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私の隣に立つジローさんの顔を見上げると、いつもどおり優しい目で私を見返してくれた。
その瞳が『なにがあっても助ける』と言ってくれているように見えた。
私はひとりじゃない。何があってもきっとジローさんは私の味方になってくれる。そう思うと勇気が出た。
私はこれから、この親と戦う。
戦ったところで解決などしない問題かもしれない。
それでも私は、もうこの理不尽を飲み込んで生きることはできない。
私は、私の人生を生きるために、逃げるのではなく戦う決心をしたのだ。
父に向き合って、顔を上げ正面からしっかりと見据えた。
私の様子が変わったのが分かったのか、父は訝し気に眉をひそめた。
「父さん……レーラと話をして、私、分かったことがあるんです。
二人がレーラを誘導して、ラウと関係を持つように仕向けたこと。レーラが妊娠したら、そのことを盾にラウの家に結婚を求めること……。そうすればラウの家族も自分たちに非があるから、レーラを受け入れざるを得ない。そうやって、レーラをラウに嫁がせようと、父さんと母さんが画策していた事実を知ってしまいました。
母さんは純粋にレーラのためにしたことだと思いますが、でも父さんは違いますよね?
私が正式に嫁いだら、おそらく今受け取っている給金も終わる。仕事に関しては、婚家は絶対に家業に関わらせてくれなかったから、この先も変わることはない。
それになにより、私があちらの家の人間になったら、今までとは違い、私の方が力関係として立場が上になる。ずっと使用人以下で扱っていた私に礼儀を尽くす関係になるなんて父さんの性格からすると絶対耐えられなそうですものね。
……冷静に考えれば、分かったことでした。父さんにとって、私がラウと結婚しても、もうこれ以上自分に得は無いと思っていたんでしょう?
レーラがラウと関係を持ったと聞いたときはどんな気持ちでしたか?きっと以前から、レーラのほうを嫁に据えたいと思っていたでしょうから、いろんな計画が一気に実現可能になって、さぞ喜んだことでしょうね……。
上手くいけば、店くらいは乗っ取れるとでも思いましたか?自分たちの都合のために、たくさんの人を騙して巻き込んで、父さんも母さんも……本当に最低です」
あえて『最低』と直接的な言葉を使って見せると、案の定父は一気に顔を紅潮させ、今にも爆発しそうなくらい怒っているのが見て取れた。
それでもすぐに怒鳴ってこないのは、ラウのほうを気にしているからだ。自分たちが画策していたことがラウに知られるとまずいと思ったのだろう。だけど、私の予想より慌てているようだから、本当に店を乗っ取るくらいは計画にあったのかもしれない。
父が口を開く前に、母が立ち上がって私に向かって怒鳴った。
「ディア!お父さんになんてこと言うの!今すぐ謝りなさい!わたしたちがそんなことするわけないでしょう!
レーラとラウ君は愛し合っていたの!自分が婚約者に嫌われていて、妹の方が愛されていただなんて認めたくないでしょうけど、あなただって悪いのよ?!あなたがもっとラウ君を大事にしていたら、こんなことにならなかった!
レーラだって、好きな気持ちが止められなくてどうしようもなかったのよ!だからレーラもラウ君もある意味被害者なのよ!
