10
一旦話始めると、堰を切ったように言葉が止まらなくなった。
酔った勢いで、ラウが本当は結婚を嫌がっているのを聞いてしまった事に始まり、今日結婚式でラウと妹が浮気をしていたこと、妹が妊娠していること、そして私の家族とラウの家族は二人の結婚を認めてしまって、誰も私のことなど顧みなかったことなどを、一気に喋った。
それを聞かされている馬丁は、酒を飲んで肉を摘まみながら、『へー』とか『あららー』とか『そりゃひでえ』などとかなり適当なあいづちを打って笑っていたが、それでも最後まで話を聞いてくれた。
多分ほとんど聞き流していたんだろうけれど、その適当さのせいで、『もっとちゃんと聞いて!』とムキになって、これまで親に虐げられてきたこととか、ラウの店ではほとんど無給で働いていたのにこの仕打ちとかなどと、愚痴とかもふくめ、洗いざらい喋ってしまった。多分私は相当酔っていた。
馬丁の作ったホットワイン、酒精は全然飛んでいなかったと思う。
「それでね、もうなにもかもイヤになって、こんな家燃やしちゃおうって思っちゃって……なんでだろう?頭おかしいよね?私どうかしてた……って、ねえ、聞いてる?今ちょっと寝てなかった?ねえ、あなたが訊ねたんだから最後まできいてよ。だから寝ちゃダメだってば……」
「うーん、うん、聞いてる聞いてるすげー聞いてる。あれでしょ?婚約者が尻丸出しにしてて面白みっともなかったって話でしょ?一生言われるよねそれ。男として一番恥ずかしいやつだわー。結婚式に控室で浮気とか、なんか背徳的なカンジがして、ちょっとのつもりが尻を出すほど盛り上がっちゃんだろうねー」
「違うわよ!……確かにみっともないって思ったけど、今お尻の話はしてない!だからねぇ……私……ええと、なんだっけ……ねむ……」
「あーお嬢さん今日は色々あって疲れてんでしょ。疲れた頭で色々思いつめるからおかしなこと考えるんですよ。とりあえず休んだらどうすか?よく寝たら気持ちもスッキリしますって。ホラホラ」
「ん……この枕、臭い……」
「あーおっさん臭いすか?まあ慣れればイイ匂いですよ。はい、おやすみなさい」
こんな臭くて硬い寝台で寝られるかと言おうとしたが、本当に疲れ切っていたらしく、瞼を閉じると気絶するようにあっというまに眠ってしまった。
***
ふと自然に目が覚めて、見知らぬ天井が見えて混乱する。
でもすぐに『あ、馬丁の部屋だ』と思い出して、音を立てないようにそっと体を起こした。
外はまだ夜が明ける前で、空が白み始めたばかりのようだった。
部屋を見回すと、馬丁は床の上で酒瓶を枕にしていびきをかいて寝ていた。
私がベッド(と呼ぶには粗末すぎるが)を占領してしまったからだ。そしてよくよく思い出してみると、酔いに任せ、とんでもない愚痴を聞かせてしまったような気がする。
なにをやってるのかしら私は……と自分に呆れてしまう。
「でも……あの時、この人にぶつかってよかった……」
馬丁にぶつかる前、私は恐らく本気で家に火をつけようとしていた。冷静になってみると、なんて恐ろしいことを考えていたのかと怖くなる。
そんなことをしたら、寝入っている両親やレーラも、お腹の赤ちゃんまでも殺してしまうかもしれないのに、あの時はそんなこと気にかけもしなかった。なにもかも滅茶苦茶にしたいという破壊衝動に突き動かされて、馬丁に会わなければ本当に実行していたかもしれない。
冷静になった頭で考えると、そんな恐ろしいことを自分が実行しようとしていたなんて信じられない。でもあの時はそれがいい考えのように思ったのだ。そんなわけないのに。
自分がしようとしていたことなのに、信じられなくて恐ろしくて、私は自分の身を抱いてぶるりと震えた。
