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 どこをどう走ってきたのか、自分でも分からないが、気づけば私は家の前に戻ってきていた。




 家にはまだ灯りがともっていて、両親や妹が収穫祭の余韻を楽しんでいるのかもしれない。

 正面玄関から入る気になれず、裏口から入ろうと庭を抜けると、馬小屋の前にある丸太の上に座っている人がいるのが見えた。


「んあ?誰だ?……あれ、お嬢さんすか?なんでこんなところに……」


 そこに居たのは我が家の馬丁を務める男だった。独りで酒盛りでもしていたのか、ぶどう酒の瓶を片手に持ってだらしなく座っている。


 髭面のこの男は、元傭兵という触れ込みで我が家の警備として父が雇ったのだが、この穏やかな町でそれほど荒事があるわけでもなく、警備だけでは給金がもったいないということで、いつの間にか馬丁の仕事をするようになっていた。


 特に仕事熱心でもなく、むしろ昼寝をしているところをよく見かける。なぜこんなのを雇っているのかと思うが、どうやら庭木の手入れや御者まで頼まれればしているらしく、怠け者だがつぶしがきくらしい。


 うさんくさいこの男と、直接会話をするのはそういえば初めてだ。給仕のマーサが『あの男は傭兵時代に拷問を受けたせいで、“男”じゃなくなったらしい』ととんでもない噂話をしていたのを思い出す。

 どうやら……男性機能を失ってしまったということらしい。

 それが父がこの男を雇う決め手になった理由だというので、どうやら本当のことらしい。



 本人を目の前にして変なことを思いだしてしまった私はちょっと気まずくなり、男から目をそらしながら男の問いに答える。


「ちょ、ちょっと裏口から入ろうと思っただけです。そこ通してくれますか?」


「はあ……なんでもいいんですけど、家に入る前に顔拭いたほうがいいですよ。ヒデェ顔」


 男はそういって汚いハンカチを顔に押し付けてきた。ハンカチは汚いだけでなく妙に生臭くて、『臭い!』と文句を言おうとしたが、ハンカチが濡れた感触がして、私はようやく自分の顔が涙でびしょびしょだったことに気が付いた。


「あ…………あれ?気づかなかった……あ、ありがとう」


 泣いていることに気づかないほど、私はショックだったらしい。


 親の決めた結婚だし、結婚式が近づくにつれてラウが浮かない顔をしているのも分かっていた。でもラウとは幼い頃からの付き合いで、二人で過ごした楽しい時間もたくさんあった。だから、あれほどまでに厭われているとは思っていなかった。

 

 また先ほどのラウの言葉を思い出すと、止まったと思っていた涙がまたポロリとこぼれた。


 馬丁は困ったように髭をじょりじょりとさすりながら私を眺めている。


「あーなんだ……疲れた時は酒飲んで寝ちまうのが一番ですよ。じゃ、おやすみなさい」


 やや面倒くさそうに馬丁は裏口のドアを開け、誰も居ないのを確認してから私を部屋に押し込めさっさとドアを閉めてしまった。



「酒飲んで寝るったって……お酒なんか飲めないわ……」


 文句を呟いたが、ただの独りごとになってしまった。

 

 臭くて汚いハンカチではなく、ポケットに入れていた自分のハンカチで顔を拭くと、もう涙は止まっていた。





 私は居間にいる家族に気づかれないよう、そっと自室へとむかった。だが、足音を立てないように廊下を歩いていたのに、後ろから声がかけられ呼び止められてしまった。


「あれっ?お姉ちゃん、いつのまに帰って来たの?」


「レーラ……ちょっと服が汚れていたから、裏口から入ったの。あ……今日は踊り子お疲れ様。とても上手だったわよ」


 声をかけてきたのは妹のレーラだった。まだ祭りの衣装を着たままで、少しお酒も飲んでいるのか、顔がほんのりと赤くなっている。


「えへへ、ありがと。お姉ちゃんが衣装可愛く作ってくれたおかげだよ。ねえ、いまもらったお菓子食べてるんだけど、お姉ちゃんも一緒に食べようよ。なんかいっぱいもらっちゃったのー」


「あ、ううん。さっき夜食が振る舞われてたくさん食べてきちゃったからお腹いっぱいなの。ごめんね、もう疲れたから寝ちゃうわ」


 そっかー、とレーラは言って、くるんと衣装の裾を翻して居間へと戻っていった。



 その後ろ姿を、私は羨望の眼差しで見送った。



***


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