ラウ君、過去のやらかしを振り返る 3
「痛って!」
刺さったと言ってもとっさに防御したので上腕を刃先で突かれただけだ。鋏だし、筋肉のある上腕ではそれほど深く刺さらないから、大して痛くもなかったのだが、女の怒鳴り声で集まって来ていた人々がいたものだから鋏を突き立てられた俺を見て大騒ぎになってしまった。
少し前からこちらの様子を見ていたらしい人々が自警団を呼んで、いきなり女が鋏で刺したと証言してくれたので俺が逮捕されたりはしなかったが、時間を取られて取引先との約束に大幅に遅れ平謝りするはめになった。
「あー……最悪だ。これで取引打ち切られたらあの女のせいだ。一体なんだったんだよ……わけわかんねえ」
ブツブツ不満を呟きながら帰宅すると、待ち構えていたかのようにクラトさんと双子が店先に飛び出してきた。
「ラウ! 大丈夫なのか⁉ 怪我は⁉」
「うおっ、びっくりした。あれ? 誰かから聞いたんですか? ちょっと血が出たくらいっすから大した怪我じゃないですよ。それよりクラトさんのが具合悪そうじゃないすか」
クラトさんは顔を真っ青にさせていてわずかに震えている。驚いて肩に手を置くと、逆に腕を掴まれた。
「血がにじんでいるじゃないか。ちゃんと手当をしないと……。医者に行こう」
「いやいや! こんくらいで医者とか金がもったいないし要らないっすよ。というか、なんで刺されたこと知ってるんですか? もう噂になってます?」
「……ディアさんが知らせに来てくれたんだ。お前が刺されたって聞いて、双子たちも心配していたんだ。それなのに……こんな時にまで金の心配をさせてしまうのは、俺が腑抜けてお前のお荷物になっていたせいだよな。本当にすまん」
後ろを見ると、なんだか気まずそうなディアが双子を抱きしめながらこちらを見ている。
「女性と揉めてラウが刺されたって知り合いの憲兵さんが教えてくれたの。かすり傷だけど、自警団で事情を聞かれているって言うから知らせに来たの。そしたらクラトさんも双子たちも、ラウが死ぬんじゃないかってすごく心配していたのよ」
「え、マジでかすり傷だって。いやーいきなりよく知らない女に絡まれて刺されてわけわかんなかったけど、死ぬような怪我ならもっと大騒ぎになってるし、心配しすぎっすよ」
ハハッと笑い飛ばしたが、ディアの目が冷たくなっただけで誰も笑ってくれなかった。あれ? なんだこの空気。
「よく知らないって……その女性、名前聞いたけど昔の同級生でしょ? よく嫌がらせされたから、私はよく覚えているんだけど。ラウと何回寝たとか、自分のほうが愛されているとかしつこかったなあ。よーく知っている仲なんじゃないの?」
「えっ、そ、そんなことあったか? いや、あったかもしんないけど、今は同級生とは全員から縁を切られてっから、最後に会話をしたのだって何年も前だからよく覚えてなかったんだよ」
だからディアが微妙な顔をしていたのか。学生の頃は、婚約者のディアを蹴落とそうとする女が多かったから、嫌がらせしていてもおかしくない。
というかいろんな女が嫌味を言ったり嫌がらせしている場面に出くわした時、全然顔色を変えないディア見て俺も笑っていた気がする。あ、駄目だ。俺最低じゃん。
冷や汗がどっと出て、恐る恐るディアに視線を向けると、ものすごく呆れた表情で俺を見ていた。
「当時あれだけ仲良しに見えたのに、あなたにとっては記憶にも残らないような相手だったようね。彼女がどんな気持ちで刺したのかわからないけど……自分のことをすっかり忘れてなかったことにされていたら、刺したくなる気持ちも分かるわ」
