第35話:G.C.W(秘書)
東宝院 時雨。25歳。
学力、武術、美貌の三拍子を兼ね備えた非の打ち所がない、完璧な女性である。
だが、彼女の今日までの道のりは決して、楽なものではなかった。
代々蒼の秘書を務める東宝院の人間に求められたのは、完璧な人間であることだった。
勿論、彼女も例外ではない。
幼少の頃よりトップレベルの英才教育を受け、それは単なる学力には留まらなかった。
著名人による経済学に始まり、ノーベル賞受賞者からの多種多様な学問、オリンピック選手をコーチに行われた柔術や剣術、果ては人間国宝自らが華道、茶道を徹底的に叩き込んだ。
また、身形に対しても完璧であることを求められたが、産まれながらに人並み以上の整った容姿だった為、彼女がそれに苦労することはなかった。
元々の才能もあり、彼女の成長は目覚ましいものがあった。彼女は着々と、次期当主への階段を上り続けた。
だが、時雨が22歳の時、彼女に転機が訪れる。
父・司が、両脚の腱を切られ、二度と立てない身体になったのだ。
「お父さん!?」
司が担ぎ込まれた病院で、時雨は声を張り上げたが、司は意識を失ったままだった。
「申し訳ありません、御嬢様。私が付いていながら…」
司の側近の男はうなだれながら、時雨に謝罪の言葉を何度も呟いた。
しかし、時雨には聞こえていなかった。
彼女の中では、怒りの炎が猛り狂っていた。
「誰が、やったのですか?」
「いや、それは…」
言い淀む男性に、時雨は射殺さんばかりの視線を容赦なく向けた。
「誰ですか?父をこんな目にあわせたのは?」
その後、しどろもどろになって話す男性から、1人の名前を聞き出した。
「天鳳会の、佐山 千歳…」
その日から、彼女の脳裏に、彼の名前は深々と刻まれた。
「はぁぁ!!」
一心不乱に刀を振るう時雨、それをいなすカラー。
彼女達の戦いは、正に互角のものだった。
だが、時雨は焦っていた。
その向こうに見える、仇の首を取る事に。
あの後、司は言っていた。
「むざむざと、あんな男に命を見逃されたのは、殺される以上の屈辱だ」と。
しかしながら、目の前のメイドには隙がない。
「時雨様、集中しきれてませんわ。私は片手間で倒せる程、弱くはないですよ」
「分かってます、よ!!」
一気に剣撃を強める。
咄嗟の重い一撃だったが、カラーはそれを軽くいなした。
「甘く見ないで下さいませ。今の貴女なら、二百手先まで読めますわ」
「かはっ!」
カラーが言い終えるタイミングで、時雨の腹部に打撃が入る。
見ると、鳩尾目掛けて蹴りが放たれていた。踵のヒールがちょうど鳩尾を打ち、穴が空きそうな程の痛みが走り、彼女は地に膝をついた。
そして、間髪入れずにカラーが身を引き、刀を水平に構え突きの体勢に入った。
「終わりです。でも、恥じる事はありませんわ。私は世界最高の秘書ですから」
にっこりと微笑み、カラーは容赦なく刃を走らせた。
「…まだ!」
迫る刃の切っ先を、時雨はなんとか左に受け流す。
「つっ…」
しかし、さばききれず刀は彼女の左肩をかすめていった。
だが、痛みに止まっている暇はない。
時雨はカラーに足払いを浴びせ、バランスを崩したのを見計らい、後方に転がる様に身を引いた。
立ち上がり、急いで呼吸を整える。
「まだ…負ける訳にはいきません」
刀を構え、再び相対する。
その眼差しは、さながら獲物を狩る獣のそれだった。
「やっと、私を見ましたね」
「全力で、貴女を倒します。私も…」
そこで、時雨は口元を綻ばせた。
「私も、世界最高の秘書ですから」
「宜しい、ですわ!」
そして、2人はどちらからともなく駆けだした。
*
「いやぁ、お互い守られる王子様ってのも、カッコ悪いよね。柊さんも、そう思わない?」
「いや、俺は王子様じゃないし」
俺の返答に、竜王はつまらなそうに拳銃を俺の腰に押し付けた。
正直、気が気じゃない。
「ノリ悪いね。どうせ僕らは否戦闘員なんだし、お喋りでもして時間を潰そうよ」
そんな余裕があるわけないだろうが。
しかし…。
「……なんで俺を殺さない?」
「なんでだと思う?」
お喋りしよう、と言ったくせに、疑問を疑問で返されたら話が進まねぇじゃねぇか。
「ん~、そう睨まないでよ。怖いなぁ」
「だったら答えろよ」
「良いよ。えっとね~、君はアダムを入れる器なんだよ」
「器?俺が?」
これは前にも誰かが言っていたような…。
そうだ!高山総理がそんな事を言っていたな。
「つまり、蒼の孫である俺の体にアダムの心臓と心を入れて、そんでアダムを復活させようってわけか」
「そそそ。なんだ知ってるじゃん。だから、君は大事な大事な人質兼器なのさ」
厄介な話だ。つまり、俺が生きてるだけで蒼達にはリスクが掛かるのか。
だが、逆に竜王達が俺を殺すことはないってわけだ。
なら、隙を見て逃げるのは可能だな。
「ねぇ、柊さん」
「ん?なんだ?」
取り敢えず、一瞬でも良いから、竜王が隙を出すのを待つしかない。
「やめた方が良いよ」
「な、何がだ?」
「あれ?今逃げようと考えてなかった?僕が隙を見せるのを待ってない?」
「!!」
どうして分かったんだ!?
