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「さ、裁判所だなんて!そもそも仕事を勝手に降りると言ってきたのは彼らのほうで、むしろ私は被害者なんだ!一方的な契約解除されて、こっちこそ大損したんだ!あちらに非があるのだから、私に返金の義務はない!それなのに連れ帰れだなんて……私がそんなことをされる謂れはないし、君にもそんな権利はないだろう!
それとも力尽くで連れ帰るつもりか?そんなことをしたら君のほうが犯罪者になるぞ。犯罪者に可愛い娘を嫁がせるわけにいかないな」
父の主張が正しいのか分からないが、確かにいくら仕事仲間が『連れ帰れ』と言ったところで、父がそれを拒否したら強制することはできない。
ジェイ君はどうするつもりなのかとハラハラしていると、別の方向から新たな声がして、皆で一斉にそちらを向いた。
「返金義務の有る無しは、ここで論ずることではありません。まずは町にお戻り頂いて、原告の方々と裁判所で話しましょう」
新しく現れた人物に、この場にいる誰もが驚くしかできなかった。
ジェイさんの後ろから、憲兵の服に身を包んだ男性が顔をのぞかせて、父に向かって話しかけていた。
「軍警察の者です。ジェイ君からあなたがたが町を出奔したと聞きましてね、まあ裁判所に訴えが出ている件ですし、ジェイ君の追跡に協力していたんです。本来、あなたがたは、裁判が終わるまでは、町を出ることは許されないんですよ?」
「許されないって……私は訴えられていることも知らなかったんだ。それにただ、仕事仲間とちょっと行き違いがあっただけのことだろう?仕事の資金として金を預かっただけで、泥棒したわけでもないんだぞ?いくら憲兵であっても犯罪でもないことで私の意思を無視して連れ戻すなんてできるわけがない」
確かに今すぐ逮捕となる内容ではないが、明らかに資金を持ち逃げした可能性があり、悪質だと判断されたからこそ、憲兵が追いかけてきたのだ。
それが分からないのか、父はまだ強気の態度だが、私はここでさきほど父に言いかけていたことを伝えた。
「父さん、先程、私の給金のことを自警団に訴えたりしても取り合ってくれないと仰っていましたが、そんなことないんですよ。町の条例に、子どもが働く場合、拘束時間、給金に規定があって、一定以上を超えると町役場に届け出をする必要があるんですよ。子どもの強制労働を防ぐための条例が、『町』には課せられているんですよ。私も知らなかったのですが、この冬ちょっと時間ができたので、勉強したんです。
私が子どもの頃から父さんは給金を受け取り続けたようですが、一度もそのことを私に教えてくれませんでしたね。
条例では、親が子どもを無理やり働かせてお金を巻き上げる事がないように、『子どもと一緒に』役場へ届出をしないといけないとなっているのに、私は給金があった事実すら知らなかった。
届出義務を怠ったというだけでなく、日常的に私を虐待していたという証言が加われば、子どもを強制労働させていたことになりますよね。
もしそれを私が裁判所に訴えれば、軍警察も動いてくれる案件です。私を無理やり連れ帰ってもいいですけど、その代わり町に着いたら私はそのまま裁判所へかけこみますよ?実の娘に訴えられるなんて、醜聞もいいとこですけど、それでも私を連れていきたいですか?」
条例には細かい規定があり、家業の場合や工房に弟子入りの場合など多岐にわたるが、私の場合は商家で単純に労働者として働き、給金を払われていたので、完全に条例違反に該当するはずだ。
給金について、お義母さんとどのように契約が結ばれているのか分からないので、ひょっとして抜け道があるように細工がしてあるかもしれない。だから脅しの材料に使えるかは正直賭けだった。
ただ、私が訴えて裁判になれば、これまで両親が私にしてきたことを大衆の前で詳らかにすることができる。そうすればこの人達と離れられるのではと考えたのだ。
「ああ、それちょっと漏れ聞こえていましたけど、こちらのお嬢さんの言う通りですね。それが本当なら、お嬢さんの勤め先も報告義務を怠っていますが、保護者として給金を受け取っていた以上、届出をしない時点で条例違反ですね。その取り調べも必要になってしまいましたね。
それにねえ、知らなかったと言っても、仕事仲間が訴えの届け出をした時点では、おたくらまだ町にいたんですよ。通達と同時に町を出ていますし、逃亡したとみなされてもおかしくないんですよ。というわけで、軍警察はあなたがたを強制連行することができるんです」
憲兵の人が補足するように私の言葉を肯定してくれたので、両親は真っ青になって慌てていた。
それでなくとも既に憲兵が動いている時点で、父の強制送還は決まったも同然だ。
「はあ?!そんな……違うんだ、あれは娘の給金として受け取ったわけじゃない!あれは……私の仕事の謝礼だ!あちらの女将さんに聞いて貰えば分かる!そもそも我々はそんな届出義務があるなんて知らなかったのだから、違反には当たらないはずだ!
