第15話:God.children's (1)
「蒼も柊さんも、遅いですね」
時雨は窓から、すっかり闇に染まった外を眺めて呟いた。
「放って置きましょ。どうせ、何事もなく帰って来ますわよ」
座布団にちょこんと座っているアリスは、紙パックのレモンティーを美味しそうに飲みながら、事も無げにそう言った。
時雨は、アリスに向き直ると、同姓ながらも思わず、アリスに見入ってしまった。漆黒のドレスに包まれたアリスは、その身の丈程もある金髪も相まって、さながら金色の花の如く、優雅に美しく佇んでいたからである。
片や、そのアリスの右手で横になっている太公望に、視線を移した時雨は、ついつい奇異な物を見る様な目になってしまった。
安眠スーツと呼ばれる、どこから見ても宇宙服にしか見えない代物に身を包んだ太公望は、この空間に置いては異常としか言い様がない。
きっと初めてコーラを見た日本人の様な顔になってる事だろうと、時雨は1人思った。
そうこうしている内に、玄関の引き戸を開ける音が聞こえ、時雨は足早に玄関へと向かった。
「おかえりな…えっ…」
時雨は、見慣れた2人が連れ帰って来た人物を見て、思わず顔を引きつらせた。
「おう、帰ったぞ」
「ただいま」
いつも通りな2人、そして柊の背におぶさって、一応手を上げて挨拶をしてきた女性。
年の頃、二十代半ば程の女性は、長い黒髪を後ろで雑に束ねて、そこには色鮮やかな、かんざしが一本刺さっているのが見えた。顔は、明らかに泥酔しているのが分かる程に赤く、首筋まで朱色に染まっていた。
「あの…そちらの方は?」
恐る恐る尋ねた時雨に、蒼は溜め息混じりに答えた。
「こいつ…ガーネットってんだ。こんなんだけど、神の孫だから」
時雨は驚くよりも、『やっぱり』と思った。先の太公望の件もあり、薄々そんな予感はしていたからだ。
「まぁ見ての通り、今は只の酔っ払いだ。部屋で暫く横にして、こいつの事は後でだ」
3人が居間に入ると、アリスがガーネットに気付き、呆れた様な、哀れむ様な顔をした。
「ガーネット…何も変わっていませんわね。自分の限界も分からずに酒など飲むなと、昔あれ程言いましたのに」
「う…それは……」
ここに来て初めて、ガーネットは弱々しく声を発した。
「ファウストが…ここに来れば、皆に会えるって言ってたのに……皆、居ないんだもん。それで、暇だったから…」
「はぁ…だから、相変わらずなのですよ」
アリスは、近くにあった座布団を取ると、それを半分に畳み、ガーネットをおぶっている柊に目配せをした。
アリスの行動を悟り、柊はゆっくりと、座布団を枕にさせて、ガーネットを横にした。
「そこで、大人しくしていなさいな」
「うぃ…」
そして、ガーネットは寝息をたてて、夢の世界へと入っていった。
「あとはファウストとジョーカーだけか…」
近くの座椅子に腰を下ろし、蒼は煙草に火を付けた。
「まぁ、その内会うでしょうけど…それまで如何します?蒼」
「う〜ん…つっても、向こうの動きが分からん事にはなぁ」
「あっ!」
突然、柊が声を発した為、皆が一斉に、柊に視線を向けた。
「なんだよ、柊」
「あのさ、竜王の事、忘れてない?」
「あっ!!」
これには蒼も、今の今まで忘れていたらしく、思わず声を上げてしまった。竜王から連絡が来るのは3日後だが、移動した事を告げていなかった。
「蒼、竜王に連絡とれるの?」
「とれなきゃ仕事頼めねぇよ。つうかよ、もう高山も宣戦布告してきたんだし、あいつの仕事無くなったって事っしょ、金払う必要ねぇじゃん」
言いながら、蒼は窓辺に備えつけられた黒電話のダイヤルを回した。
「……あ、竜王?蒼だけどよ。お前の仕事なんだけど…」
『ちょ!旦那!それどころじゃないっスょ!』
「はぁ?なんだよ?」
『今すぐ逃げた方が良いっスょ!もう、旦那達の居場所がバレてるんスょ』
蒼は表情を険しくし、窓の外の闇に目を向けた。
「高山達にバレたって事か?」
『高山総理じゃなくて、シェリー米国大統領にですよって』
「なんでアメリカに分かんだよ?」
