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その日はジローさんが隣町に買い出しに行ってくると言って、珍しく朝早くから出かけて行った。
旅の用意をある程度揃えておきたいと言っていたので、それらを買ってくるつもりらしい。
夜には帰るというので、私はいつも通り村役場で仕事をして、いつもより少し早めに上がることにした。
ジローさんが帰ってきたときに食事にできるようにしておこう。家にある食材でなにを作ろうかと考えながら歩いていると、家へと続く道の途中にマーゴさんが立っているのが見えた。
マーゴさんの家に向かう道ではないし、ひょっとして私に用事があって待っていたのかなと思って急ぎ足で彼女の元へと向かう。
「マーゴさん?こんなところでどうしたんですか?」
「ああ!ディアちゃん!ごめんなさいね、ちょっと手伝ってほしいことがあってね、悪いんだけど帰る前にウチに寄ってくれないかしら?」
「大丈夫ですよ。私でお手伝いできることですか?」
「ええ、ちょっとね、とにかく来てくれれば分かるから」
以前も保存食を作る手伝いをご老人がたに頼まれたことがあるので、私はなんの疑問も持たずマーゴさんについていった。
マーゴさんの家は林のそばにあって、ちょっと寂しい場所に位置している。以前はヤギをたくさん飼育していたらしく、朽ちた小屋が敷地内にあって、その後ろに隠れるように荷馬車があるのがチラリと見えた。
マーゴさんの家はもう彼女ひとりだけなので馬も馬車もとっくの昔に手放していると言っていたので、誰か訪問者がいるのかと思った。
「マーゴさん、どなたかご親戚のかたとかいらしているんですか?お手伝いすることは……」
「ごめんなさいね、ディアちゃん。でもこれもあなたのためを思ってのことなのよ」
噛み合わない返答にとまどっていると、後ろから腕をつかまれた。
ハッとして後ろを振り返ると、そこにはあり得ない人物が立っていた。
嘘だと思いたかった。私の思い過ごしであってほしかった。この人が現れなければ、そう思って気付かないふりをしていられたのに。
その人物は、私の腕をつかむ力強さと裏腹に、心底ほっとしたような弱々しい笑顔を浮かべて、優しい声で言う。
「……ディアちゃん。ああ、とても心配していたのよ。本当の娘のように思っていたあなたが突然行方不明になってしまって、私はずっと生きた心地がしなかったわ。ずっと探していたの。こうして会えて本当によかった……」
泣くのをこらえるような声でそんな言葉をかけられて、喉がぐっと苦しくなる。
だけど私は必死で平静さを装って、動揺を悟られないように無理やり笑みを作ってみせた。
「お久しぶりですね、お義母さん……。きっといらっしゃると思っていました」
ゆったりと微笑みながら私がそう言うと、目の前にいるお義母さんの頬がひくりと歪むのが見えた。
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お義母さんは一瞬表情が崩れたけれど、すぐに先ほどの顔に戻って涙を浮かべていた。
「ずっと私が探しに来るのを待っていたってことね?ああ!そうだったのね、ラウなんかに行かせないでやっぱり私が行くべきだったわ。ごめんなさいね……。傷ついたあなたをずっとひとりにしてしまったわ」
お義母さんの言葉を隣で聞いていたマーゴさんが『うん、うん』と頷いている。
ああ、マーゴさんはこの人と引き合わせるために私を連れてきたんだと分かった。
私が移住を決めたとみんなに告げたあと、マーゴさんは何度かラウに手紙を出している。
文字は覚えたので添削は必要ないと言われて、中身を見ていなかった。手紙でラウに私が移住することを教えたのだろうか。
このお母さんとの邂逅はマーゴさんによって仕組まれたことのようだが、いつの間にこの二人はつながったのか。
