元婚約者の独白4
とりあえず今日は、昨日のこともあるし店は休みにするしかないと母に言われて、俺は休業の札を下げに店の外へ出た。
すると、開店準備をしていた隣の店の主人と目が合った。
俺はいつも通り挨拶をしようとそちらを向いたところで、いきなり隣の店主が俺に殴りかかってきた。
「いてえっ!はあ?!いきなりなにすんですか!」
突然殴られたことに抗議の声を上げたが、相手の顔を見て絶句してしまった。
隣の店主は怒りで顔を紅潮させてぶるぶると肩を震わせている。普段穏やかだと思っていた人の急変ぶりに俺は戸惑いを隠せない。
「なにじゃねえぇ!てめえ、昨日の結婚式……っ、ぶち壊したんだってなぁ!しかも……よりによって結婚式当日にディアちゃんの妹に乗り換えるたあ……おめえに人の心はないのか!」
店主が大声で怒鳴ったせいで、近隣の人々がそれを聞きつけ集まってきた。
女将さん連中が俺の存在に気づくと、一斉に喚き立て非難の言葉をぶつけてくる。
「あっ……ラウ!アンタなんてことを……昨日いくら待っても花嫁御寮が来ないからどうしたかと思ったら、結婚式がダメになったっていうじゃないか!参加した人から聞いたよ!しかもアンタの浮気のせいってのは本当かい?!なんてことしてんのよ!」
「しかも相手がディアちゃんの妹って、アンタ頭おかしいの?もう子どもまでできたって噂だけど、ディアちゃんはどうなるんだよ?あの子、あんなにアンタの店につくしてきたのに……不憫でならないよ!」
昨日の参加者が漏らしたのか、商店街の人々には結婚式の顛末がだいたい知れ渡っていたようだった。皆に口々に責められて俺は青くなった。
次々と人が集まってきて、あちこちから怒号が飛ぶ。最初に俺を殴った店主が、再び俺に殴りかかってきたのをきっかけに、男衆が皆で俺をボカボカと殴り始めた。
「ちょっ……いてっ……ちょっと待ってくれよ!いてえって!」
「うるせえ!この下衆がぁ!」
「死んで詫びろこのタコ!」
口々に罵られ、蹴られ殴られて俺は、這う這うの体で集団から逃げ出した。
どうしようもなくてひとまず店の中に避難するしかなかった。
母が呆れた顔でそんな俺を見ていて、ため息をついた。
「店はしばらく開けられないわね……ホント、とんでもないことしてくれたわ」
まずはディアを見つけないことにはどうにもならないと母は言って、さっさとその手配に行ってしまった。
俺はひとり暗い店内に取り残されてガックリとうなだれた。
ディアは近隣の店をよく手伝ったりしていたし、女衆のあいだでは働き者として評判が良かったので俺なんかよりも近所で好かれていたのだろう。
結婚式のあと、花嫁御寮がここに帰ってくるのを商店街の人々は待っていただろうが、いつまでたっても戻ってこないのだから、式でなにかあったことは明白だ。
そんな状態のところに、式の招待客が戻ってきて事の顛末を話したせいで、俺のやらかしたことがあっという間に広まってしまったのだろう。
こんなことになって、店は今まで通りにやっていける訳がない。
町一番の大店で、滅多なことでは屋台骨が傾くようなことはないと思っていたが、まさかこんなことになるなんて。
店で真面目に働いていたディアと、フラフラ遊び歩いてばかりだった俺とでは商店街でディアの味方のほうが多いのは当たり前だ。
そんな状態のこの店に、更にあまり評判のよくないレーラが嫁入りしてきたら、確実に店は傾く。最悪店舗は閉じるしかないのかとも思う。
店舗は卸業と違い、経営者が母の名義になっている。これを潰すとなったら母の個人資産をダメにすることになるのだから、とんでもなく母に恨まれるだろうと思い絶望するしかなかった。
それからは外出することもままならず、母は自分でなんとかしろと言うだけだし、父も騒動から逃れるためか早々に町を離れ船に戻ってしまった。
どうしようもなくなって、たまらず友人の元へ匿ってくれないかと逃げ込むが、誰もかれもウチは無理の一点張りで取り合ってもくれない。
友達なら助けてくれよと言った俺に、友人の一人が呆れたように、『お前と同類だと思われると困る』などと言ってきた。
「お前さあ、ディアの悪口すげえ言ってたじゃん。つまんねーとか愛想ねーとか。でもさ、自分は遊んでばっかなくせに、その嫌ってる婚約者を店でこき使ってたじゃん。その時点でひでーなって思ってたけど、それでも結婚すんならまあ……って咎めなかったけどさぁ。
それなのに結局、ディアの妹に乗り換えるとかさぁ……さすがにありえねーだろ。お前みたいな奴と一緒にいて、俺までそんな奴だと思われたらマズイんだよ。ウチだって客商売だし、一緒にいるとこ見られるのも困るんだって。もう帰ってくれ、迷惑なんだよ」
