花束
校門を抜けて大学のキャンパスに入ると、いつもゆみと昼ご飯を買いに来ていたコンビニが目に入った。昼ご飯を買おうか迷ったが、そのまま通り過ぎる。ゆみが死んでからゆみの気配があるところに来るのは初めてだ。緊張がうっすらと体を覆う。
始業式の集まりが終わって、教室に向かう途中、知っている顔を見つけた。
「おは。。。」言いかけて、やめた。
何もないように通り過ぎていく横顔が少し寂しい。でも相手に気付かれなくてよかったかもしれない。どんな顔をして話せばいいか分からない。ゆみのことに触れず、普通に話し始めたら、薄情な人間だと思われるだろうか。
昼休み、1学期によくご飯を食べていた机の近くに向かうと、いつも一緒に食べていた3人が座っているのが見えた。
「おはよう」
「あ、おはよう楓」
「おはよう。始業式どこらへんにすわってた?」
「おはよう」
声をかけると、皆普通に挨拶を返してくれた。
大学の友達に会うのは、ゆみのお葬式の時以来だ。
緊張が少しほどける。
「夏休み遊びに行かなかったね。」
他愛のない話が続く、
「真綾は?ドイツ行ってたんでしょ?お土産は?」
私も、まるでなつ休み前の日常のような、普通の会話を続ける。
内容のない会話に、口だけが自然とついていって、取り残された私は、薄い膜に隔てられて乖離しているようだ。ぼんやりとした気持ち悪さが体を覆っている。
「楓、ごはんは?」
「あ、どうしよ」
何かを食べれるような気分じゃない。
どうしよう。
「なんか買ってくる。」
声をかけて席を立つ。
「今日の中華丼、イカがいっぱいだったよー」
すずの声が追いかけてくる。すずはイカ好きだったのだろうか。記憶にない。
この間まで、普通に混じれていたはずの会話に、強烈な違和感を覚えた。なんとなく引き返すことが出来ず、流されるまま券売機の目の前まで来てしまった。
お腹はまったく空いていない。このまま家に帰ろうか、携帯も財布もあるし困らない。
無意識に止めていた息を吐き出す。すずたちのところに戻るのは少しめんどくさくてしんどい。
後でLINEで謝ろう。急な用事を思い出したことにすればいい。たぶん、そんなに気を悪くするような人たちじゃない。
食堂に入ろうとする大勢の人たちをすり抜けて外に出る。強い日差しが目を焼いた。体が重い。家まで歩いていく道のりがひどく遠く思えて立ちすくむ。
向かいの図書館の窓に、強い日差しが反射している。
少し、図書館に避難してから帰ろう。
自動ドアを通ると、冷え切った風が独特のしんとした空気を運んでくる。椅子に座ると、熱々になった頭を、風が撫でていくのを感じた。耳鳴りのような、眩暈のような、いいようのない不快感が少しづつ落ち着いてくる。
携帯を出して、文字を打ち込む。
「ごめん。ちょっと用事思い出しちゃって、かえる」
ごめん!と手を合わせたスタンプがグループトークに送信される。
ゆみの携帯が解約されたのか、参加人数を示す数字が4人になっていた。
晩御飯は、何がいいだろう。また今日も、自分のためだけに家事をやらないといけない。夏休み中は一日中家にいたので、ドラマを見るのに飽きたら家事をするようにしていたが、学校が始まったら、もっと規則的に生活しなければならない。
すずと自分は一人暮らし、真綾となみ、ゆみは実家組だ。
LINEの返事は来ているだろうか。余計な心配をかけたくないが、気を使って文章を考えるのもめんどくさい。カバンに入れた携帯はサイレントモードになっていて何の受信も知らせない。
ゆみのお葬式には、ドイツへ行っていた真綾以外の二人と一緒に参列した。ゆみの家族や昔からの友人であろう女の子たちがひしめいていて、居心地が悪かった。
お焼香を上げてそそくさと外に出ると、何も話さず、そのまま分かれた。緊張して疲れていたし、ゆみが死んだという現実に、私たちはまだ追いついていなかった。
3人は今頃、ゆみの話をしているのだろうか。もう少し一緒に座っていたら、自然な流れでゆみの話に加われていただろうか。軽い世間話を当たり前のように続ける自分が怖く思えて逃げ出してしまったが、もしかすると私は無意識のうちにゆみの名前が出ることが怖くて、逃げてきたのではないか。ゆみのことを考えようとすると、ぽっかりと空いた白い穴を覗き込んでいるような気分になる。何も感じず、考えられない。