それにしても、こうやってちゃんと根回しをして味方を作ってから場に臨むあたり、さすが商売人だなと感心する。
私が無言で唇をかみしめていると、マーゴさんはお義母さんに嬉しそうに話しかけていた。
「ねえ、よかったですねえ女将さん。ディアちゃん、あのね、女将さんはラウ君のことがあるからあなたに会わせる顔がないって言って悩んでいらしたんだけど、娘同然のあなたのことをこのまま放ってはおけないから、仕事をお休みにしてまであなたを迎えに来たっていうのよ。ねえ、よかったわねえ。血のつながりは無くても本当の親子の愛情で繋がっているのねあなたたちは」
感極まって涙を流すマーゴさんを見て、どう答えるべきか悩んでいると、かわりにお義母さんが答えた。
「ええ、ありがとうございましたマーゴさん。あなたのおかげで、ディアちゃんの無事な姿をみることができました。ディアちゃん、少し二人でお話しできないかしら。ラウのことであなたを傷つけたのを謝りたいの」
「話をするのなら、村役場の応接室をお借りしましょう。村の訪問者はまず役場に来ていただくことになっていますから」
二人で、と言われて私はそれをやんわり断る意味で役場を提案した。が、案の定お義母さんは難色を示す。
「やっぱり怒っているわよね。あなたを傷つけたラウの母親である私に対しても許せないと思うのは当然だわ。でも私はあなたのことも自分の娘のように思ってきたのよ……そんな風にまるで他人みたいな話し方をされると悲しいわ。
でもね、ディアちゃんきっと誤解していることがあるのよ。お願いだから話だけでも聞いて」
弱々しく懇願するお義母さんは、まさに娘を心配する母の姿そのものといった風だった。それをみてまたマーゴさんが涙を浮かべてお義母さんの援護をする。
「ディアちゃん!ここでちゃんと話しておかなかったら、きっといつか後悔するわよ!ホラ、わたしは席を外すから、言いたいこと全部言っちゃいなさい!ほかの人がいるときっと本音で話せないでしょ!」
「いや、違うんです。マーゴさん私の話を……」
私が引き留める声も届かず、マーゴさんは『いいからいいから!』といって帰って行ってしまった。マーゴさんが自ら席を外すように仕向けたのも絶対お義母さんだ。
でも私はこのまま二人きりで話すつもりはない。
「……役場でならお話を聞きます。どうぞ一緒にいらしてください」
二人きりになった私はお義母さんを役場に来るよう促して、逃げるように勝手に歩き始めたが、すぐに腕をつかまれた。
「いいえ、あちらに馬車を停めてあるの。その中でお話ししましょう?」
それを振り払いながら私は固い声で答える。
「それならお話することはできません。役場が嫌なら村長かクラトさんに立ち会っていただく……っきゃあ!」
お義母さんが引いてくれないので、じりじりと後ずさっていたら、後ろから誰かに肩をつかまれたので驚いて叫び声をあげてしまった。
「ちょ、騒がないでくれ!俺だよ……すまん、ちょっとでいいから母さんの話に付き合ってやってくれないか?あの人言い出したら聞かないんだよ……」
「ラウ……あなたがお義母さんを連れてきたのね……」
私の肩をおさえているのは、ラウだった。
どういう経緯でこうなったのか知らないが、私がここにいることは知らせないと言っていたくせに結局お義母さんに丸め込まれたということか。
恨みを込めてラウを睨むと、さすがに気まずそうにして肩に乗せていた手を慌てて引っ込めた。
再びお義母さんのほうへ向き直り、どういうつもりなのか問いただす。
「……わざわざこんなところまでいらして何の話があるんですか?ラウには、私は町に帰るつもりはないと言いました。お義母さんとお話ししても、店に戻ることは無いですよ」
「そんなに構えないで。あのね、あなたには小さいころから店に来てもらって、私たち、誰よりも長い時間一緒に過ごしてきたでしょう。ディアちゃんの事はあなたのご両親よりも知っているつもりよ。実の娘のように思っていたわ。あなたはそうじゃなかった……?
