元婚約者の独白5
呆けていた俺とは違い、母はこの発言を聞き逃さず、ジェイとあちらの両親に向かって問いかける。
「お腹の子の父親候補が他にもいたなんてねえ……確かアナタ、花屋のジェイ君だったわよね?レーラさんとはいつからお付き合いされていたの?なにかあちらのご両親とは誤解がありそうだけど。レーラさんとその親御さんは、お腹の子はラウの子だっていうのだけど、それは間違いだったのかしら」
「はい!もちろんずっとお付き合いさせてもらっているので、俺の子で間違いないです!レーラが妊娠しているって町で噂になっていって、でもそれがなぜかこちらの息子さんの子らしいって話になっちゃっていて……。だから直接誤解を解きにレーラの実家にむかったんですが、どうしても会わせてもらえなくて困っていたんです。でもよかった、ようやく会えた」
「へえー……そうなの。レーラさんたら、そんな大事なこと教えて下さらないなんて、困るわぁ。ねえ、お腹の子が、ジェイさんの子だったなんてねえ。全然知らなかったわぁ」
嫌味たっぷりに母がレーラに言うと、レーラは全く悪びれることなくこう言った。
「え?知らないですよ、ジェイさんとは仲のいいお友達なだけだし。お腹の子はラウの子だもん」
「ええっ?!レーラ、誰かに脅されているの?本当の事いって大丈夫だよ!なにがあってもボクが守るから、心配いらないよ!」
ジェイはレーラの冷たい態度など全く意に介さない様子で嬉しそうにしているが、レーラは目も合わせず無視している。
代わりにレーラの父親が言い訳を口にする。
「あの、ええ、もちろん違いますよ。この青年が勝手に思い込みで言っているだけで、レーラはラウ君と以外そういう関係になったことなどないと言ってますし、彼とは何の関係もありませんよ。まさか何の確証もないのに彼の言葉だけを鵜呑みにしないですよね?」
「いーえぇ、確証がないというのであれば、お腹の子の父親がラウだというのもレーラさんが主張しているだけですわよね?まさか他の父親候補が名乗りを上げたというのに、このままラウと結婚なんて無理なことくらいそちら様もお分かりでしょう?ラウが仕出かしたことだと思えばこそ、責任を取ろうと結婚を決めましたが、これは全て白紙にもどさなくてはいけませんねえ」
「は?そんな勝手な……!」
レーラの父は納得がいかない様子だったが、言い争っているうちに、レーラが、具合が悪いといってしゃがみ込んでしまったのでひとまず休戦となった。
誰の子だとしても、妊婦であるわけだしと言って、レーラの体調を心配した母が、ウチで横にならせて、医者を呼ぶことにした。
医者の姿をみたレーラは、さきほどまでの具合悪そうな様子とは打って変わって、激しく抵抗して診察を拒んだが、医者が興奮して危険だから鎮静剤を打つと言ったらしぶしぶ診察を受けていた。
そして診察を終えた医者が、俺と母、レーラの両親、そしてなぜかついて来てしまったジェイがいる別室に来て、衝撃的な診断結果を告げた。
「妊婦だというお話でしたが、結論から言うと彼女妊娠はしていませんよ。兆候もありませんし……それを本人に聞いてみたら、先日流れてしまったというのですがね……ですから内診してきちんと確認しましたが、流産した形跡もないですし、おそらく妊娠していたというのは彼女の思い込みか……間違いでしょう」
俺は開いた口がふさがらなかった。
そもそも妊娠していなかっただと?
