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ジローさんは、ボタンがだらしなく開いたシャツで、頭をボリボリかきながらいつもどおりのだらしない態度で現れた。
そして、座り込んで泣くレーラと、情けない顔をしたラウと、疲れ切った顔の私を見ると、『あちゃー』といって笑った。
「なんだコレ?あれ、もしかして、ディアさんの妹?え?妹までディアちゃんを追っかけてきちゃったのかよ~。ディアさんモッテモテだなァ。でも今ディアさんは俺と同棲中だからなァ。残念だったな、ディアさんは返さないぜ~」
「ちょ、ジローさん何言って……」
心配してわざわざきてくれたのはうれしいが、変なことを言って場を混乱させないで欲しい。事情を説明しようとジローさんに歩み寄ったら、わざとらしく抱きしめられた。
普段こんなことしないくせに……とちょっとモヤモヤするが、ラウとレーラに『ディアさんは返さない』と言ってくれたことが嬉しくて、思わず顔がほころんでしまう。
「あらら、ディアさんなにその可愛い顔。なになに?そんなに俺のオヤジ臭が好きなのォ?」
「もう……可愛いとか、恥ずかしいんでからかうのやめてください。あと、ちゃんとお風呂入っているから最近ジローさんはあんまり臭くないです」
「そうかァ。臭いってディアさんに言われないとなんか物足りないなァ」
私とジローさんが話していると、後ろから『イヤアアアア!』とこの世の終わりみたいな叫び声が聞こえた。
「……嘘でしょ?!お姉ちゃん、なんでそんな汚いおじさんと抱き合ってるの?!気持ち悪い!え、ラウは?ねえ、ラウとはどうなっているのよ?!……ちょっと離れて!ヤダ、信じられない……」
汚いおじさんとか酷い言われようだ。服は私が毎日替えてと口を酸っぱくしていったので汚れてはいない。ただちょっとだらしないだけだ。決して汚いおじさんなどではない。
貶されまくったジローさんは怒るでもなく、ニヤニヤと面白そうにしている。
「そうだなァ~ディアさんはそこの尻出し浮気男より、おっさんのほうが好きなんだってさ。慣れればちょっとクサくて汚いおっさんも癖になるってディアさん言ってたもんなァ。だからアンタの夫には欠片も興味ないから安心しなァ」
いや、そんなこと言っていませんが……。
そう否定したくなったが、ジローさんがわざとレーラを煽るために言っているようだから、一応反論せず黙っておく。
でも私がクサい人が好きな変態みたいに思われるのでやめて欲しい。周囲のご老人方が、『あらぁ……』て残念なものを見る目を私に向けているから。
とはいえ、これだけ言えばレーラも、ラウと私はもうなにも関係が無いのだと理解してくれるだろう。そうすればもう私に拘る理由はなくなるから、諦めてラウと帰ってくれるに違いないと私は思った。
レーラは、目を真ん丸にして、私と私の隣に立つジローさんを交互に見ている。それをみたジローさんが、ニヤニヤしながらこれ見よがしに私の腰に手を回すと、レーラが再び発狂した。
「いっ、いやあああああ―――!お姉ちゃんがっ!お姉ちゃんがこんなおじさんの手籠めにされたの?!なんで?!ラウに捨てられておかしくなっちゃったの?!いくらなんでももっと他にいたでしょお?!ダメッ!こんなの許さないから!」
ん??レーラが私の思っていた反応じゃない。
「レーラ……?えっと、あのね、だから、ラウと私は本当に何もないってわかったでしょ?わかったなら、ラウと一緒に今すぐ帰ってちょうだい。二人の結婚については、私にはもう関係ないから、町に帰ってから両家で相談して。色々あるみたいだけど、ちゃんと謝れば父さんと母さんはあなたの望むようにしてくれるわよ……二人はあなたに甘いんだから。それにジローさんはいいひとよ。あまり失礼なことを言わないで」
私がレーラをなだめようと肩に手を置いたら、レーラは更にショックを受けた様子で、ボロボロ泣いている。ど、どうしちゃったのかしら……。
レーラは泣いて手が付けられないし、ラウは完全に思考を放棄しているし、周囲のご老人方はわくわく顔で眺めているし、役場の前はとんでもない混沌状態になっていた。
いい加減、見かねた村長が、『立ち話じゃ埒が明かないから、ディアちゃんの家で、四人で話し合いなさい』と言い出した。
