第17話:God.children's (3)
「ちょっと!?旦那?もしも〜し……もしも〜し」
竜王は、無言の受話器に幾度となく呼び掛けるが、返事が返る事はなかった。
「ちょ〜〜!!ヤバいっスょ!蒼の旦那になんかあったみたいっスょ!!」
振り返った竜王は、後ろで呑気に煙草を吹かしている男に、声を荒げてまくし立てた。
「まぁまぁ、落ち着けって。お前も一本吸うか?」
男は、竜王の気も知らずに、椅子に腰掛けると、煙草を勧めて来た。
「って言うか……アニキは行かないんスか?アニキが行けば……」
「バッカもん!良いか、竜王…。切札ってのはよ、最後の最後まで使わねぇんだよ」
男は、肺一杯に溜めた煙を、ゆっくりと吐き出し、テーブルの上のブランデーの入ったコップを手に取ると、その琥珀色の液体を舐めた。
「出し惜しみして、取り返しのつかない事になっても知りませんょ」
「大丈夫だ。あのな、世の中ってのはタイミングが大事なのよ。タイミングがあった時に行く事によって、全ては上手く行くんだよ。今はまだ、その時じゃねえ」
「でも……」
「なぁ、竜王。こんな話を知ってるか…」
男は椅子の肘掛けに腕を置くと、顔の前で指を組んで、その茶色の瞳で竜王を見つめた。その瞳は深く。何もかもを見透すかの様だった。
「かつて…遥か昔の話だ。時は、殷周革命が起こり、中国の歴史が動く少し前。そいつは、ある日、中国の渭水と言う川で釣りをしていた。釣りと言っても、真っ直ぐな針を使い、考え事をしていただけらしいがな…。あいつは、無駄な殺生を嫌う。自分の考え事の最中に、例え魚でも、痛い思いをさせるのが嫌だったそうだ」
「誰の……話スか?」
「まぁ、最後まで聞け。そいつが釣りをしていると、ある男が現れた。その男は姫昌と言い、後の周の王、武王の父だ。姫昌は、そいつを見るや、こう言った…『そなたこそ、太公が大いに待ち望んだ者だ』、とな……」
竜王の脳裏に、1人の男の顔が思い浮かんだ。
「それって、まさか!」
「そして、そいつは周に迎えられ、軍師となり、紂王の率いる殷の軍勢を、その知力を持ってして牧野の戦いで討ち取った。もう、分かったろ?そいつは当時、相手が人間だったから力を使わなかった。だが、今回は違う」
「でも、相手がどんな能力を使って来るか…」
「関係ないね…。あいつは強いよ。俺達の中でも、本気でやり合って勝てるのはアリスくらいなもんさ…」
*
「太公望……!?」
皆の視線の先に、その男は立っていた。
安眠スーツから既に出た彼は、月光の下、身も凍る様な漆黒の瞳で、純白の少年達を見据えた。
「太公望さん…怪我とかしてません?大丈夫ですか?」
柊が心配そうに呼び掛けるも、太公望は無言でシルフ達を睨み付けて、何の反応も示さなかった。
「構うな!やれ、メトシェラ!」
シルフの叫びに、メトシェラが力を発動させようとするも、再び、それが起こる事はなかった。
メトシェラが突如、脇腹を押さえ、崩れる様に倒れ込んだからだ。
「メトシェラ!?」
シルフが狼狽した様子で、メトシェラを抱えると、手で押さえた脇腹から出血があり、それは徐々に、彼の純白のスーツを赤に染めていった。
この突然の状況を瞬時に理解したのは、蒼とアリスだけだった。
「どう思います?」
「恐らく、安眠スーツに傷が付いたから、マジギレしたんじゃねぇの?」
蒼はやれやれと言った様子で、頭を掻いた。
「でも、お陰で助かりましたわ。彼がやる気になったのなら、この状況も打破出来そうですわね」
蒼は辺りを見回し、いつの間にか移動した太公望を探した。 その時の太公望は、何百年か振りに、本気で戦闘態勢に入っていた。
メトシェラの脇を、落ちていた瓦礫で差した後、一度間合いを取って様子を伺い。
次に、シルフがメトシェラに触れたのを確認すると、彼等の背後に移動をした。
空気の流れで物体の移動を読めるシルフだが、気付いた時には遅かった。太公望は、シルフの肩に手を添えると、反撃の暇も与えず、2人を何処かに飛ばしてしまった。
「そ…そんな……いや……」
残されたノアは、その人形の様な整った顔を、恐怖に染めて、怯えながら後ずさった。
だが、そんな事などお構いなしに、太公望は標的をノアに移して、彼女へと向き直った。
「来ないで!!」
叫びながら、ノアが指を鳴らすと、時が止まり、辺りは静寂に包まれた。だが、1人を除いて…。
「恐怖のあまり忘れましたの?ペラペラと良く喋る、小娘。貴女が教えてくれたのよ?」
アリスが、悪戯っぽい笑顔に、その深緑の瞳を妖しく輝かせて、指を鳴らした。
止まった時は動き出し、世界は元通りに回りだす。一陣の風が、草木を揺らす音が聞こえた。
そして、太公望はノアとの間合いを一息の間に縮めると、彼女の肩を軽く掴んだ。
「お主に運があれば、死にはすまい。まず、無理じゃろうがな…」
苦悶の表情を残し、皆の目の前から、ノアは姿を消した。