくないというから、私の店から補填するということはよくあることだったのよ。
でもね、その年は店も不景気でね……年末にどうしても現金が調達できなくて、どうしようもなくて納める税金を少なくなるよう誤魔化して申告しちゃったことがあるのよ。
正直に言うわ。ディアちゃんの言う通り、やむに已まれず税金を過少申告したことがあるわ。私だってしたくてしたわけじゃないわよ。
店はもともと本業の税金対策として私名義で作ったものだから、お父さんは、別に店なんて私の道楽としか思ってなくて、私が困っていても全然話も聞いてくれないのよ?あなたは遊んでばかりで、母親のいうことなんか無視していたでしょ?唯一そばにいてくれたディアちゃんは、まだ身内じゃないから相談なんてできないし、どうしようもなかったのよ」
遊んでばかりで店の仕事をないがしろにしていた自覚のあるラウは、うっと言葉につまり気まずそうにしていた。
店の収支は把握していたので赤字はなかったはずだが、卸業のほうは関与していなかったので、そんなことになっているなんて知らなかった。でも……だからと言って脱税に手を染めていい理由にはならない。
「あ……いや、俺が店の仕事に全然協力しなかったのは、悪かったと今は反省しているけどさ……脱税は……ばれたら罰金ですまない重罪だろ?店の存続どころか、逮捕されて一家離散の危機だぜ?そんな危ない橋を渡る必要あったのかよ?素直に親父に頼めばよかっただろ?」
「店は、私が一から作り上げた大切な場所なのよ。お父さんは、店は自分の名義じゃないから、経営に行き詰ったら売却して現金化すればいいって考えだから頼んでも無駄よ。それにあの人最近はほとんど家には帰ってこないから相談もできないし、自分でなんとかするしかなかったのよ」
確かに、私の義父になるはずだったラウの父は、本業の卸業だけに専念していて店の経営にはほとんど関わっていなかった気がする。船を購入し外国に買い付けに行くようになってからはほとんど家には帰ってこなかったし、お義母さんが相談しようにもできなかったというのも頷ける。
私の知らない事情がこんなにあったことに驚いたが、それよりもずっと知らないふりを貫いていたお義母さんが、ようやく脱税のことを認めてくれたことに安堵した。
私はずっと、お義母さんがもし私のもとに訪れて、脱税のことを素直に認めてくれたら言おうと思っていたことがある。
私に対してしてきたことや違法行為など、許しがたい事実に気付いてしまったけれど、それでもずっとお世話になった店を潰しお義母さんを破滅させたいとは思っていなかった。
とはいえ私が口をつぐんだとしても、脱税は今ばれていないとはいえ、なにかのきっかけで発覚しないとも限らない。
ずっと脱税のことを認めないから言えずにいたが、私は、お義母さんが来たら、こう提案しようと決めていたのだ。
「お義母さん……今からでも修正申告しましょう。集計を任された私が、慣れない作業で間違えたことにすればいいですよ。
故意でなければ罰金で済むはずです。自ら修正を申し出れば差押えや立ち入り検査はないでしょうし、私が任された部分を単純に間違えたのだと主張すれば通るはずです。
ね、そうしましょう?このままごまかし続けたところで、どこでばれるか分からないんですよ?すぐ町に戻って申告しなおしてください。そうすれば私もお義母さんが故意に過少申告していたことは誰にも言いませんから。これが一番確実で正しい解決法ですよ」