「ご、ごめん。怒るなよ。色々あって昔のこととか忘れ気味なんだって。ちょっと落ち着いてからちゃんと考えるから」
「うん。刺した彼女が悪いのは当然だけど、知り合いなんだし何か理由があるって思うのが普通でしょ? たとえそれが彼女の身勝手な理由だったとしても、ラウは知っておくべきだと思うわ」
ディアは別に俺を責めたかったわけではなく、加害者の女を単なる通り魔みたいに言う俺の言葉が引っかかっただけのようだ。
気まずくてディアの顔が見られない。
昔から俺は、人の気持ちを察するのが苦手だった。
いや、そうじゃない、ちやほやされて育った俺は、誰かの気持ちを考える必要なんてなかったんだ。
機嫌を取ってもらうのが当たり前で、俺の言葉で誰かが傷ついても、弱い相手が悪いとしか思わなかった。幼い頃からずっとその価値観で生きてきたから、悪いことをしている自覚もなかった。
間違いに気づかせてくれたのは、クラトさんだ。あの人に会わなけりゃ、俺は今でも自分の間違いを認められず、全部周りのせいにして悪態をついていただろうから。
いきなり刺したあの女も、もしかして俺が過去に気づかず何か傷つけてしまっていたのかもしれないと考えると、急に怒りがしぼんでいく。
うなだれてしまった俺に対してディアは、「仕事に戻るわ」と言い、急いで帰って行ってしまった。どうやら双子とクラトさんを心配して途中で抜けて知らせに来てくれたようだ。
ふと顔をあげると、薬箱を持ったクラトさんがいた。
ディアとの会話が終わるのを待ってくれていたのか、難しい顔をしているが何も言わず腕の傷を見ている。
「すんません、やっぱ俺がなんかやらかしてこうなったみたいっす……自業自得ですね」
「違うだろ。何か理由があったとしても、今回は怪我をさせた相手が加害者で、お前は被害者なんだ。刺されたことまで自分のせいにしなくていい」
適当に手ぬぐいで止血しておいた傷口を見ながらクラトさんは自分が痛いみたいな顔をする。てっきりまた怒られるかと思っていたので、庇われたのが意外だった。
「過去はもうどうしようもないが、その分報いも受けただろ。店をやり直すのだって楽じゃなかったはずだ。ディアさんがお前を手伝ってくれるのは、そういう頑張りを見たからだ。そんなに自分を卑下しなくていい。むしろ償うべき相手であるお前に養われている俺のほうが、もっと報いを受けるべきだ」
「んなっ……わけないっすよ! 俺がどれだけクラトさんに助けられてきたと思ってんですか! つうか、俺がアンタに死んでほしくないから無理やり飯食わしてんですよ! 養ってねーっす! 全部! 俺の! 自己満!」
必死にフォローすると、クラトさんは苦笑いを浮かべながら傷口の手当てをしてくれた。
「……すまなかったな。お前に償いたいと言いつつ、負担ばかりかけていた。助けられたのは俺のほうだよ。ありがとうな、ラウ」
ぐっと頭を引き寄せられてポンと軽く叩かれた。お礼を言われて思わず泣きそうになる。感謝されたくてしたわけじゃないが、それでも俺のしてきたことが無駄じゃなかったと分かって嬉しかった。
泣くのをこらえていると、クラトさんの後ろに隠れていた双子が手を伸ばして俺の腕を撫でてくれた。
「泣いてる?」
「だいじょうぶ?」
「いや泣いてねーよ!」
「怪我が痛くて泣いていると思って心配してくれたんだろ。怒るなよ」
「おこったらダメ」
「おとなげない」
「なんでお前らちょっと上から目線なんだよ……俺は大人なんだから、痛くて泣いたりしねーの。お前らと一緒にすんな」
口を押える二人からクスクスと笑う声が聞こえる。おい、笑ってんのバレてんぞ.
