ラウ君、過去のやらかしを振り返る 2
「この子たちは大きな怒鳴り声とか苦手だから気を付けてって言ったでしょ」
「あー……悪かったって。二人ともごめんな」
来て早々ディアに叱られ子どもたちに謝ると、二人は別に気にしていないというふうに首を振る。成人男性の怒った姿が怖いらしいから、喋り方とかも気を付けるように言われていたがすっかり忘れていた。
「それよりさ、大変なんだよ。さっき乾物屋の女将さんがとんでもない誤解しててさ……俺とクラトさんが夫婦だと思い込んでンだよ。何がどうしてそんな話になったのか知らねーけど、ディアから誤解を解いてくんねーかな?」
「ぶっ!」
ディアが飲みかけていたお茶を吹いた。
そうだよな、こんな話驚くよな。良かった、ディアはまともだった。と、思ったら顔を押さえてめちゃくちゃ笑っている。今まで見たことないくらいいい笑顔で笑っている。
お前が爆笑する姿初めて見たけど。え、今笑う要素あったか?
「ディア! お前なに笑ってんだよ。真面目に相談したのに、笑うとかひでーだろ!」
「ごっ、ごめん。あまりにも驚いて……ふっ、うくく。ラウが……お嫁さんだなんて……」
「なんで俺が嫁なんだよ! つーか、この噂クラトさんの耳に入ったらどう思うか考えろよ。笑ってられねえだろ」
「あっ、そうね。噂するなんてクラトさんに失礼だったわ」
「ちょっと待て、俺にも失礼って思え」
「だって……ラウは正直、昔から誰かの彼女を寝取ったとか、どこかの女の子を口説いているとか、三人同時に付き合っているとか色々噂があったから、おかしな誤解とかされても今更じゃない。違うなら違うって笑い飛ばせばいいでしょ」
「あー……えっと、なんかごめん」
ものすごく痛いところをつかれて、ごめんとしか言えない。
そういやそうだった。というかあの頃の話は噂は大体事実を誇張した内容だったような……。俺も誰と寝たとか武勇伝のように語っていたから、それをわざわざ当時の婚約者だったディアに教えにいって反応を楽しむ奴とかもいた。ディアからすると、俺にまつわる最低で低俗な噂なんて山ほど聞いただろう。ホントだ、今更だ。
「だからラウの評判とか噂はどうでもいいんだけど、クラトさんは真面目だから、事実と違うことで面白おかしく言われていたらすごく嫌がるでしょうね。うーん、どうしてそんな話になったのかしら。私も気になるから女衆の集まりで訊いてみるわ」
「ああ……頼むわ。ホント……ごめん」
結局俺の相談は己の過去のやらかしを引っ張り出されただけで終わった。
双子の視線が痛い。この店主、実はダメ男なんじゃないか? と声に出さずとも言われている気がする。店に引き取ったばかりの頃はもっと尊敬のまなざしを向けてくれていたのになあ。まあいいけど。
ひとまず、噂の出所や詳細が分かるまではクラトさんの耳には入れないようにすると、この場にいる双子とディアと約束した。クラトさんはだいぶ回復してきているが、まだ不安定なところがあるし余計な心配をかけたくない。
数日後、また手伝いに来てくれたディアが、例の噂話について女衆の集いで聞いてきたと言うが、なにやら難しい顔をしている。
「まず、噂は皆本気にしているわけじゃなくて、冗談で言っている人がほとんどだったわよ。結婚式で花嫁の妹に手を出しちゃうほど女に節操なかったラウが、最終的に選んだ人が男の人っていう冗談がネタとして面白かったみたい」
「お、おお……なんも言えねえ……」
ディアとの結婚式がダメになった時に、特に俺に怒っていたのは女将さん連中だ。人でなしだの死んで詫びろだのと口々に叫ばれボコ殴りにされた時の記憶が蘇る。本気で命の危機を感じた出来事だった。
店を再開すると決めて周囲に頭を下げて回った時も、店主の旦那さんより女将さんのほうが最後まで謝罪を受け入れるのを拒んでいた。
「でも、一部の人は本当にラウが本当の愛に目覚めたと思っていたわよ。アレ冗談よって言われてひっそりショックを受けてる人がいたもの。でも、そもそもこんな噂になった理由っていうのが、謝罪行脚の時にあなたが『守りたい人ができたんで……』とか言っちゃうから誤解されたってきいたわよ」
「は? 待て待て俺そんなこと言ってな………………言ったな。そんな感じのこと熱弁した気がするわ。つか、あれで皆ほだされて許す流れになったんだよな」
謝罪しただけではすぐには受け入れられず、どうして店を再建したいのかと問われて、病人が家にいるからその人が安心して過ごせる場所を用意したいとか、相手の同情を引く言葉を並べ立てた。
これを突っぱねたら自分のほうが悪者になると思わせるような身の上話をされれば、相手も許さざるを得ないと分かってしたことだ。
俺自身の苦労話は自業自得で切り捨てられると分かっているから、クラトさんのことを中心に話しただけなのだが……。
「なんだ、自業自得じゃない。クラトさんにはちゃんと謝りなさいね」
「うわぁ……まじでなんも言えねえ……」
多分今のクラトさんなら怒る気力もないだろうが、失望されると思うと正直辛い。
「……もう少し、クラトさんが元気になってから言うか」
