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ちらりとすぐそばにいるラウを見ると、少し困ったような顔をしている。母親の心情を聞いて、己の行いを反省しているのだろうか。
きっとラウは、町に帰る前は本当に私のことを黙っているつもりだったんだろうけど、ラウの態度や届く手紙でばれてしまったんだろう。
口を噤むラウに対してお義母さんは、今言ったような私に対する思いを息子に話して聞かせたのだろうか。単純なラウはきっとすぐにほだされて、そして洗いざらい喋って、母親に言われるがまま彼女をここへと案内したのだ。
今もきっと、母親の言った言葉を少しも疑っていない。
お義母さんのこの言葉を信じることができたらどんなによかったろう。
いや、未だに信じたいと私は思っている。
「……お義母さんが……私を連れ戻したい理由はそれだけですか?本当に?」
「……それは、どういう意味?ディアちゃん、なにか心配事でもあるの?ほかに理由なんてないわ」
お義母さんは眉を顰め、少し警戒するように答えた。
私はあえて鎌をかけてみることにした。全てが私の思い過ごしでありますように、と願いながら。
「お義母さん、私、この村役場でお仕事をさせてもらうようになって、いろんなことを勉強できたんですよ。役場という場所柄、法律や条例に関する本や資料も全部そろっていますし、書類を作成するのにそれらを理解していないといけなかったですからね。お店で働いていた時は、法律とか全然知らなかったですから、良い勉強になりました」
私の言葉でお義母さんはサッと顔色を変えた。
ラウはというと、突然的外れな話題を私が持ち出したと感じているようで、よく分からないと言った顔で話の続きを待っている。
「……そうなの?こんな過疎地で、いい職場を見つけられたなんて奇跡だわね。運がよかったのね。ウチの店に居た時は、とにかく忙しくて仕事の勉強は二の次になっちゃってたものねえ。でもそれは決してあなたをないがしろにしていたわけじゃなくて、正式にラウと結婚してから経営者の教育をしようと考えていたのよ。
色々疑心暗鬼になるのも無理はないわ。レーラさんとのことで、ディアちゃんがラウの母である私を信用できなくなっているのも当然のことだと思っているわ。
だからこそ、もう一度あなたに戻ってきてほしいと思っているのよ。こんなかたちで誤解しあったまま縁が切れてしまうなんて耐えられないの」
「お義母さん、もう取り繕わなくていいんですよ。もっとはっきり言った方がいいですか?私、法律の勉強をしたことで、あなたの店で時々任されていた仕事の意味が分かってしまったんです。
お義母さんは算術や簿記が苦手で、毎年私が帳簿から集計する作業を頼まれていましたよね。なんのための集計なのか、どこに出す書類の作成なのかとかは全然教えられないまま作業していましたけど、内容から考えると、町役場へ提出する書類だろうと分かっていましたし、時期からして、納税作業でしょう。売上の報告とそれに対してかかる税金の計算だったんですよね?」
「……なんの話?なにが言いたいの?」
「私、町にいた頃は、あなたのことを公正で優しい人なんだと信じて疑いませんでしたけど、町を出て視野が広がると、いろんなことに疑問を持つようになったんです」
役場で働き始めて、最初に疑問を持ったこと。
それは、私が働いていた時間が長すぎること。
私は学校に行っている時以外は朝から晩まで店で働いていた。
子どもが働く時間には上限があるはずだと、村長やほかの人たちに教えられて知った。
それを経営者であるお義母さんが知らないはずがない。
実際、夕方くらいまで店に立って、その後は在庫の整理や帳簿付けなど裏に回されていたので、それは他の人に私が規定時間を超えて働いていると知られないように調整されていたのかと今にして思う。
休みの日は大体いつもお義母さんの知り合いの店でお手伝いをしていたし、私は普通の大人でも考えられないくらい異常な時間働いていた。
何故、お義母さんはそれほどまで私を働かせたのか?
私は常に働いていて、給金ももらっていなかったから、時間にもお金にも全く余裕がない状態だった。
私の給金を両親が受け取っていたことも知らなかったし、もちろん両親も私には必要最低限以下にしかお金を渡してくれなかったから、だから友人とどこかへ遊びに出かけるとかって一度もなかったのだ。
私はここに来て、置かれていた環境の異常さに気付いて、そして分かったことがあると言った。
「だから―――そう……あなたの目的は、私を人と関わらせないようにして、孤立させることだったんじゃないですか?違いますか?」
色々なことに疑問をもって、全てのことを総合して考えた結果出た結論をお義母さんにぶつけてみた。
お義母さんは顔色を変えることなく黙ったまま私を見ているが、そばで聞いていたラウが慌てて口をはさんでくる。
「は?ちょっと待てよ。母さんが、そんな……そんなことする必要ないだろうが。俺が仕出かしたこととか、給金がちゃんとお前のもとへ渡らなかったことは母さんの責任じゃないだろ?俺のことはともかく、母さんのことまで色眼鏡で見て疑わないでくれよ。言っちゃ悪いけど、お前が孤立してたのってさ、あの両親とか、ディアのその性格とかもあったんじゃないか?それを母さんのせいにするとか……」
はっきりとは言わないが、被害妄想だとラウが思っているのが伝わってきた。ラウからすると、ただ私がいちゃもんをつけているようにしか聞こえないのだろう。
「そうね、でもそれだと色々つじつまが合ってしまうのよ。……お義母さんは、余計なことは言わず従順に仕事だけをする優秀で忠実な従業員が欲しかったんじゃないですか?他との付き合いを断っていれば、情報が入ってこないし自分の雇用環境とかに疑問を持つこともできないですしね。実際、私はお義母さんのすることに疑問を持たず無給で店に尽くすことが当然だと思ってしまっていた」