と言って、そいつは俺の鼻先で乱暴に扉を閉めた。
違う、そんなつもりじゃなかったと言ってみるが、扉が再び開くことは無かった。
俺は諦めてその場を後にする。
それにしてもどの友人も、俺がそういう事を言うと一緒になって笑っていたくせに、腹の中ではそんな風に思っていたのかと落ち込んだ。
こうして、店は再び開業する目途も経たず、俺は友人のところにも行けず、家で息をひそめるようにして時間が経過するのを待つしかなかった。
しばらくたってから、ディアを探す役目を頼まれた従業員の一人が、今の状況を教えてくれた。
どうやらウチよりもディアの実家の方が大変なことになっているようで、あの家で働いていた使用人が、通いも含めて皆一斉に仕事を辞めたのだそうだ。
ディアが家出をしたと教えにきてくれた家政婦によると、以前からディアの両親は彼女への扱いがひどく、暴力を振るわれている姿も時々使用人たちは見ていた。
妹との扱いの差もあからさまで、その様子を苦々しく思っていたところにこの騒動で、しかもディアは家出をしたのに、使用人たちが心配して父親にそのことを訴えても『放っておけ』の一言で済まされ、探す様子もない。
あまりに心無い言動を見た使用人は皆、心底嫌気がさして全員で示し合わせて仕事を放棄してしまったのだそうだ。
元使用人たちは、辞めたあとそのことを積極的に町の人々に触れ回ったので、レーラが姉の婚約者を寝取ったことと併せてあの家への非難が加速してしまった。
あんな形で結婚がダメになり、実家の両親からは日常的に虐待を受けていたのならば、人生に絶望して命を絶つかもしれない、と皆が噂するようになったものだから、ディアの家族は誰に会っても酷い親だと罵声を浴びせられ、家から出られなくなってしまったそうだ。
父親の仕事は軒並み解約か中止されてしまっているらしく、もう生活すら危うくなるのではとの話だった。
うちは店舗が閉じたところで、本業のほうがあるからいきなり生活苦になることなどないが、ひょっとしてあの親子がこうなってしまった原因が俺にあるとしてウチにタカってくるのではないかと、報告を受けながら嫌な予感がした。
そして後日……本当に彼らはレーラを連れてウチへ荷物をもって突然訪ねてきたのだった。
「食料の買い出しすらままならないんですよ。こうなった責任はラウ君にあるのですから、レーラの身の安全を確保してください。それにこの子、姉が居なくなってから酷く憔悴していて、体調もすごく悪いんです。お腹の子がどうなってもいいんですか」
レーラの父親は、これはお前の責任だと言って、安全な住む場所と生活の保障を求めてきた。
母は、今でさえ近所から白い目で見られているのに、あちらの家族までここに来たらどうなるか分かったものではないと言って、なんとか帰ってもらおうとしている。
「いえ……でもウチだって店を閉めている状況ですから……それにいきなり全員で来られても困りますわ」
「そんなこと言っても、レーラはラウ君の子を妊娠しているんですよ?そちらの息子に非があるのだから、誠意をもってこちらの望むように取り計らうべきでしょう」
お互い声を荒らげながら、店の横にある入り口で押し問答していると、彼らの後ろから、知らない男の声でレーラの名を呼ぶのが聞こえてきた。
皆で一斉にそちらを向くと、デカい図体で喜色満面の男がこちらにかけてくるところだった。
男はまっすぐにレーラの元へ向かい、喜びを隠しきれない様子で話しかける。
「レーラ……?!レーラだよね?ああ!よかった!ここにいたんだ!家に行っても全然会わせてもらえなくて、心配していたんだ!ごめんね、迎えに行くのが遅くなって!」
「は?誰?!」
ずっと黙ったままだったレーラだが、いきなり名前を呼ばれて驚いた声を上げた。
こいつは……確か花屋の息子の、ジェイという名の男だったと思う。暗い感じの男で、俺とは全然付き合いもないような相手だから、いきなりアイツがなにをしにきたのだろうかと首をかしげた。
だが目の前にいるレーラの両親は、アイツを見て焦った顔をしている。疑問に思っていると、次にジェイが叫んだ言葉でその理由が分かった。
「レーラのお腹の子の父親はボクなんだって、いくら言っても君の両親は全然聞いてくれないんだ!何度訪ねて行っても、レーラを監禁してボクに会わせないようにするし、心配したよ!ごめんよ助けにいくのが遅くなって」
「……はあっ?!えっ?!……父親?!」
俺は思わず驚いた声を上げてしまう。
当の本人であるレーラはきょとんとして首をかしげているが、その両親は気まずそうに黙ったまま俯いていた。