面白がっているだけならそのうち噂も消えていくはずだ。俺が騒ぎ立てると余計に絡んでくる奴らが湧いてくると経験上知っている。だからしばらく放置することに決めた。なにより忙しかったし、しばらくするとそんな話も忘れてしまった。
あれからあの噂を俺に言ってくる者はおらず、むしろ乾物屋の女将さんが「勘違いしてごめんねえ」と軽く謝ってくれた。それ以上何も言わなかったが、多分ディアが釘を刺してくれたのだろう。
なぜか女衆はディアに対してものすごく気を遣っているから、あいつが注意してくれたらそれに逆らって噂する奴はいなくなるはずだ。
町に戻ってきてからディアと女衆のあいだで何があったか知らないが、力関係が完全に昔と逆転している。
「今のディア怖えもんな……」
クラトさんもディアの言うことなら聞くし、双子に至っては言わずもがなだ。ディアが店に出入りしても俺と復縁とか噂にならなかったのは、多分本人が「ありえない」ときっぱり否定したせいだ。笑顔で否定するディアからは、これ以上馬鹿なことを言ったら許さないという圧を感じた。アレに逆らえる奴はそういない。
「ディアに協力を仰いで本当に正解だったなー」
俺がディアと和解したらしいと商工会長を通じて各所に伝えられたおかげで、取引をしてくれる店が増えたから、ここ最近はさらに仕事がやりやすくなった。
一時期は、道を歩いているだけで石を投げられるような有様だったから、変われば変わるものだと、仕入れ先へ向かう道をのんびり歩いていた。
こんな風に気を抜いて町を歩けるなんて、本当に以前は考えられなかった。
クラトさんが訪ねてきてくれた夜、帰り道で俺はガキみたいにボロボロ泣いた。一人で食う飯も、人目を避けて歩く道も本当はずっと辛くてしんどかった。
クラトさんはただちょっと様子を見に来ただけと言っていたが、あの時クラトさんが来てくれなかったら多分耐えられなかったと思う。
クラトさんは俺の恩人だ。
ずっと自分の兄のことで申し訳ないと気に病んでいるけれど、本当の父親のことは記憶にないし、育ての父親はあのザマだ。正直、真実が明らかになってよかったとしか思わないから、クラトさんが負い目に思う必要などないと何度も言っている。だが責任感の強いクラトさんが立ち直るにはまだ時間がかかりそうだ。
けれど、これまで助けられてばかりだった俺がクラトさんを助ける立場になれたことが正直嬉しかったのだ。
こんなことを言うと、具合が悪いことを喜んでいると思われそうだから口にはしないが、クラトさんのためになると思えば人に頭を下げるのも全く抵抗がなかったし、寝る間もないほど働いても辛くはない。
地面に這いつくばって許しを請う俺を見て、ああはなりたくないと蔑む奴も多かった。けれど俺は、今の自分をみっともないとは思わない。恩人のために頑張れる自分が好きだ。
少し前までコソコソして歩いていた道を、顔を上げてまっすぐ進む。石畳ばかりを見ていたあの頃にはこんな未来があるとは想像もしていなかったなあと悦に入りながら歩いていると、脇道から誰かに呼び止められた。
「ひさしぶりじゃない、ラウ。しばらく見ないと思ったら、ずいぶん雰囲気が変わったわね」
「あー、ああ……」
声をかけてきたのは昔に付き合いのあった女だ。名前は……なんだっけ。何度か寝たことがあったような気がする。
「なぁに? 冷たいじゃない。昔はあんなに仲良くしていたのに。ねえ、久しぶりに会ったんだから、食事にでも行きましょうよ。最近羽振りがいいんでしょ? 噂になっているわよぉ」
「あ? 羽振りとか知らねーよ。こちとら生活のために必死で働いてんだっつーの。忙しいから遊んでいる暇ねーの」
また噂かよ、と若干イラっとしながら答える。町中から総スカンを食らった時に友人知人は全て縁が切れている。
どうせコイツだってあの当時は他人を決め込んでいたはずなのに、俺の評判が上がってきたらまた声をかけてくるのか……。
「なによぅ。いいじゃないちょっとくらい遊びましょうよ。なんか、居候を養うために働き詰めなんでしょ? カワイソー。あんだけ遊んでた人がさあ。溜まっているなら、アタシが相手してあげようか?」
「いらねーっつってんだろ。女と遊ぶ暇があるなら働くわ。お前の言う通り、大切な人を養わなきゃいけねーから、金を稼がなきゃなんねえの」
「大切……? なにそれ、マジでいってんの?」
「当たり前だろ。俺が一家の大黒柱なんだよ。だから働かねーと」
双子を引き取る時ディアに大見得を切ったが、昔のように資金が潤沢なわけではない。二人はいずれ学校にもやらなければいけないし、クラトさんもまだ本調子ではないし、金はいくらあっても足りない。
一分一秒だって惜しいのにこんな女に割く時間はないので、さっさと振り切って行こうとしたら、突然女が激高し始めた。
「なによそれ! 昔は誰にも本気にならなかったくせに! なんで! なんなのよ! 馬鹿にしてんの⁉」
いきなり髪を振り乱して怒鳴り散らす女に驚いて、ポカンとして何も言えずにいたところ、女の手に裁ち鋏が握られているのが見えた……と思った瞬間には、それがぐさっと俺に刺さっていた。
続きます~