それに、仕事仲間には金ができたらすぐ返す!裁判だなんて大袈裟だ!」
「待って頂戴!訴えるならアンタを働かせていた店の方でしょ?!私はなにも知らないもの!条例違反になるように働かせたのは店の方なんだから、私たちは関係ないわよ!届出とか知らないわよ!あの女将さんが私たちを嵌めたんだわ!」
「なんと言われましても、お二人には町にお戻り頂く必要があります。私が連れていく必要があるのはお二人だけですし、強制労働の件に関しては、まず軍警察のほうで調査してみてからですね。事件になるかまだ分からないので、彼女が今すぐ町に戻る必要はありません。……まあ、娘さんが今一緒に両親と帰りたいと言うなら別ですが」
憲兵の男性がチラリとこちらを見たので、おもいっきり首を横に振った。
男性はニコリと笑って小さく頷いたかと思うと、ぎゃあぎゃあ騒ぐ父と母の腕をつかんで、ひょいひょいと連れて行ってしまった。
父と母は最後まで私に『お前のせいで!』と叫んで暴れていたが、ついには縄で拘束されて馬車に放り込まれてようやく静かになった。
……あまりの急展開に、ただ茫然と見ているしかできなかった。
誰も言葉を発せずにいると、母が連れていかれ、取り残されたレーラの下へジェイさんがスタスタと歩み寄った。
「レーラ!これで僕たちの仲を引き裂く人たちはいなくなったよ!これでレーラは自由だ!僕たちも町に帰ろう!
あ、心配しなくても、レーラは店で働かなくていいし一歩も外に出なくてすむようにしてあげるから、町の噂なんか気にしなくて大丈夫だよ!
あ、でもこの間流れてしまった僕たちの子の供養はしてあげないとね。ご両親に監禁されていて僕たち全然会えないままだったから、ちゃんとしてあげてなかったもんね。
あっ!診察したお医者さんに聞いたけど、レーラは次の妊娠するのになんの問題もないって太鼓判押してくれたから安心して!だからなにもかも心配いらないよ!町に帰ったらすぐ結婚の宣誓をしに行こうね〜」
ニコニコと笑いながら、ジェイさんは子どもでも抱っこするかのように、レーラを軽々持ち上げた。レーラもずっと呆然としていたけれど、抱き上げられた瞬間にハッと我に返った。
「いっ……嫌!やだやだやだ!わたしジェイさんとは結婚しないって言ったもん!ていうかなんなの?!妊娠とか嘘だし!してない!してなかったの!そもそもアンタ無関係だって言ってるじゃない!なんで少しも話が通じないわけ?!だから嫌なの!
