記憶の記憶
リチャードに俺が初めてチェスで勝ったのは、ユリアが二人目の子供を産んですぐの事だった。
「二人目、おめでとう。二人目の君の天使は、幸運の女神かもね。」
リチャードは、嬉しそうに俺に言った。
いや、俺の天使はここにいる。
リチャードに、ユリア。
そして第一子の、ユリウス。
昨日生まれたばかりのエミリア。
だから、正しくは、四人目なのだけれど、そんな事は言わない。
「そうなると、いいなと俺は思っているよ。」
思わず漏れ出た本音に、リチャードは少し驚いた様子を見せた。
「?・・・どうしたの?エリオス?」
「ユリウスは、少しばかり問題がある・・・。」
「???・・・すごく、優秀な良い子だろ?『稀代の天才』だっけ?期待されてるよねー。・・・それに、どんな問題があるの?」
「・・・ユリウスは生きるのが、つまらないんだ。天才故に。何をしても満たされない。・・・だから、ユリウスを理解できる兄妹を作ってやりたかったんだ。」
・・・そう、ユリウスは退屈している。
彼は俺よりも賢い。多分、俺よりもつまらないし、満たされないのだろう。
何をしても簡単に出来てしまう。出来ない事はなにも無い。
・・・それはとても退屈な事だ。
俺もそうだった、天使達に会うまでは・・・。
天使に焦がれて手に入れて、俺は満たされた。
「俺は、ユリウスにも何か楽しい事が見つかるといいなと思っているんだ。エミリアがその楽しい事になってくれたら・・・いいなと思うんだよ。」
「ふふふ。エリオスは、いいお父さんだね・・・あ、ねぇもし、僕に子供ができたら、どちらかと僕の子供を結婚させてよ!」
俺は、リチャードの発言にギョッとする。何かまずい事があるなら始末してやらねば。
「おい、リチャード、何か心当たりでもあるのか?!」
「もう!そう言う話じゃ無いって!・・・ね、俺たちの子供が結婚するって、素敵じゃない?・・・そーゆー話だよ。・・・あ、僕としては天才少年のユリウス君より、エミリアちゃんのパパになりたいなー。」
リチャードは、いつもの様に穏やかに笑って言った。
◇◇◇
「で、やっと勝ったんだ。リチャードの問題とやらを話してくれ。」
俺は、正面からリチャードを強く見つめた。
「ん・・・言いにくいな・・・。あのさ、この話を聞いても、僕の頭がおかしいなんて言わないで欲しいんだ・・・。」
「?おかしな話なのか?」
「ん・・・。だいぶおかしい話かも?」
「でも、聞く。リチャードはおかしくはない。」
俺が断言すると、リチャードは儚く笑った。
「・・・あのね、僕にはね、前世の記憶があるんだ。それもごく子供の頃から。」
あまりの告白に、俺は驚きを隠せなかった。
「・・・驚いちゃうよね。しかもね、僕が前世で生きてた世界は、こことはまるで違う世界・・・異世界なんだ。・・・空を飛ぶ乗り物があったり、星を探すロボットが空に打ち上げられたり、世界中の人と話したり・・・とにかく、この世界では考えられない様な未来の世界なんだ。」
「リチャード・・・?」
「ん。驚くよね。でも僕は狂ってはいないよ?・・・その世界でね、僕はチェスのチャンピオンだった。・・・王都とかじゃなくて・・・あちらの世界は、世界中の人と繋がれたから・・・その世界中の人の中でのチャンピオンだったんだ。」
リチャードは、笑って話を続ける。
「その世界で、僕は思う存分に生きたんだ。チェスもだけど、勉強や仕事にも打ち込んだ。愛する人もいたんだよ。・・・だから、だからこそ、死んでしまって、二度目の人生が始まったと知った時に、絶望したんだ。」
「何故・・・?」
「君は、愛する人や愛したものの無い世界で、生きていたいかい?」
俺はリチャードの絶望を想像した。
リチャードが居ない世界。
ユリアが居ない世界。
ユリウスもエミリアもいない世界。
騎士の仕事も、伯爵家も無い世界。
ああ、なんて悲しい絶望の世界なのだろう・・・。
リチャードの無気力が理解できた気がした。
「精一杯、生きたからこそ、この世界は泡沫の夢だと思いたかった。微睡んで終えてしまいたかった。・・・だけどね、あのつまらない薔薇園に、君が来て、つまらない僕からユリアを救った。そして、僕には、またチェスをさせてくれた。」
リチャードは、そう言ってチェスのクイーンを俺に渡した。
「小さな頃から見てきた君たちが、僕は本当に可愛いかったんだ。だから、君たちが、幸せになるのを見たら、僕の人生は終わりで良いと思っていた。君たちを見守る事だけが、僕の楽しみだった。・・・こっちの世界にチェスがある事は知っていたけど、触りたいとは思わなかった。だって、それはもう前世でやり尽くしたから。・・・だけど、一人になると思い出すのはチェスの事ばかりだよ。思い出しては棋譜を書いた。・・・ある時堪らずにチェスを触ってしまった。・・・それをエリオスに見られた。」
リチャードは、そう言って、俺を見つめ、続ける。
「エリオスと対戦して、僕は絶望した。やはり二度も生まれたく無かったと。君に簡単に勝った時、僕がどう思ったか分かる?・・・エリオスに、チェスを指導してあげよう、きっと君は良いセンいくだろうって・・・あの人生でチェスは終わりにしなきゃいけなかったんだ。この世界でチェスをしたら、あの世界で精一杯生きた筈の僕は何だ?愛する人すらいない世界でもチェスを捨てない僕は誰だ?僕はリチャード?それとも異世界の人間?・・・僕は怖かった。やり切った筈の前世を後悔したくなかったし、今の僕は僕だから・・・だけど君が来た。」
リチャードはいつの間にか、ポロポロと涙を溢している。
「エリオスは、僕の為に、チェスを学んできた。すごく嬉しかったよ。ねぇ・・・僕はこの人生を楽しんでも良いのかな?・・・君は僕のクイーンなの?一歩しか進めない僕を救ってくれるの?・・・それは何故?」
俺はクイーンを握りしめたまま、リチャードを抱擁する。
「・・・俺は、きっと君のクイーンだ。だからリチャードを守る。一緒に生きてくれないか?一緒に人生を楽しもう。・・・俺もリチャードが大好きなんだ。」
リチャードは泣きながら頷いた。
そして、笑って言った。「今のって、ちょっとプロポーズみたいだよね。」と。
だから俺は言った。
「プロポーズだからな。」と。
リチャードは吹き出すと、「僕たち、気持ち悪いね。」そう言った。