第5話:蒼と柊
「では、蒼。明日の夜にでも、迎えを行かせますので」
「いらねぇよ。新幹線で行くから良いわ」
俺と蒼は、民宿の入口で高山を見送るところだった。
「左様ですか。では、失礼します」
高山は深々と礼をして、待たせて居たセダンに乗り込んだ。
しかし、運転手もよく待ってたもんだ。俺達の話し合いは、1時間とは掛からなかったが、この炎天下では辛かろう…運転手のおっさん、汗ダラダラだけど、大丈夫なんだろうか?
俺の心配をよそに、車は流れる様に、民宿を後にした。
「んじゃ、俺らも行くぞ」
蒼に促され、足下に置いた荷物を持った。せめてもう一泊したかったなぁ…
「んじゃな、奈穂。元気でな」
蒼は気さくに、奈穂に手を上げて言った。
「2人ともまた来てね」
奈穂も元気に手を振って答えた。
俺も『またね』って言って軽く手を振り、俺達は民宿を後にした。
奈穂との別れを惜しんでる内に、蒼はさっさと先に行ってしまう。俺は慌てて駆け、蒼に追いつく。
「あの、蒼さん」
呼ばれて振り返った蒼に、俺は睨まれた。その目に威圧感はなかったが、俺の心中は穏やかではない。俺、何かしたっけ…?
「あのよ、柊」
「はい」
俺は反射的に返事をした。
「お前さぁ、堅っ苦しいんだよ」
……はい?
「別に俺に敬語使わなくっても良いんだよ。秘書とは言ったけど、2人で居る時はタメ口で大丈夫だからよ」
「いや、しかし…」
いくら何でも、この国の最高権力者にタメ口なんて…
「つうか、お前。そこまで真面目な性格でもねぇだろ?奈穂の前じゃ、鼻の下伸びっぱなしだったしな」
蒼はニヤっと不適な笑みを見せた。
バレてたのか!?てか俺って、そんな顔に出るのか!?
「これ命令な。従わないと奈穂に言うぞ。柊がお前のこと見て、エロい妄想してたって」
「してねぇし!!」
慌てて否定した俺を見て、蒼はまたもニヤついた。
「それで良いんだよ」 蒼は再び歩き出した。なんだか釈然としないが、この際どうでも良くなり、俺は蒼と並んで歩いた。
「そういや、さっき何か言おうとしてなかったか?」
「いや、タクシー使わねえのかと思って」
なんか、やっぱり違和感があるなぁ…
「タクシーは使わねえよ。環境に悪いから、遠くなけりゃ徒歩だ」
蒼はポケットから煙草を取り出して吸い始めた。
お前の煙草の方が環境に悪い、と言葉が喉まで出かかったが、なんか怒られそうだったから止めた。
その後、俺達は無言で歩いた。
*
町外れの森林の奥、木々に隠される様に蒼の家はあった。
少し古い作りの、瓦屋根の木造平屋建ての家。家の前に庭があり、中央にある池の周りを、様々な木や花が植えられていて、なんとも美しい日本庭園と言ったところだ。 俺は思わず、庭の美しさに溜め息が漏れた。
「この庭は蒼が1人で手入れしてんのか?」
「暇な時にな。まあ入れよ」
蒼が玄関の引き戸を開けて家の中に入って行き、俺も続いた。
「お邪魔します」
家の中は古いながらも、きちんと掃除が行き届いていて、綺麗だった。
蒼に促され、俺達は居間に入った。
居間には卓袱台があったが、まず目についたのは、この家には不釣り合いな程に大きい、薄型のプラズマテレビ、それと最新型のパソコンだった。
俺は蒼に聞いた。
「なぁ、蒼。このテレビとかってどうやって買ったんだ?お前、別に働いてる様には見えないけど…」
「盗んだとかじゃねぇよ。昔、国政をやってた頃に稼いだ金で買ったんだよ。一応、小せぇ国の国家予算位の金は持ってるからな」
蒼はしれっと言ってのけたが、俺は驚いて声も出ない。
「当然だろ、何百年も働いたんだぞ。数百億なんて、すぐ貯まるよ」
「でも、その金って銀行に預けてんのか?」
「いや、家の中にしまってる部屋があるから。見てみるか?」
俺は慌てて首を振った。そんな大金みたら、理性が吹っ飛びそうだ。
「肝の小さい奴だな。大丈夫だよ、百万位無くなっても、痛くも何ともねぇし」
蒼は笑っていたが、笑い事ではないと思った。こんな平和な田舎だから無事なのであって、その内盗まれるぞ…
「さて、とっとと支度しちまおうぜ」
蒼に言われ、俺も手伝いに行く。
とは言っても、大した荷物はなく、大きなスーツケースに、スーツと私服、下着、歯ブラシ等の生活用品を入れて、夕方には終わった。
しかし、蒼がスーツを持ってるのは意外だった。高山に会う時も、ラフな私服だったし、何処でもそうなのかと思っていた。
蒼に尋ねると、『たまには着るさ』と言った。記者会見もスーツで行くとの話だ。
蒼の身支度を終え、俺達は居間でテレビを見ながら休憩をとっていた。 蒼にビールを貰い、礼を言ってプルタブを開けた。
ビールで喉を潤して、テレビから流れるニュースに目を向ける。
東京で起きた殺人事件、どこぞの県知事の不祥事、百年に一度と言う世界恐慌、それに伴い破綻する一流企業…
世の中の悪いニュースは切れる事がない。
しかし、この田舎では、そんな事も別の世界の話に感じられた。ここはとても平和だった。
「柊。お前、俺に感謝しろよ」
テレビから視線を外さず、蒼は静かに呟いた。 「何を?」
俺は心意が分からず、蒼に聞いた。
「お前は気付いてないかも知れんが、高山はお前に何か隠している。それでいて、お前を秘書として、自分の傍に置いた。秘書って仕事が、『根回し』なんかでなれるもんじゃないって事は分かるだろ?」
俺は黙って頷いた。
「高山が何を隠しているか分からん以上、お前を奴から離すのが得策だ。お前、何か心当たりはないのか?」
蒼は煙草に火を付け、俺を振り返った。
「確かに俺も疑問には思ってたけど、特には…」
俺は首を傾げた。蒼は何か考えてる様子だった。
「お前、もしかして…いや、何でもない。気にするな」
言ってから、蒼はビールを一口飲んで、テレビに視線を戻した。
蒼は何か言いたげだったが、その場は追求しない事にした。どうせ、喋らないだろうし。
その後俺達は、蒼が作った夕飯をとりながら、談笑した。
蒼が作ったのは、ご飯と豆腐とワカメの味噌汁。それと、鯵の開きという、至って普通の和食だったが、どれも美味しかった。
蒼との話しは、町の事、町に住む人達の事、最近の流行の話しとか。確かに、自分の話しをする時は、時代を感じさせる話しもあったが、それ以外は、何処にでも居る、今時の少年の様だった。
話し込んでる内に、すっかり遅くなり、俺達は寝る事にした。
明日、早めに東京に行って、東宝院と言う人に会うのだと蒼は言った。
眠る直前に蒼は、『こんなに笑ったのは久しぶりだ。ありがとな』と言った。
俺は何だか照れくさくなって、適当に返事をして床についた。
最初は、どうなるかと思ったが、何とかなりそうだ。
俺は心の底からリラックスして、いつしか夢の中へと落ちて行った…