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そう考えてベッドから立ち上がろうとした時、馬丁が私を引き留めた。
「んじゃあ、お嬢さん。俺が職場を斡旋するから一緒に行かないかい?いいとこ紹介するからさ。女性独りで旅をするのは色々危険だし、俺が一緒なら用心棒にもなるデショ?」
「職場を斡旋……娼館とかに売り飛ばされる予感しかしないので結構です」
「いやいやいや、俺そんな悪人に見えますぅ?そんなことしませんよ!第一、お嬢さんみたいな綺麗で働き者で、仕事もできる人を娼館なんかに売ったら勿体ないでしょ。
あのねえ、ここみたいな大きな町は若い人がたくさんいるけど、田舎はとにかく人手不足でね、お嬢さんだったら引く手あまたですよ。まあ給金は安いだろうけど、良い条件の職場を紹介できるから、まあとりあえず見てみてから決めてくださいよ」
髭面をニコニコさせながら馬丁は言う。この男は、さらっと私を褒めてくるのでなんだかムズムズしてしまう。でも、こんな風に評価してもらえることなんて今までなかった。今までどれだけ頑張っても、私の家族は私のダメな部分をあげつらって決して褒めてなんてくれなかった。
赤の他人の馬丁にそんなことを言われて、私は少し悲しいきもちになった。
この男は、単に私をおだてて騙して連れて行くつもりなのかもしれないが、それでもいいかもしれない。どうせ失うものもなにもない。それに女独りでの旅が不安なのは確かだ。この町を出るために手助けしてもらえたら有難い。
「私、このまま家を出るつもりですよ?二、三日とか待てないですよ?あなたはそれでいいんですか?職場放棄してこのまま出奔する気ですか?」
「んーでも今月給金払われてないし、仕事もアレコレ増やされてしんどかったから、そろそろ潮時かなって思ってたんで、ちょうどいい機会ですよ。そうと決まったら行きましょう!みんな起き出してくる前に荷造りして家を出ましょう!ね!ホラホラ急いで!」
追い立てられるように馬丁の小屋から追い出される。
決めた以上やるしかない。私は窓から自分の部屋に入り、クローゼットから衣服を取り出して荷造りを始める。
抽斗を開けると長年溜めてきた私のお金が隠してある。ラウの店ではほとんど無給で働いていたとはいえ、時々お駄賃をもらうこともあった。よそのお店を手伝って、お手当を頂くことも結構あった。そういうものを、いざという時のためにずっと貯めておいたのだ。
ラウと結婚して彼と家業を一緒にやっていくと決まっていたのに、私はずっとこの『いざという時』のお金を見つからないように貯めていた。私は心のどこかで、この結婚がうまくいかないんじゃないかとずっと思っていたのかもしれない。そしてこんな風に逃げ出すための準備を無意識にしていたのではないだろうか。手元にあるお金を眺めながら、私はそんなことを思う。
小さな鞄に着替えなどを詰めて、お金はいくつかの袋に分けて鞄や服の内側などに隠して入れる。他になにを持っていくかと部屋を見渡す。
ふと、棚にある、栞の挟まった本が目に入って、一冊手に取り鞄に詰めた。持っていきたいものを詰め終わると、驚くほど小さくまとまった鞄ができあがった。持っていきたいものなんてここにはほとんどなかった。
そして、少し迷ったが、書き置きを残すことに決めた。自分の意思で出て行ったのだと示しておく必要があると思ったからだ。
『出て行きます。さようなら』
他に書く内容も思い浮かばず、一言だけ書いて机に置いた。色々考えたが、家族に伝えたいことなど何もなかった。
鞄をもって窓を乗り越えるとそこにはもう馬丁が待っていた。
「お、荷造り早いね。じゃあ行きましょうかお嬢さん。ホラ乗って」
「えっ?馬?え、これウチの馬でしょう?乗っていったら泥棒に……」
見覚えのあるウチの牝馬が、鞍を付けられていい子に待機している。私が止めるのも聞かず、馬丁は私を担ぎ上げ鞍に乗せて自分も後ろにひょいと乗って、さっさと駆け出してしまった。
「お嬢さんちの馬でしょー?だったらお嬢さんが乗っていったっていいじゃないの。手切れ金だと思ってもらったってことにしましょうや」
「手切れ金……!?うーん、そうなのかしら?ねえ、もう私家を出たんだからお嬢さんじゃないの。だからそんな呼び方しないで、普通にディアでいいです。あとあなたの名前も教えてくれませんか?」
「おお、そうか、そうな。俺の名前はジローだ。かわいくジロちゃん♡て呼んでくれてかまわんよ。よろしくな、ディアさん」
「ええ、道中よろしくおねがいしますジローさん」
「うーん、そういうカタい感じも悪くないねー」
朝日が照らす道を、馬は駆け足で走っていく。昨日までは、一生この町で暮らしていくのだと思っていたのに、私はこうしてよく知りもしない男と馬に乗り、誰にも別れを告げずに出て行くのだ。
「なーんか愛の逃避行みたいでいいねー。何もかも捨てて、愛に生きる!みたいな?」
男はのんきそうに笑っている。適当なことばかり言っているようにみえるが、ひょっとして私が落ち込まないように明るく茶化してくれているのかもしれないな、と少しだけ思った。
「そうですね、何もかも捨てて逃げるんです私。家族も、元婚約者も、嫌だった気持ちもぜーんぶ捨てて、人生やり直すんです。これからは自分のために働いて、自分のために生きようと思います」
そうかそうかと言ってジローさんはまた笑っていた。
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