だったら責任とって結婚などという話にならなかったし、ディアも家出なんてしなかったっていうのに……。
なんてことしてくれたんだとあちらの両親を睨むが、謝罪する様子もなく、気まずそうにしているだけだ。
ジェイが暴露した時も、医者が真実を告げた時も、彼らに驚いた様子はなかったから、薄々気付いていたか、すでに知っていたことなのかもしれない。だまされた、という気持ちが強くなる。
こうなっては完全にレーラとは破談で、別室で横になっているレーラを連れて帰ってくれと言って全員を追い出す。
無理やり起こされたレーラは本当に具合が悪そうではあったが、そこは名乗り出た父親候補のジェイが『ボクがおんぶします!』と言っていそいそと運んでいってくれたので助かった。
嵐のような時間が去った後で、母は俺にまたこんなことに巻き込まれた俺に恨み言を言うのかと思いきや、嬉しそうな顔でこう言った。
「妊娠すら狂言だったなんて、すっかり騙されちゃったけど、逆にこれで店を再開できる目途が立ちそうだわ。あとはディアちゃんを見つけて帰ってきてもらえればなんとか元通りね」
そんな都合よく収まるわけがないと思ったが、まあ確かにレーラとの結婚もなくなったと言えば多少はディアの溜飲が下がるかもしれないと期待した。
ジェイがレーラのお腹の子の父親だと名乗りを上げた話は、翌日にはあっという間に周囲に広まった。
そのうえ、妊娠そのものが狂言だという話までもが知れ渡っていて、ずいぶん話が回るのが速いなと思っていたら、母が従業員をつかって話を広めてきたという。
ちょっとやりすぎじゃないかと思ったが、レーラが『男をもてあそんだ悪女』と評されることとなり、あれほど強かった俺への風当たりが少しおさまった。
そのおかげで俺もディアを探しに町を出歩けるようになったので、レーラには悪いがあちらが悪役になってくれて助かったと思った。
だが、いくら探してもディアは見つからない。
それほど友達も多くないディアが行ける先なんてたかが知れていると思っていたのに、心当たりを訊ねても全く見つからない。最初は、俺に会わせないように誰かが匿っているだけだと思っていたが、どれだけ経ってもディアは姿を現さなかった。
貧困地区までも人を使ってくまなく探したが、手掛かりすら見つからない。
まさか本当に町を出たんじゃないかと思い始めた矢先、乗合馬車の御者をしている男が、『ずいぶん前の話だが、ディアに似た子を見た』と教えてくれた。
その女性は、隣町で胡散臭いオヤジと旅支度用の買い物をしていたらしく、親子にも恋人にも見えない二人の組み合わせが不審だったのでよく覚えていたという。
ウチの店で働くディアの顔は見たことがあるので気になったが、他人の空似だろうと思って声はかけなかったと言った。
その話を母に伝えるとサッと顔色を変えて、『本当にあの子町を出たの?!』と驚いた声を上げた。
女一人で町を出るなどあり得ない。安全な乗合馬車ですら女性ひとりというのはまず見たことがないので、ディアが町を出た可能性をほとんど考えていなかった。
町を出てしまったのならもう見つけるのは難しいかもしれない……と絶望的な気持ちになっていたところに、母親がある提案をしてきた。
「ラウ、アンタ今から隣町に行ってその見かけた女性っていうのが本当にディアちゃんか確かめてきなさい。あの子、仕事用に身分札を作ってあったから、もし隣町に移り住む気ならできちゃうのよ。住民登録があるか確認してきなさい。札は、ウチの登録印でアンタも同じ種類の持っているから役場で確認できるわ。見つけたらとりあえず連れて帰ってきなさい」
「あ、ああ……でも本人が戻るのが嫌だって言うんじゃ」
「それでもよ。どんな償いでもするからとでも言って、ともかく連れて帰りなさい」
いつになく強引な母の言葉に戸惑いつつも、俺はすぐに隣町へと馬を走らせた。
隣町の役場で確認してもらうが、ディアの名前は見つからず、少なくとも移住はしていないことが分かった。
そして、この町に来たのかどうかを確認できないものかと、ダメもとで門番の記録台帳を見せてもらったところ、ディアの名前を発見した。
(アイツ、マジで町から出て行っていたのか……)
町で散々探して見つからないのだから、当然の結論なのだが、あのディアがそんな大それた行動を起こすなんて信じられなかった。