この男が、私の顔が鬼のような形相だったと言ったのは、真実だった。確かにあの時私は鬼になっていた。
人はこんなにも簡単に常識とか良心とかを忘れてしまえるものなんだ……。
本当に、そんなことにならなくて良かったと、心の底から安堵する。
はあぁ、と私が深いため息をつくと、声が聞こえたのか馬丁がビクッとなって目を覚ました。
「んあ……?あっ、いてて寝違えた……あ、お嬢さんおはようございます」
「おはようございます。あの、ベッド占領してしまってごめんなさい。それと、昨日は……色々ありがとうございました」
「んー?ああ、いーですいーです。俺の臭い枕に顔を擦り付けてスヤスヤ眠るお嬢さんをみれて得した気分なんで。うん、よく寝られたみたいですね、顔色もいい。いつもの綺麗なお嬢さんに戻ってますよ」
「そ、そうですか……?」
綺麗なお嬢さん、と言われちょっと戸惑ってしまう。が、馬丁はあくびをしながら喋っているので、まあ適当に言っているだけなのだろう。寝起きで頭も顔もぐちゃぐちゃのはずなのだから。
「んで、なんでしたっけ?昨日の話ですけど、元婚約者さん。レオ君?エロ君?とかでしたっけ?お嬢さんの代わりに、顔面ボコボコにしてきましょうか?んー特別に銅貨三枚で引き受けちゃいましょう」
「レオでもエロでもなくラウよ。そんなことしなくていいですよ。あなたそんなことしちゃったらさすがにウチの馬丁をクビになりますよ」
「あーいいんです。そろそろここも辞めようと思ってたんで。それより本当にいいんですか?このまま何も報復しないで、妹さんとの結婚を祝福するつもりですか?前歯の二本くらい折って間抜けな顔にしてやれば、ちょっとはすっきりすると思いますよ~」
妹との結婚、と言われ、それを考えるとまた黒い気持ちがムクムクと湧き上がってくる。
私をあんな風に裏切って傷つけた二人が、私のことなど無かったことのように、結婚式をあげて幸せになるなんて、どうしたって許せるわけがない。祝福なんてそれこそ死んでも無理だ。
私が着られなかった婚礼衣装を着て、結婚式をあげる二人をもし見てしまったら……正気でいられる自信がない。
だからといって、馬丁に頼んでなにか報復をしてしまったら……きっと私は止まれなくなる。昨日の夜のように、黒い感情に身を任せたら、もう常識も良心もなにもかも私は無くしてしまうと思う。
見ているからツラいんだ。言葉を交わすほど、私は傷つけられる。近くにいてはどうしても黒い感情が大きくなる。
なにかをしでかす前に、私はここから離れるべきなんだ。
「……いいんです。それよりも、私、家を出ようと思います。正直、このまま二人の姿を見ていたら、憎む気持ちが抑えられないと思うんです。ここに居たら二人と関わらないではいられないし、顔を合わせたら自分がどうなってしまうか分からないんです。だから、もう物理的に離れて、自分の気持ちを整理したいんです」
「へえぇ。じゃ、この町から出て行くってこと?アテはあるんですか?」
「アテなんてないけど、ここにいるよりどこでもマシでしょうから。幸い、店でやらされていたから算術も帳簿付けも得意だし、家事も裁縫もできるから、なんとかなるわ。今までの辛さを考えれば、なんでも耐えられると思うし」
そう口にすると、なんだか気持ちが楽になってきた。
きっとここを離れても、何度も昨日の悲しかった気持ちを思い出して泣いたりするのかもしれないが、ラウのことも家族のことも、顔を見なければ忘れていけるかもしれない。新天地で忙しく暮らしていたほうが、きっと思い出す暇もないだろう。
まだ早朝だから家族の誰も起きてはいないだろうし、通いの掃除婦も来る時間ではない。
そっと荷造りをして、誰にも会わず今すぐ出て行こうと私は決めた。