誰が悪いわけじゃないわ!たまたま悪い瞬間が重なってしまっただけなのに、誰もかれもレーラが悪いみたいに言うから、この子とても傷ついて、あのあと寝込んでしまったのよ……。ねえ、分かっているの?ディアだって悪いのよ?!婚約者に振られたくらいで大げさに騒いで家出なんかするから、こんなとんでもないことになったんじゃない!レーラの結婚どころか、私たちも町に居られなくなっちゃったじゃない!どうしてくれるの?!」
「家出はしましたが大げさに騒いだ覚えはありません。残念ですけど、もうレーラが全て暴露してしまったんですよ。それはこの場にいたラウも聞いています。
ラウと関係を持ったのは、二人がレーラを唆したからです。そして結婚式でわざわざラウを誘惑したのは、私に嫌がらせをしたかったからだと自分から告白しました。
謝るとしたらあなたたちのほうです。計画的に、私の結婚を壊す予定を立てていたことを、私に対して謝る気持ちはありますか?」
母の言葉を真っ向から否定する。
言い返されると思っていなかった母は、目を白黒させていた。
これまで母がどんな理不尽な理屈で私を責めても、口答えすることなどなかった。
今も、自分が強く叱責すればいつものように私が謝ってくると思っていたようだ。まさか論破されたうえ、謝罪を求められるとは思ってなかったのだろう。信じられないといった顔で私を見ている。
「なんて口の利き方だ!お前自分が何を言っているか分かっているのか?!レーラが何を言ったかしらんが、どうせお前が言いくるめて言わせたに決まっている。あの子は純粋な子だからな、騙されやすいんだ。だからラウ君、ディアの言ったことを真に受けないでもらいたい。この娘は自分の頭がいいことを鼻にかけ、詭弁を弄して相手を丸め込むような卑怯なところがあるんだ。今ディアが言ったような事実はないからな?」
母に口答えした私に父が怒鳴り、ラウには言い訳するように父は媚びた声で話す。
話を振られたラウは胡散臭そうに父を見て、冷たくこう言い放った。
「いや……俺、アンタたちのいうことは何ひとつ信用できないです。レーラの言ったことは、色々な辻褄も合うし、誰が聞いても真実だと思いますよ。
そんなことより、ディアの給金もずっと取り上げていたとか、虐待していたとか、ちょっとどうかしている……どうしてアンタたちは、そんなにディアを嫌うんです?さっきから、なにもかもディアのせいみたいに言っているけど、話めちゃくちゃですよ……」
心底訳が分からないみたいな顔で言うラウに、父は『いや……それは……』と言葉に詰まってとっさに言い返すことができずにいた。
私にしてきたことに対してラウが『どうかしている』と言ったので、私は改めて、あれはやっぱり他所の人が見たら絶対おかしいと思うようなことだったのだと分かって少しだけホッとした。
「だから、誤解だ。ラウ君まで騙されないでほしい。虐待など……この子は自分勝手で家族を顧みないところがあるから、親である私たちがちゃんと躾けようとしていただけだ。給金の事も、もとはと言えば君のお母さんが提案してきたことなんだぞ?小さな子にお金を持たすのは危ないからって、だからわざわざ私が店まで出向いて受け取りに行っていたんじゃないか。成人前の子どもの小遣いを親が管理するのがそんなにおかしいかい?私は子どものために、ごく当たり前のことをしただけなんだがね」
「私はすでに成人しています。その理屈なら、成人後からの給金なら渡してくれるってことでしょうか?父さん」
「いちいち小賢しく口を挟むんじゃない!お前のそういうとこがダメなんだ!嫌味で屁理屈ばかりこねるからお前は可愛くないんだ!
ああ!もう!こんな水掛け論をしている暇はないんだ!レーラも見つかったことだし、町へ帰るぞ!ディアも荷物をまとめる気がないならそのまま出発するからな?着の身着のままで行くことになっても、自業自得だからな!」
怒りで誤魔化して父は議論を切り上げようとした。
私を連れて行こうとして腕を伸ばしてきたが、すかさずジローさんが私の前に立ち、それを阻んでくれた。
「ディアさんの質問にちゃんと答えようぜ?オトウサンよォ。それにディアさんがアンタたちと帰るわけねえだろ。あれだけ自分の娘を、壊れてもいい道具みたいに酷え扱いしておいて、未だにアンタたちに従うとでも思っているのかよ?どんだけおめでてぇんだ。子どもはものじゃねえんだよ」
「使用人風情がなにを偉そうに……家出した娘を親が迎えにきて連れて帰ると言っているんだ。赤の他人のお前に邪魔をする権利はない!力ずくでも連れて帰るからな!」
「何度も言いますが、私は帰りません。私はもうあなたたちの言葉には従いません。家族の縁を切るつもりで家を出たんです。町でなにが起きていようと、それはあなたたち自身の責任です。私に全ての面倒事の後始末をさせたくて、連れ帰りたいんですよね?そんなものに付き合うのはもう嫌なんです」
「私はお前の父親だぞ!親の言葉に背くなど許さんからな!」
話しても分かり合えないだろうと思ってはいたが、父は少しも考えを変える気がなさそうだった。
「……私はずっと、あなたたちに愛されたくてどんな理不尽も我慢してきました。要求に応えていれば、役に立てば、あなたたちに必要としてもらえる……愛してもらえるって、そう思って。
でもあなたたちは、結局私を便利な道具としか見ていなかったんですよね。私が幸せになるかどうかなんて、少しも興味がなかった……そのことが今になってようやくわかりました。
娘を道具としか見ていない人が、どうして親を名乗れるんですか?そんな人たちの言葉に従うつもりはありません。あなたたちは、親となる資格がない。
だから私は……あなたたちを親とは認めない。あなたは私の親なんかじゃない」