『近くに太公望さん居ないっスか?あの人のスーツに発信器が付いてるっス!』
「なにぃぃ!?マジかよ!」
蒼は、忌々しげに太公望に視線を向けた。確かに、太公望の安眠スーツはNASAに作って貰ったと言っていたのを思い出した。
「でも、来るのは軍隊だろ?だったら迎え撃つっつぅの」
『軍隊じゃないんスょ!敵さんは、アメリカが同盟国と組んで造った生物兵器っス!』
「……は?生物兵器?」
『それは……』
しかし、その時。外の大気が不自然に動いたのを蒼だけが感じた。
『ちょっと、旦那?聞いてます?』
竜王の呼び掛けも聞こえぬ程に、今の蒼は集中していた。自分は能力を行使していない。それなのにも関わらず、大気はゆっくりと、だが確実に、上へと昇って行くのが分かった。
只ならぬ蒼の様子に、最初に気付いたのはアリスだった。
「どうかなさいましたか?」
だが、蒼は答えない。柊と時雨も、不信に思い、蒼の様子を伺った。
そして、大気の動きが止まったのを感じた蒼は、受話器を投げて、勢い良く立ち上がった。
「アリス!!時間を止めろ!!」
叫び声を上げた蒼に、皆の表情が強張った。
「早くしろ!!」
慌ててアリスが指を鳴らし、この部屋に居る人以外の、時間を停止した。
「一体どうしたのですか!?」
「分かんねぇ。でも、新手だ!」
窓を開けた蒼は、上空を伺い見る。
「敵は高度500メートル位の所にいる。どうやったかは知らねぇが、大気を操ってた。俺もたまにやる、圧縮空気の塊を作んのと同じ事をやりやがった」
「どういう事なのですか!?相手は人間の筈でしょう?」
流石のアリスも、声を荒げて問いただす。柊と時雨も、2人の会話から、事態が只ならぬ事を悟って、顔を見合わせた。
「竜王が言っていた…アメリカが同盟国と組んで、生物兵器を造ったと……」
「もしかして、その生物兵器と言うのは…」
アリスの声を遮り、事態は急展開を迎えた。アリスの時間停止が、突如として解除されたからであった。壁の掛け時計が、音を立てて秒針を刻むのが、今は不気味に感じられた。
「おい、アリス!なんで能力を解除した!?」
「私じゃありませんわ!」
この状況に、一番動揺したのはアリス自身だ。彼女は再び指を鳴らし、時間を停止してみた、しかし……
「どうして?停止したそばから、解除されますわ!」
そこで蒼は、又しても大気がざわめくのを感じ、額から汗を流し、力一杯に叫んだ。
「全員逃げろ!!!」
だが、遅かった。上空から落とされた圧縮空気の塊は、蒼の家の屋根に当たると、一気に弾け飛んだ。その衝撃波は、家だけでなく、美しい庭をも巻き込み、半径数百メートルを無惨に削り取っていった。
そして、その上空、遥か500メートルの位置に、満月に照らされた3人の少年少女の姿があった。
彼等は宙に浮いて佇み、能面の様な無表情のまま、眼下の悲惨な状況を、温度の無い瞳で見つめた。
その中の1人。白髪に青い瞳を持ち、純白のスーツを纏った少年が口を開いた。
「この程度で、死んだか?所詮は旧式か……」
少年は、目映い光を放つ月を仰ぎ見ると、小さく息を漏らした。
「ノア、メトシェラ。まだ奴等に息があるかも知れん。行くぞ」
その声に、腰まである銀髪を風になびかせていた少女は、深緑の瞳を細めて、薄く笑った。
「向こうも神の孫は3人だと聞きましたのに、張り合いありませんわね。そうは思いません?メトシェラ」
声を掛けられた少年・メトシェラは、少女に振り向くと、黄金の瞳でその姿を上から下まで観察して、怪訝な顔になった。
「それより僕は、なんでノアがドレスで来たのかって方が気になるのだが…」
「それは簡単な事よ。レディはいつも美しくなくてはいけませんもの」
「あと、なんで僕とシルフまでスーツなの?」
メトシェラは、自身の純白のスーツと、シルフと呼んだ白髪の少年のスーツを交互に指差してみせた。
「野暮な格好されても、私が恥ずかしいのでね。ついでですわ」
メトシェラは、ノアの発言に不満そうに長い銀髪を掻きむしった。
「おい、無駄話は終りだ。さっさとやるぞ」
シルフの声を合図に、3人は静かに眼下へと向かった。