第14話:柊の迷い
この世界の何処かにあると言われる、幻の花園・エデン。
そこでは、一年中、美しい花ばなが咲き乱れ、色鮮やかな揚羽蝶が飛び交う、正に桃源郷と呼ばれるに、相応しい場所である。
そして、今日。その場所に、およそ二千年振りとなる訪問者が訪れた。
花園の中心へと続く石畳を、革靴が規則正しい音を響かせて進んでいた。
中心部には、白い円卓が一つと、同じく白い椅子が八脚設置されていて、訪問者は、その一つに腰を下ろした。
訪問者は、十歳程の少年であった。
少年は、ウェーブのかかった銀髪を、そよ風になびかせ、宝石の様な青い瞳で、花園の美しさを確認する様に見回した。
一羽の揚羽蝶が、少年の黒いスーツの肩にとまったのを見て、少年は微笑んだ。
「ここは、何も変わらないな…あの頃のままだ」
少年が、手をかざすと、また一羽、揚羽蝶が手にとまった。
「しかし、世界は大きく変わった…」
少年が、溜め息を漏らすと、揚羽蝶は何処かへと飛び去って行った。
「蒼。やはり、嵐は回避出来なかったか…」
少年は、瞳を閉じると、その脳裏には世界が、まるで直接目で見たかの様に映し出された。
「ガーネットと接触するのは、時間の問題か…ジョーカーに会うのは、今、暫くかかりそうだな。どれ、各国の様子はどうだろう?」
少年の脳内では、複数の映像が追加されていた。
「日本に動きはないな…ヨーロッパにも、表だった動きは見られない。アメリカは…」
そこで、少年は目を見開き、驚愕した。
「なんだ…これは!?」
暫く思案した後に、少年は、苛々した様子で、親指の爪を噛み始めた。彼の心境を悟ってか、周りを飛び回っていた揚羽蝶達が、一斉に離れて行った。
「なんで気付かなかったんだ!彼等が、アダムを手にしたからと言っても、我々と戦争するには分が悪い。それなのに、敢えて挑んで来たのは、これがあったからか!!」
少年は、立ち上がると、足早に元来た道を戻って行った。
「蒼に伝えなければ…我々の敵は、人間だけではない!」
*
「如何でしょうか?大統領」
白衣を着た男の問い掛けに、第45代・米国大統領、シェリー・クロードは、微笑んだ。
「素晴らしいわ。これなら、計画も問題なくいくわね」
彼女の前には、強化硝子の窓が広がり、そこからは実験室を見下ろす事が出来る。
その実験室の中には、2人の少年と、少女が1人居るだけだった。
「ここまで来るのに、10年の歳月を使ったわ。そして、遂に完成した」
シェリーは、自分達の研究の結晶とも言うべき彼等を、改めて見ると、満足気に頷いた。
「早速だけど、あの子達の実力を見てみたいわ」
シェリーは、白衣の男に目を向け、静かに告げた。
「では…」
「えぇ、日本に連れて行くわ。上手くいけば、神の孫を一掃出来るかも知れないものね」
そう言うと、シェリーは再び、眼下の子供達に視線を移した。
「我々人類の科学技術の結晶…God. children 」
*
俺、柊は困惑していた。
俺達は今、太公望さんの能力で、岩手にある蒼の家に戻って来たところだ。
先程の高山総理との話は、確かに衝撃的だった。まさか、日本が同盟国と手を組んで、神の孫に戦争を仕掛けて来るとは、夢にも思っていなかったからだ。
でも、それ以上に……
蒼が…俺の祖父だった事の方が、俺の心を掻き乱した。
陽も傾いてきた夕暮れ時。
俺は、当てどもなく、1人田舎道をさまよっていた。
歩いても、何か変わる訳ではないが…歩くしか、今の俺に出来る事はない。
その間にも、頭の中では色々な事が駆け巡っていた。
今思えば、昔、俺は祖母に聞いた事があった、『なんで、うちにはおじいちゃんが居ないの?』って…
あの時の祖母は、遠くを見て、こう言っていた。『あの人には、こんな世界じゃ狭すぎるわ。だから、出て行ったのよ…でも、私は幸せよ。あの人に、愛されてるから』
子供の頃の俺には、祖母の言っていた事はよく分からなかった。だが、今なら、その意味が分かる。
陽は落ち、辺りはいつしか、夜の帳に包まれていた。
俺は、近くを流れる川辺へと近付き、コンクリートで固められたその場所に、腰を下ろした。
外灯も少ない事もあってか、空には綺麗な星が瞬いているのが、はっきりと見えた。
「なぁに、黄昏てんだよ。小僧…」
慌てて振り向くと、そこには、こちらを見下ろしている蒼が、いつの間にか立っていた。
「隣、良いか?」
蒼の問い掛けに、俺は黙って頷いた。
「どっこいしょっと」
