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そんなジローさんだが、家の補修と馬小屋の増築に全力を注いでいて、村長の仕事を手伝うつもりはないらしい。
仕事を終え家に帰ると、ジローさんは大工道具をアチコチに散らかしたまま昼寝をしていたりする。家の補修はかなり頑張ってくれたのだが、もうやる気が尽きたらしく、馬小屋はなかなか出来上がる様子がない。
まだ寒い時期じゃないので馬も屋根さえあれば大丈夫だが、冬までには馬のためにも完成して欲しい。
「ジローさん、こんなとこで寝ると風邪ひきますよ」
「んあ?あーディアさんおかえり~もうそんな時間かあ。あ、ご飯まだ作ってないわ。ごめんな~」
「いいですよ、今日は割と早く帰ってきたんで、私が作ります」
「おっ、いいの?やったやった、ディアさんの料理おいしいんだよねェ。なぁ、前に作ってくれたパイは?あれ食いたいなー片付けはやるからさぁ~あれがまた食いたいよ~」
「アップルパイですか?材料もあるからいいですけど……じゃあ裏のリンゴの木から三つくらいもいできてください」
「さすがディアさん!美人で料理上手とかウチの子最高!」
「そういうのいいですから……」
ジローさんは、意外な事に、料理や掃除を嫌がらずにやってくれる。
私が住んでいた町でも、さすがに家のことは女性がやる仕事という認識は強く、それを不満に思うおかみさんたちがよく愚痴をこぼしていた。だから、ジローさんが頼まなくても家事をやってくれているのを見た時、ちょっと感動した。まあ若干さぼりがちではあるが。
今では、料理や掃除などは、なんとなく分担してやれるほうがやっている。押し付け合うのではなく、手が空いているときに気が付いたほうがやる、といった感じでお互い負担なくやっているので、とても暮らしやすい。
なし崩し的に始まったジローさんとの同居だったが、彼との生活は思っていた以上に快適だった。
ジローさんは男性……というか髭面のおじさんだし、たまに下品な事も言うどこからどう見ても完全な男性だが、男性特有の高圧的なところがないし、無神経そうでさりげなく気遣いをしてくれるし、話し方が穏やかなので、普段男のひとだと意識することがない。
さすがに女性にはみえないが、ジローさんは私にとって、気の合う女友達のような存在に感じていた。ジローさんと居ると穏やかな気持ちになれた。
以前の生活を思えば、この村での日々は、驚くほど平和で順調だった。
だが、現実はそんなに簡単ではなかった。
家を出て、地図でもみたこともなかった遠い村まできて、仕事を貰って色々な事をひたすらこなしていたから、毎日が目まぐるしくて家族のこともラウのことも思い出す暇も無かった。
家もまだまだ直したいところがたくさんあって、時間があればとにかく動いて仕事をしていた。そうするともうベッドに寝転がると気絶するように寝てしまっていた。
だが……仕事にも慣れてきて、村役場の溜まっていた書類をあらかた片づけると割と時間に余裕が出てきた。すると、順調だった日々に陰りがさしてきた。
ここ最近、私はどれだけ疲れてベッドに入っても眠ることができない。
ベッドに入って目を瞑ると、『あの時』のことが鮮明に頭に浮かんできてしまうのだ。
私の婚礼衣装を羽織ったレーラが、ラウと抱き合っている、あの光景だ。
それから、たった独りで会場の花や飾りを片づけたときの惨めさと悲しさ。
そして、いつの間にか当事者の私を置いてきぼりにしたまま勝手に話し合いは終わっていて、私はラウとレーラの夫婦を支えるために店で働き続けろと言われて、死んでしまいたいくらい絶望したあの瞬間のこと。そういった出来事が鮮やかに思い出されて、まるで自分があの時に戻ったような錯覚を覚えて動悸が激しくなる。
目を瞑るのが怖くて眠れずに、疲れ切って明け方にうとうととようやく眠れるのだが、そうするとなにかごちゃごちゃした悪夢を見て恐ろしくて飛び起きるのだ。
誰か知っているような知らない人々が、惨めな娘だ、要らない子だと私を指さして笑っていたり、刃物を持った恐ろしい生き物が執拗に私を追いかけてくる夢を見る。
だからここ最近いつも寝起きは最悪だ。眠っても疲れがとれないし眠るのが怖くて私はどんどん寝不足になっていった。
そんな日々が続けば、もちろん仕事にも支障が出てくる。睡眠不足からくる頭痛で、書類を読むのが辛くなり、仕事が進まない。単純な計算を間違えてしまう。何度もやり直したりするので、すぐに終わるようなことに時間がかかって、あせるばかりでちっともはかどらない。
「ディアちゃん、ちょっと根を詰め過ぎなんじゃあないかい?ここ最近、体調悪そうだよ?今は収穫期でもないんだし、急ぎのものもないから、休みを取ってもいいんだよ」
「ごめんなさい、ミスのないよう気を付けますから……お休みは必要ないです、繁忙期の前にあの書類の山を分類して整理しておきたいので」
「……うーん、そうかあ。でも無理しないでな」
忙しくしていないとまた余計なことを思いだしてしまうから、お休みなんかもらって暇な時間ができることが怖かった。
村長さんのところで働き始めてから、三ヶ月ほどが経ってようやく生活が安定してきたところだったのに、ここ最近は仕事からの帰りも遅くなってしまって、ジローさんともほとんど会話をする時間もない。
ジローさんは特になにかを訊ねてきたりはしないが、遅く帰っても必ず待っていてくれた。私の様子がおかしいのは気づいていたのだろうけれど、私もなにか聞かれたくなかったので、聞かないでくれるほうが有難かった。
結局……私はあの時のことを忘れることも乗り越えることもできていなかった。あの時の傷ついた気持ちはどこにもいくことができず、あの日にとどまったままだった。
逃げずに向き合って、なにかしらの決着をつけていれば違ったのだろうか。
たらればを言い出したらキリがないが、あの時の私は逃げ出すことが最良だったと思っている。
いや、自分の選択は正しかったと思いたいだけなのかもしれない。
強がって、全部忘れて新しく人生をやり直す!などと前向きなことを言ってみせたが、結局私の心は彼らに裏切られたことが許せず、恨みがグズグズと心にくすぶっている。忘れることなどできないでいるのだ。
どうすればいいかわからないまま、眠れない日々だけが続いていた。