ディアがこいつらを人見知りで成人男性を怖がるからって注意点を叩き込まれたのに、怖がるどころか嘗められてる。
一応おれは店主でお前らは従業員なんだが……と納得がいかないが、笑う双子を見て嬉しそうにしているから、なんだか全てがどうでもよくなって一緒に笑ってしまった。
***
あれから特に自警団からも呼び出されることもなく、どうなったか気になっていたが、ちょうど仕入れの契約で遠出する仕事が重なったりして話を聞きに行く余裕がなくそのままにしてしまっていた。
それに、騒ぎを聞いた野次馬が店に来るだろうから、そこから事情を聞こうかとも思っていたのに、意外なことにこの件で野次馬して聞きにくる奴はほとんどいなかった。時々声をかけられても、怪我の心配をされるだけで刺した女のことは誰も口にしなかった。
さほど噂にもならなかったから、誰も興味がないのか……それとも言いにくいような事情があったのか。
なんとなくモヤモヤして過ごしていたら、あの事件から一週間くらい経った頃に、ディアが例の女とその母親を伴って店に現れた。
「急にごめんね。でも彼女がラウに謝罪したいって親御さんから相談されたの」
「この度は、うちの娘が大変なことをしでかしまして……本当に申し訳ありません」
女の母親が頭を下げながら金を包んだ袋を差し出してくるが、女は首をひょこりと動かしただけで本当に謝罪にきたのか疑ってしまう。だがもうこれ以上揉めるのも面倒だった俺は母親のほうの謝罪で終わりにすることにした。
「傷も大したことなかったしもういいです。医者にもかかってないので金も要りません。変な噂にでもなることだけを心配していましたが、それも大丈夫そうですし、本当に気にしません」
「あ、噂は……それは、ディアちゃんが止めてくれて」
「ちょうど女衆の集いがあったから、ラウが刺された件はそっとしておいてあげてほしいってお願いしたの。彼女も未婚の若い女性だし、痴情のもつれみたいな噂が立ったらここで暮らせなくなっちゃうでしょって私が言ったら、ものすごく説得力があったみたいで、皆黙っておくって言ってくれたわ」
「あー、なるほど」
ある日突然町から出奔したディアに言われたら、説得力がありすぎて誰も反論できないだろう。騒ぎにならなかったのは有難いが、そもそもなんで俺が刺されたのかが分からない。
「謝罪はもういいから、俺を刺した理由くらいは聞かせてほしいけどな」
母親に謝らせて何も言わずうつむいている女に声をかけるが、顔をそむけて答えようとしない。黙る女に代わって、ディアが口を開いた。
「ラウのことがまだ好きだったからでしょ? あの当時から、あなたはラウに本気だった感じがしていたし、長年の片思いが爆発したとか?」
「はあ? コイツが俺に本気だったって? いや、ありえないだろ」
当時、遊び友達の一人で数回関係を持った程度で、彼女も他の男と遊んだりしていたし全く恋愛的な雰囲気はなかったと言ってもディアは首を横に振って否定する。
「彼女からは、何度も婚約解消しろとか言われたし、アンタなんか死ねって突き飛ばされて怪我したこともあるわよ。私が死んだら自分が後釜に入れるって真剣に言われて鳥肌がたったわ。でも彼女はそれだけラウに本気だったんでしょ」
「え、え、まじ? 怪我?」
驚いて女のほうを振り返ると、思いっきり目を逸らされた。母親も初めて聞くのか、驚愕の表情でディアと自分の娘を交互に見ている。
ディアの言葉を否定しない時点で、本当だと自白しているようなものだ。酷い嫌がらせの内容にドン引きしていたが、話している本人は淡々としている。
「でもラウの前では、ただの遊び友達みたいに軽くふるまっているのが不思議だったのよね。それで思ったんだけど、ラウは店のために私と婚約を解消する気はなかったから、本気っぽい女の子は避けて遊ばなかったじゃない? だから自分が本気だと知られたらラウに避けられると思って隠していたんじゃないかなって」
図星をつかれて思わずうぐっと変な声が出てしまう。
当時は親に結婚を決められた俺を周囲が不憫がって、俺もそれを言い訳にして散々遊んでいた。嫌いな女と結婚させられるラウが可哀そう~と言われて、一緒になってディアを貶していた。でも婚約を解消する気なんてサラサラなかったから、マジで結婚を迫ってくるような女には手を出さないようにしていた。
そんなこともちろん言ったことなんてなかったのに、当時の俺のずるい打算を的確に指摘されて返す言葉もない。
ディアの指摘に、女が顔をまっかにして震えている。色々言われてがまんできなくなったのか、ようやく口を開いた。