「僕が柊さんならそうするよ。でもダメ。殺しはしないけど、逃がしもしないよ。別に脚とかなら潰しても良いって、千歳君にも言われてるし」
ちっ!やっぱり俺なんかの浅はかな考えはお見通しか…。
だが、俺だけ手をこまねいてる訳にはいかない。
「しかし、良いのか?お前のお友達の千歳君がピンチっぽいぞ」
黒スーツの男・佐山千歳はファウストと交戦中だが、途中から動きの良くなったファウストに押されていた。
「ん~、そだね。でも千歳君って、誰かに助けてもらうの大嫌いだし。助太刀に行ったら、逆に殺されかねないんだよね」
どうにも、こいつの意識は逸らせないらしい。
「にしても、東宝院さん強いねぇ。カラーと互角に出来る人なんて初めて見たよ」
「カラーさんは何者なんだ?」
「何者って程でもないよ。世界最高の秘書にして、僕の恋人だよ。強いて言うなら、僕とカラー、そして千歳君は大学時代の同級生さ」
竜王は遠くを見る様にして、一人思い出に耽っているみたいだ。
「よく、あんなイカれたのと友達になったな。俺なら絶対に御免だ」
「友達って言うか、平伏した感じかな。僕が」
「はぁ?」
「君には、只のイカれた人間に見えるかも知れないけど、彼と深く関われば気付く筈だよ。彼はね、この世で唯一人、唯一無二の完全なる人間だよ」
「どう言う意味だ?」
そこで竜王は口を閉じた。
どうやら、昔の思い出を掘り起こしてるらしい。
遠くでまた轟音が響き、至る所で煙が上がっていた。
「昔、僕は余りにも青かった。自分の実力を過信し過ぎていたんだ」
竜王は唐突に語り始めた。
「産まれながらに持っていた頭脳、富、権力。これらは僕の心を簡単に天狗にした。まぁ誰だって、自分が万人の上に立てるだけの実力を持ってると理解したら、調子にも乗るよね?」
「……」
「だが、僕は根本的に間違っていたんだ。僕は自分を完璧な人間だと思ってたけど、僕は只の完成品だった。ありふれた天才の一人にしか過ぎなかったのさ。……神童には、勝てなかった」
「なんだか、自慢話にも聞こえなくもないが…。つまり、あの佐山千歳って男は、お前以上の人間だったってワケか」
軽く頷く竜王。
その眼には、どこか哀愁が籠もっている様に見える。
「僕の人生で唯一人、僕が勝てない人間…。僕は彼のその絶対的な存在に惹かれ、彼の理想の為の一翼になったのさ」
確かに、竜王の話口調から嘘は感じられない。
それどころか、盲信している様にすら感じる。
「お前の気持ちは分かった。けど、あのG.C達が蒼達に勝つのは無理じゃないか?この前だって、太公望さん1人で、3人も倒したんだし」
そこで、竜王は笑った。
どす黒いオーラを纏って、だ。
「楽観し過ぎだよ。彼等は強いよ。ただ相性の問題はあるけどね。それに、なにも君等の敵は、僕等だけじゃない」
「それって…?」
「じきに、アメリカ軍がこの国に来るよ。勿論、武力行使をする為にね。そして何より、彼も来る筈だ」
「彼、って誰だ?」
「全ての元凶。忌避すべき金獅子。正真正銘の神の孫」
竜王の漆黒の瞳と、俺の視線が交わる。
「アダムとイヴの子、カインさ」
「キャっ!」
竜王の言葉に被さる様に短い悲鳴が木霊した。
竜王が声に反応して振り向く。
俺には見るまでもなく分かった。時雨の声だ。
そして今が、千載一遇のチャンスだった。
「痛っ!」
竜王の手に手刀あびせ、銃を払い落とすと、俺は一目散に時雨の下へ走った。
時雨は今まさに、アスファルトに尻餅を付いた態勢となり、対するカラーさんは刀を突き刺そうとするところだった。
「時雨!!」
つい先程も、似たような局面になっていたが、今度は明らかにかわせそうもないのは明白だ。
カラーさんが刀を突き放つのと、俺が時雨の所に着くのは、ほぼ同時だった。
「えっ!?」
驚愕した様な声は、もうどちらのものか分からなかった。
「ひい…ら、ぎ…さん……」
今だ、尻餅の態勢になっている時雨に視線を送ると、彼女の眼が大きく見開かれていた。
「残念だったな、竜王。これでお前達の計画は御破算だ」
後を追って駆けて来た竜王に、俺は『してやったり』とした感じに言ってやった。
「なんて…事を…」
愕然とした竜王を見て、俺は思わずニヤけていた。ざまぁみろ、だ。
「そ、そんな……。いや、いや…いやぁぁぁっ!!」
目の前で、時雨が叫び声を上げたが、どうでも良かった。
今はただただ、胸が焼ける様に、痛い…。