「いや、でもな……母さんが?そんなことする必要ないだろ?」
ラウはどうしても納得がいかないといった様子だったが、この際ラウはどうでもいい。私はラウの問いかけを無視して、お義母さんの方へ向き直る。
「お義母さん。私、村役場で納税の手続きや書類の作成を任されたんですよ。もちろん分からないことだらけで村長に全て聞きながらでしたけどね。ちゃんと法律や条例に照らし合わせて、収益に対してかかる税率の計算をして、報告書の形式も過去のものを参照して、一から十まで私が作ったんです。
それで、私気が付いたんです。店にいた頃、売上に対して支払う税金の額が、どう考えても少なかったって。
ここ数年、出納帳は私が記入していましたよね。在庫表も把握していましたから、年間の売上がどれだけか全部知っていたんです。そして、お義母さんは何の集計か教えてくれませんでしたけど、毎年納税のための報告書作成も私は手伝っていましたから、いくら税金として納めていたのか覚えています。
お義母さん……あなたは、売上を過少申告して、脱税していましたね?」
そう、私は村役場で今年の秋に村長に頼まれ納税の手続きをした。その時に以前店でしていた仕事の内容が理解できたと同時に、おかしいことに気が付いたのだ。
そもそも、売り上げに対して税金がかかるということも私は知らなかった。
村役場でそれを知った時、すぐに当時のことを疑問に思った。
でも村と町で税率が違うのかもしれないし、職種でも違ってくるのかもしれないと考え、冬の間にあらゆる法律の本を読んで勉強した。それにより、お義母さんの店が脱税していたのは間違いないと確信していた。
私の言葉を聞いたお義母さんは全くの無表情で、黙ったままだった。ラウだけがひとり理解が追い付かない様子でおろおろしていた。否定も肯定もしないお母さんが不気味ではあったが、構わず私は話を続ける。
「いつからお義母さんが脱税に手を染めていたのか知りませんが、いずれ私が嫁入りしたときに、この違法行為に気付かれないよう、私への情報を制限して教育していたんでしょう?
学校を卒業してからのここ数年は、もうすぐ結婚だからと帳簿も全て私に管理を任せていたし、納税作業も数字を全部出すところまでは私にやらせていましたけど、当時はそれに疑問を持つことなんてありませんでした。
でも、私が町を出奔してしまったことで、あなたは焦ったんじゃないですか?なかなか無いことですが、もし私がどこかで店の経営を任されたり、商家に嫁いだりしたら、店での作業や帳簿に疑問をもって、あなたの違法行為に気付いてしまうかもしれないと心配になったんですよね?
だからあなたはラウに私を探しに行かせた。まあ、せっかく時間とお金をかけて育てた従順な働き手がもったいないとも思ったのかもしれないですけど。
あなたは、私がラウを好いていたのも気付いていて、ラウがわざわざ探しに来たらきっと簡単にほだされると思っていたんでしょう。
だからこそ、ラウが私を連れ戻しもせず帰ってきて、しかも私が村役場で働いていると知って焦ったんでしょうね。役場では税のことについて知る機会が多いですから、私が気付く前に、どうにかして連れ戻そうと思って、わざわざご自分でこんな僻地まで来たんですよね。
残念です……あなたはもっと公明正大で、尊敬できる方だと思っていたのに……」
「とんだ言いがかりだわ。あなたのことは娘のように可愛がっていたのに、そんな風に言われるなんて、悲しいわ。どうしてそう思ったのかわからないけど、私はそんな仕事をあなたに頼んだ覚えは無いし、あなたの勘違いじゃない?なんの物証もないのに、そんな妄想を訴え出たとしても、逆にあなたの正気を疑われちゃうわ。そんなの嫌でしょう?」
予想はしていたが、お義母さんは少しも認めることはなかった。
あちらが完全に知らないふりをするのなら、私ももうこれ以上言うことはない。
「そうですか。では私の被害妄想だと思って聞き流してください。それならもう私に用はないですよね。あなたの好意を踏みにじるような人間に店を任せようなんてもう思わないでしょうから。どうぞ、私のことはもう忘れてください」
「そうはいかないわ。あなた店の引継ぎを全くしないまま出奔したのよ?そのことで私や他の従業員がどれだけ困ったか分かっているの?そりゃあもとはと言えばラウが悪いけれど、それと仕事は別でしょう?こちらだってディアちゃんにちゃんと償いをするつもりだったのに、何も聞かず何も告げずいなくなったのはいくらなんでも常識がなさすぎるわ。
分かった、もう店に戻ってなんて言わない。だけど、あなたがしていた仕事で分からないことがあるのよ。帳簿も見つからなくて……どこか持ち出したりしていない?帳簿の管理あなたにまかせていたのよ。だから一度だけ引継ぎで戻ってきて頂戴。ちゃんと旅費と給金は支払うから」
お義母さんは脱税のことを認めるつもりはないが、私が気付いていたと知り、どうにかして連れ帰ろうと必死のようだ。無理に連れ帰ったところで私が黙っている保証もないのに。
「なんと言われようとも私は町に戻るつもりはありません。あのことは……確かに証拠もないことですし、訴え出ようなんて思ってませんから……だからもう、いいでしょう?」
まだ食い下がってきそうな気配がしたが、強引に話を終わらせてこの場を離れようと思い、踵を返して村役場への道を引き返し始めた。
私も感情的になりすぎているし、一旦頭を冷やしたい。
だが突然、後ろからぐいっと強く腕を引かれて体勢を崩し、私は後ろに倒れそうになる。
あっと思った次の瞬間、後ろから衝撃を受けて私は意識を失った。
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