隣に座った蒼は、静かに煙草を燻らせた。
「ここよ…俺がいつも散歩する時に、最後に寄るとこなんだよ」
「……」
「良いとこだろ。星は綺麗だし、静かだから、川の音が心地良い…」
俺は、蒼の言葉に反応出来なかった。そして、そのまま、沈黙が続き、時間だけが流れた。
いざ、本人を目の前にすると、どう接したら良いか分からない。昨日までは、こんな事、考えもしなかったのに…
「なぁ、柊」
沈黙を破り、蒼が問い掛けてきた。
「その、なんだ…千草は、元気か?」
なんだか、このまま黙っているのも辛いので、俺も口を開いた。避けていても、何も解決しないだろうし。
「元気だよ」
「俺の事、なんか言ってたか?」
「別に…。ただ、自分は幸せだって言ってた。蒼に、愛されてるから、ってさ」
蒼は、驚いた表情で俺を見たが、やがて微笑を浮かべて、視線を戻した。
「そうか…」
「蒼は、俺の婆ちゃんの事、今でも愛してる?」
「当たり前だ」
蒼は、真剣な眼差しで、力強く言ってみせた。
「千草は、俺がこの世で愛した、たった1人の女だ。その想いは、変わらない」
普段、俺達の前で見せる、飄々とした蒼と打って変わった真剣さに、俺は呆気に取られていた。
そんな俺を見て蒼は、いつもの不敵な笑みになった。
「なに、アホ面になってんだよ。それでも、俺の孫か?」
「ほっとけよ」
「はっ!まさか、お前が俺の孫とはねぇ…」
「こんな孫で悪かったな…」
どうせ馬鹿にされるだろう、と思っていたが、蒼は首を横に振った。
「いや、立派に育ってくれて、何よりだ」
「えっ…」
「俺と千草の血が、お前に流れてると思うと、素直に嬉しいよ。初孫って、こういうもんか?」
照れた様に笑う蒼を見て、俺の中で、何かが崩れていくのが分かった。
俺は、どうやら難しく考え過ぎてたのかも知れない。元々、神の孫だとか、不老不死だとかって、常識から見たら考えられない事を、最近はさも、それが当たり前の様に思っていたんだ。今更、それが自分の祖父だって事なんて大した問題ではない。むしろ、こっちの方が常識的だ。
「まぁ、なんだ。これからも、しっかり頼むぞ。柊」
頭を掻きながら、そう言った蒼に、俺も笑顔で返した。
「あぁ、分かってるよ。じいちゃん」
「ちょっと待て、テメェ!じいちゃんなんて呼ぶんじゃねぇ!どっから、どう見ても、十代だろうが!」
「良いじゃん、別に。中身は、御老体だろ?」
「うっさいわ!テメェなんか、ただデカいだけのエロガキじゃねぇか!」
「はぁ?誰がエロガキだよ」
「テメェに決まってんだろ!奈穂にも、時雨にもエロ目使いやがって!おまけに時雨の胸は揉むしよ」
「あれは、お前がやったんじゃねぇかよ」
言い争いは長々と続き、結局、決着はつかないまま、体力だけが減っていった。
「はぁ…はぁ、おい、柊」
「な、なんだよ、蒼」
蒼は、左の方を指差し、俺もそちらに視線を移した。そこには、赤提灯を掲げた居酒屋が一件あった。
「あそこで一杯だけやって帰っぞ。あんま遅くなると、時雨達が心配すっからよ」
「おお、賛成」
俺達は、何事もなかった様に、居酒屋へと歩を進めた。
居酒屋には、入口に『とり吉』と書かれた暖簾がかけられていて、中はそれなりに賑わっているらしく、外にまで中の声が聞こえていた。
「焼き鳥専門の店なのか?」
暖簾を指差して聞いた俺に、蒼は頭を振った。
「いや、メインは魚だ」
「なんじゃ、そりゃ」
「まぁ、店の親父は変わってるが、料理は美味いからよ。ほれ、入るぞ」
蒼の後に続き、俺も店内へと入って行った。
中は、五人掛けのカウンターと、六畳程の畳という造りで、広くはないが、隠れ家的な雰囲気が漂う良い店だった。
「あっ!蒼さん。丁度良かったぁ」
「あ?何や?」
店に入るなり、困り顔で、店の主人らしい中年の男が、こちらに寄って来た。
「あの、お客さん。蒼さんの知り合いだって、蒼さんを呼んで来いってしつこくて…おまけに、へべれけに酔ってるし」
主人の視線の先、カウンターで1人、一升瓶片手に騒いでいる女の客が目に付いた。
「ん?あいつ…」
怪訝な顔で女を見ていた蒼に、女も気付いた様でこちらに顔を向けた。
「あっ!!」
そして、2人同時に声を上げて、お互いを指差した。
「ちょっと、蒼!!あんた、今まで何処行ってたのよ!散々探したのよ」
「テメェこそ、何やってんだよ!!ガーネット!」
これが、四人目の神の孫。ガーネットとの、初顔合わせだった。