ウチにこの二人を連れて行くのも嫌だったが、ずっとこの騒動で行商の人は待ちぼうけを食らっているし、野次馬のほかに荷物を待っている人もいる。クラトさんも荷下ろしができなくて困った様子でこちらを見ていた。
ここに居ると皆の迷惑になる。そう理解した私はしぶしぶ家に二人を連れて行くことにした。
***
家のテーブルには全員分の椅子がないので、ジローさんは小さな丸太を椅子代わりにして座ってもらった。
私は黙ったまま、お茶を淹れるために台所でお湯を沸かしていた。
後ろを振り返ると、我が家のテーブルに、元婚約者のラウと、その婚約者を寝取った実の妹のレーラが会話もなく座っている。
(なにこれ……憎み合うのも嫌だったから町を出たっていうのに、修羅場のほうが私を追いかけてくるとか、呪われているのかしら……)
お湯を沸かしながら、私は大きなため息をついた。
揃いのカップなんてこの家にはないから、色も形もバラバラのカップでお茶を淹れる。
トレーに乗せて、テーブルに運んで私が配ろうとすると、喉が渇いていたのか、レーラがさっとカップを手に取って、まだ熱いお茶をずずっと音を立てて飲んだ。
「あ……」
レーラが手に取ったのは、ジローさんが私にプレゼントしてくれたあのカップだった。
レーラは、何も考えずトレーに乗ったカップの中から一番綺麗なのを選び取ったのだろう。
子供の時からレーラは常に自分が一番だったから、誰かに遠慮するとか譲るとかそういう概念がないのだ。
一番綺麗で自分が欲しいものを手にするのが当たり前な環境で育ってきたのだから、仕方ないのかもしれないが、これが私のカップじゃないかとか、少しも考えたりしないんだなと思って、久しぶりに苦い気持ちが胸に広がる。
あれは、私のためにジローさんが選んで買ってくれたカップだ。
私の大切なものをレーラが使うことに激しい不快感を覚えたが、今はそんな話をしている場合ではないと思い、黙って残りのカップをラウとジローさんに配った。
私も席に座り、お茶を一口飲む。役場の前で怒鳴り合っていた時とは打って変わり、レーラもラウもだんまりを決め込んだまましゃべろうとしない。仕方がないので、話しだせるようレーラに水を向ける。
「レーラ、ここまでどうやって来たの?女の子一人で町を出るとか、なにを考えているの?犯罪に巻き込まれたっておかしくなかったのよ」
「お姉ちゃんだって町を出たじゃない。わたしだけが非常識みたいにいわないでよ。
わたしはちゃんと、乗合馬車の御者のおじさんに頼んで乗せてもらって町を出たの。夫が行商の途中で行方不明になったから探すため旅に出たって言ったら、みんなすごく同情してくれて、終着場所で北へ向かう人がいないか話をしてくれたりして……。そこで、とっても優しい行商の人がいてね、この村廻る予定じゃなかったけど親切でここまで乗せて来てくれたの」
この村の場所が何故分かったのかと不思議に思っていたら、聞くとどうやら、レーラはラウの家に行って、どさくさに紛れて届いていた手紙をこっそり拝借してきたらしい。
ラウが母親に宛てた手紙には、ただ『旅先で怪我をしたのでしばらく村に滞在する』と書いただけだそうで、一応滞在場所となる村の名前は伝えたが、私のことには一言も触れていないとラウは言った。
その手紙をみたレーラは、それでもラウは私と一緒にいるような気がして衝動的に町を飛び出してきたそうだ。
役場前にいた行商の人がわざわざレーラを運んで来てくれたのだと知って、ちゃんとお礼も何も言わないままだったと気づいて後悔する。
行商が販路を変えてまで来てくれたのは、こんな女の子が一人でウロウロしているのが心配で見ていられなかったのだろう。レーラの無鉄砲で多くの人に迷惑をかけてここまで来たようだが、本人はそういう事に全く気づいていないようだ。
「なんて馬鹿な真似を……簡単に言うけど、あなたすごく運が良かったのよ?それより、結局子どもはどうしたの?貴方の勘違いだったってこと?」
レーラが顔を上げ、口を開こうとするのをラウが遮った。
「だから、レーラは妊娠していなかったって言っただろ?でもそれが分かるまでも大変だったんだぜ?なにせ腹の子の父親候補が名乗りを上げたんだからな」
そう言ってラウは、私が町を出たあとに起きた事の顛末をおしえてくれた。