だめだ。
立ち上がって適当な本を選ぶ。以前どこかで見かけたことのある気がする、暗くなさそうな本を手に取って席に戻る。
本に集中していたため、気が付いたら窓の外が暗くなっていた。
このまま読み進めたい気もしたが、わざわざ借りて帰るのも面倒に思えて、本を棚に戻す。
キャンパスは閑散としていて、静けさがあった。昼間の喧騒が嘘のように、街灯が誰もいない道に佇んでる。
門のところの守衛さんに軽く会釈をして、通り過ぎる。大学をでると帰宅途中のサラリーマンや学生がちらほらと家路についていた。
アパートの外階段を上り、部屋の方に向かうと、ドアの取っ手の所に、小さな紙袋が引っ掛かっているのが見えた。誰か来たのだろうか。
手に取ると、可愛らしい花束が、ちょこっと入っていた。
なぜ、誰が私の部屋に花束を持ってきたのだろう。誕生日でもないし、心当たりがない。
とりあえずそのまま家に持って入る。
靴をぬいで、花束を取り出すと、底に手紙が入っているのが見えた。
「楓へ」
見覚えのある字で名前が書かれている。開くと、白い簡素な紙が入っていた。
「楓へ
驚いたかな。怖がらせちゃったら、ごめんね。
すずです。なみとまあやと私から、花束を贈ります。
手紙だけより、いいかなと思って。
用事を思い出したから帰るって、LINE来てたけど、本当はちょっとしんどかったんじゃないかな、って思ったので、勘違いだったらごめんね。
今日は、なんにも話せないまま、楓が帰っちゃって、私たちも、どうやって何を言ったらいいのか分からなかったけど、ゆみと一番仲の良かった楓が、しんどくないはずないよねって、話になりました。
正直、私はあんまり実感が無くて、どう話していいのか分からなくて、何でもないフリしてた。でも、まるでゆみの存在を無視するような態度になってたかもしれないって、反省してる。
なみとまあやと、ちょっとだけゆみの話したよ。びっくりした、どう考えていいか分からなかったって。楓がどういう風に感じて、受け止めているのか分からないけど、私たちは辛かったから、ちょっとでも、楓の心が軽くなったらいいな、と思ってお花を買いました。
少しづつでいいから、私も、楓と一緒にゆみの死に向き合っていきたいです。みんなで一緒に、くだらない話をするためにも、辛いけど、本心も話した方がいいのかなって、思う。
ながながとごめんね、皆ちょっと楓のことが心配で、余計なお世話かもしれないけど、慰めになればいいな、なんて思ってます。
明日、また学校で。
すず」
涙が落ちて字を歪ませる。体の奥から熱がしみだしてきて、涙が止まらなくなった。
玄関に座り込み、小さな花束に手を伸ばす。こころの奥で凝り固まっていた不安が溶け出すように、胸が熱くなって、嗚咽がもれる。
たまらなく安堵した。誰からか分からないけど、許されている気がした。私が生きていることを。
ああ、私って生きてる。強烈に実感した。そうしたら、ゆみの笑顔が浮かんできた。
ゆみの顔を思い出すのは、ゆみが死んでしまってから初めてだ。ゆみは本当に死んでしまったということが、ようやく理解できた。
ゆみの死に対して、どこかずっと後ろめたさを感じていた。人が死んだのに、泣けない自分が怖かった。お葬式が終わっても、まるで実感がわかず、頭の片隅にずっと小さなもやがかかって、考えることを拒否していた。
人が死んだということを理解して、生きていることを実感した。ゆみは、どんな気持ちだったのだろう。ゆみの気持ちを考えると、無念で、やりきれなくて、悔しくなった。
明るくて、にぎやかで、でも静かに私の話を聞いていてくれたゆみ。交通事故で死んだと聞いた。将来の夢だって、わたしよりすごくしっかり持っていた。やりたいことがたくさんあって、夢をかなえるために努力しようとしていて、大学にも入ったばっかりだったのに。突然ゆみは、この世界から切り離されてしまった。
立ち上がって、リビングの電気をつける。すずと、まあやと、なみからもらった花束を、今度は私からゆみに贈るつもりで花瓶に生ける。涙を流し切って、頭がすっきりとしていた。
明日、皆でちょっとゆみの思い出話でもしよう。私たちはまだこの世界の残酷さが理解できなくて、何度も何度もやりきれなさを覚えるんだろう。でも、それでも生きてるって思えるのは、死がくれる贈り物なのかもしれない。