町からずーっと父さんたちをずっと尾行してくるとか、怖すぎるんだけど!降ろして!わたしアンタとなんか帰らないもん!……お、お姉ちゃん!助けて!わたしお姉ちゃんと一緒に居たい!」
レーラが心底怯えた表情で私に手を伸ばしてくる。ジェイさんはちょっとだけ困ったように眉を下げているけど、相変わらず笑顔で、レーラの様子と、なんだか噛み合わない話に戸惑いを隠せない。
「えっ……?えっと……でも……あなた私のこと大嫌いなんじゃ……」
レーラは両親が連行されていく時も黙ったままだったのに、ジェイさんに連れていかれそうになるととたんに騒ぎ出した。
ジェイさんの何が不満なのか分からないが、だからと言ってさきほどあれほど憎んでいると宣言した相手に助けを求めるのもどうなのだろう。
どう返したものかと迷っていると、レーラはみるみる大きな瞳に涙をためて、一生懸命謝罪をしてきた。
「……っごめんなさい。だって、お姉ちゃんが羨ましくて……ひどいことしてごめんなさい……わたしホントはもっとお姉ちゃんと一緒に居たかった……もっと一緒に遊んだりしたかったし、お姉ちゃんにいろんなこと相談したかった。だけど母さんが、私がお姉ちゃんに話しかけると機嫌が悪くなるから、そういうこと言えなかったの。私がお姉ちゃんを好きになるの許してくれなかったんだよ。ホントは父さんと母さんからわたしも離れたかった。お姉ちゃんともっと一緒に居たかった……!
これからは心を入れ替える!もう二度とあんなことしないから、お願いだから、許して…………」
涙をポロポロと流しながらレーラは私に懇願してきた。あんなに嫌いだと言った私に謝るなんてどうかしてしまったのかと思ったが、レーラもわたしに本音をぶちまけて、両親の本音を聞いて心境に変化があったのかもしれない。
だからといって、レーラのことを許すことなどできない。
あんなことをしておいて、今更謝られても遅すぎる。
……でもレーラもまた父の思惑に踊らされていただけだと知って、完全にレーラだけが悪いとは言い切れない気持ちになっているのもまた事実だった。
レーラは両親に大切にされ愛されていると思っていたが、父も母も、妹をただ自分好みのお人形に仕立てようとしただけで、本当の意味では愛していなかったのかもしれない。
勉強も手仕事も、レーラのためを思うなら、たとえ面倒でもちゃんと身に着けさせようとするのが正しい親の姿だ。それを怠って無意味に甘やかしたのは、レーラに自分で考える力をつけさせたくなかったのか。
父は特に、自分の言葉を否定されたり間違いを指摘されたりするのを異常なまでに嫌った。私の育て方を失敗したと言っていたから、レーラは自分のいうことだけを聞いて素直に従う子にしようと教育していたのかもしれない。
レーラは私を『被害者面して』と詰った。
確かに今まで私は自分ばかり虐げられていたと思っていたが、レーラはレーラであの両親にお人形遊びをするように偏愛されていたのだから、妹もまた被害者だったと言える。
考え無しの子どもだったと思えば、反省してやり直す機会を与えるべきなのか?だけど…………。
答えられずにいると、すぐそばにいたジローさんが、私の迷いを振り払うようにこう言い放った。
「お嬢ちゃんよ、ずいぶんあっさりとごめんとか言っているけどな、アンタがお姉さんにしたことは、本来なら許しを請うことすら憚られるような非道な行為だったんだが、そのへん理解しているか?
それをそんな簡単に、『許せ』なんて言えるってことは、自分のしたことが大して悪いことだと思ってない証拠だ。
犯した罪ってえのはな、その重さに見合うだけの償いをしてようやく、相手に許しを請うことができるんだよ。
償いも反省もしていないアンタに、そんな台詞をいう資格はないんだ。
ディアさん、泣いている妹を振り切るのは辛いかもしれない。だけどここで簡単に許してしまえば、この子はきっとまた同じようなことを繰り返すぞ。
簡単に許された罪に対して、人は反省なんかしない。ディアさんを傷つけたことだって、きっとすぐに忘れる。まだ若い妹にやり直す機会を与えたいというのなら、なおさら今は突き放すべきだ。この子のためを思うんなら、こんなかたちで許しちゃいけない」
(この子のためを思うなら…………)
厳しいが、ジローさんの優しさが溢れるような言葉だった。
ジローさんはきっと、私が『許すべきだろうか?』と迷う理由を潰してくれたんだ。
謝ることは大切だが、謝罪だけでは償えないことも世の中には山ほどある。レーラがもしここで『謝ればどんなことでも許される』と思ってしまったら、これから先大きく道を間違えることになりはしないか?
レーラにはしっかり反省し後悔する時間が必要なのだと、ジローさんの言葉を聞いて思った。