ディアちゃんは、私がラウとレーラさんの結婚を私が認めたから、それを怒っているんでしょう?ずっと店につくしてくれたのに、裏切られた気持ちになったんでしょう?
でも違うのよ。ラウのことは別にして、ディアちゃんにはこれまで店に貢献してくれたのだから、結婚は無くなっても、店の権利を一部譲渡して、経営者になってもらうことを考えていたの。一人前になったら別店舗で独立すればいいし、もしウチと関わるのが嫌なら売却して資金を受け取ってもらってもいいと思っていたの。
あの日はディアちゃんもいろいろあって疲れていただろうし、途中で退席してしまったからまた後日あなたの希望をきこうと思っていたけれど、ディアちゃん行方不明になってしまって……すごく心配していたのよ。
私はあなたにとって義理の母親で、そのつながりすら無くなってしまった赤の他人かもしれないけど、私にとっては娘同然なのよ。余計なお世話と言われても、ほうっておけないわ」
優しい声色で私に語り掛けるお義母さんの姿を見ていると、かつてこの人を尊敬し家族になれることを心から喜んでいた自分を思い出して胸が苦しくなる。
もし、この言葉をあの結婚式の夜に言われていたら、私はきっと町にとどまっただろう。ラウのことで悲しい思いをしても、この人が私を家族だと言ってくれたなら、その言葉で絆されて、ラウのしでかしたことも結局は許してしまったんじゃないかと思う。
そして今も、世間知らずで世の中のことを全く知らない私のままだったら、きっとこの言葉も疑わず信じてしまったと思う。
私はお義母さんの真意を探るように問いかける。
「……それが今回ここに来た目的ですか?ご心配頂けたのは嬉しいですが、私は大丈夫です。ちゃんと仕事にも就けましたし、生活にも困っていません。ラウのことももう吹っ切れたので、謝罪して頂く必要もないんです。ちゃんと幸せに暮らしていますから、私のことは心配してくださらなくて大丈夫です」
きっぱりとそう言い切ると、私の返答が気に入らなかったのか、お義母さんはほんの少し眉をひそめた。
「まあ、そうなの?あなたのことだからきっと努力したのね。今は幸せだって言ってくれて少し安心したわ。でも……一生この村で暮らすわけじゃないでしょう?
あのね、ラウから聞いたと思うけど、レーラさんとの結婚は無くなったのよ。それに、ラウもこれからは店じゃなくて父親の船に乗せて、町からは離れさせる予定なのよ。これからは船の仕事を中心にするから……店は私一人になるのよね。
だから……ディアちゃん帰ってこない?もう一度私と一緒に店をやってくれない?私が引退したら、あの店をあなたに譲りたいの。ディアちゃんとは血のつながりもないけれど、私にとって誰よりも近しい存在だったのよ。
こうしてあなたと離れて、そのことを嫌というほど実感したわ。夫は一年のほとんど帰ってこないし、ラウも遊びまわって家に居つかなかったでしょう?私にとって一番家族だったのってディアちゃんだったのよねえ……。
あなたがいないともう、店を続けていく気力も出なくて、もしディアちゃんが戻ってこないなら、もう店も潰してしまおうかと思っているの。ねえ……だからもう一度考え直してくれないかしら……。私にはあなたしかいないのよ」
お義母さんの言葉は、私の胸を打った。
この人は……本当に相手の欲求を見抜くのが上手い。
交渉事では相手の懐に巧みに入り込み、その人が何を求めているのかをすぐに見透かして、いつの間にか相手を自分の流れに取り込んでしまう。交渉が終わってみれば、全てお義母さんの提示した条件のとおりに決まっている、なんて瞬間を何度も見てきた。
私など幼い頃から見てきたのだから、家族だと、あなたしかいないのだと、こんな言葉をずっと誰かに言われたいと思っていた心情もとっくにお見通しだったのだろう。
この人は、そういう言葉をかければ私の気持ちが揺さぶられるのを分かって言っている。そう分かっていてもなお、彼女の言葉に喜ぶ私がいた。