すでにこの隣町にはディアはいないと分かったので、ひとまず母へ報告するために家へと戻った。
報告を聞いた母は、俺と同じように信じられないといった顔をしていたが、その様子は俺よりも深刻そうだった。
ディアが自ら帰ってくる可能性は低い。もうディアを見つけることは無理だろうなと俺は半ばあきらめていたが、母の思いは違ったようだった。
「ラウ……どうせ店はしばらく閉めるんだし、アンタはディアちゃんを探しに行きなさい。運搬用の荷馬車を貸してあげるから、行商でもしながら町を回って聞き込みでもすれば手がかりくらいつかめるでしょ。あんな子が旅をしていたら絶対目立つから、必ず誰か覚えているわよ」
「はあ?まじで言ってる?そんなのどれだけかかると思ってんだよ。下手したら二、三年かけたって見つからないかもしれないんだぜ。旅の金だってかかるわけだし……なにより、ディアは俺が謝ったって許さないかもしれないし、一緒に帰ってきてくれる保証はないだろ?」
「店の在庫を積んで行商しながら移動すればいいでしょ。つべこべ言わずに行きなさい。
大丈夫よ、あの子、アンタが迎えに来たら最初は怒って見えても本当は嬉しいはずだもの。ディアちゃんアンタに心底惚れていたからね、裏切られた悔しさで素直になれないだろうけど、アンタが自分を探しに来てくれたって知ったら本音では嬉しいはずよ。
それに、責任感の強い子だから、自分がいなくなったことでこれだけ迷惑をかけたって知ったらきっと戻ってきてくれるわ」
ディアが俺に惚れていたなんて嘘だろうと思ったが、母は事実だという。そして、だからこそ心配なのだとも言った。
「ディアちゃん世間知らずだし、気弱で流されやすいでしょう。ラウは知らないと思うけど、町でもあの子結構いろんな男にちょっかいかけられていたのよ?アンタとの婚約破棄を知った誰かが、傷心のあの子に付け込んで連れ出したのかも。駆け落ちならまだいいけど、悪い男の言いなりで酷い環境で働かされて搾取されている可能性だってあるわ。
ディアちゃんのことはアンタに全部の責任があるんだから、必ず見つけ出して連れ帰るのよ?それまでは帰ってこなくていいから」
絶対に連れ帰れと厳命されて、母の剣幕に若干の違和感を覚えつつも、確かに母の言う通りだと納得した。あの控えめなディアが自分の意志と力だけで町を飛び出すなんて考えられない。
ディアにちょっかいをかけていた男がいたというのは初耳だったが、あり得ない話ではない。
というか……婚約破棄後にすぐ示し合わせて駆け落ちできるような相手なら、以前からそれなりの関係だったのではないか?
色々な感情が錯綜して、落ち着かない気分になる。
ディアは今、他の男と一緒にいるのかもしれない。そう思うと心配な気持ちはあるものの、これだけ皆が心配しているというのに、本人はもうこちらの気も知らず男とよろしくやっているのかと思うと、苛立つ気持ちが湧いてくる。
だが、本当に騙されていて酷い目に遭っている可能性だってあるわけで、結果ディアがどんな状況にあろうとも全て俺の責任なのだ。
(きっとディアは、俺が現れても最初はひどく反発するだろうな……)
母の言うように、俺に気持ちがあったとしたら、俺のしでかしたことは絶対に許せるものではないだろう。
好きでもなんでもない相手だったら条件次第で和解する気持ちになれたろうが、母は、ディアが俺に『心底惚れていた』と言っていた。
それほどの感情があったのなら、余計に俺のことを恨んで憎んでいるに違いない。金や権利を提示したところで受け入れてはもらえないだろう。
どれだけ疎まれても、時間をかけて謝罪の気持ちを伝えていくしかない。
ディアは情が深くて優しい性格だ。そんなアイツが、長い間ずっと俺を好きでいてくれたなら、今は憎んでいても、心から謝り続ければいつかきっと受け入れてくれる。
母には、見つけるまでお前は帰ってくるなと言われている以上、なんとしても行方くらいは掴まなくてはならない。どれくらいかかるか分からない旅だが、どうせ町にはもう俺の居場所はない。
友人だと思っていた奴らも全員俺に背を向けたし、レーラも結局俺を騙していただけだった。店が閉じているのなら、こんな町にいる意味などないのだから、ちょうど良かったのかもしれないなと思った。
こうして俺は、町を出てディアを探す旅に出ることになったのだ。
次から本編に戻ります。
不定期更新です。




