天使の記憶
それから、一年程過ぎ、俺たちは学園を卒業する年になった。
リチャードは相変わらず、人形の様にボンヤリ過ごすか、微睡でおり、あれ以来、話す事すら少なくなった。
だけど俺もユリアも、リチャードを諦める事なんて出来なかった。
どんなに避けられても、上の空で返事をされても、リチャードに近づく事をやめられなかった。
・・・美しい人形。それがリチャードだと、人々は噂した。まさにその通りではあったが、俺とユリアはそれが腹立しかった。・・・リチャードは人形ではない。生きているのだから。
その頃になると、俺はチェスの腕をかなり上げ、王都の大会で優勝できる程になっていた。
まだ、リチャードに勝てる程ではないのかも知れない。
・・・しかし、勝つ必要は無いと思っている。
リチャードが俺と勝負するのが、面白いと思えれば・・・思いさえすれば、きっとあの天使は羽を折らせてくれるだろう。
卒業すれば、俺はユリアと結婚する。
ユリアは簡単に自分の羽を折らせてくれた。
自ら公爵に頼み、俺との結婚を承諾させたのだ。
もう、ユリアは手元にある。
あとは、リチャードだけだ。
俺の欲望は、天使を捕らえる。
◇◇◇
学園最後の夏季休暇が始まると、俺は直ぐにリチャードに会いに彼の屋敷へ向かった。
リチャードは、相変わらず、薔薇園の東屋にある安楽椅子で微睡んでいた。
「やぁ・・・エリオス・・・。」
俺が来た事に気づいたリチャードは、ゆっくりと顔をあげた。
「やぁ、リチャード。」
リチャードは、少し戸惑い、そして言った。
「ユリアと結婚するんだってね。おめでとう。・・・こうして話すのは、久しぶりだね。」
「リチャードが、避けているんだろ?」
「僕は・・・ごめんね、エリオス。・・・ごめん。ごめんなさい・・・もう、帰って。」
リチャードは、悲しい顔で安楽椅子から起き上がり、そのまま立ち去ろうとする。
だけど、俺は逃がさない。
俺は、椅子に覆い被さる様に、両方の肘掛に手を付き、リチャードを椅子から出られない様に閉じ込めた。
「エリオス?」
リチャードは、驚いてを見上げる。
「なぁ、俺とユリアをずっと大好きなんだろ?何故、避ける?・・・俺たちを嫌いになったのか?」
「ち、違うよ!僕は、エリオスも、ユリアも好きだよ。嫌いになんて、ならないよ。・・・避けているのは・・・僕の問題だ。・・・それで君たちを傷つけてしまったのなら、ごめんね。・・・だけど、大切には思っているんだ。それは変わらないんだよ。結婚の話・・・聞いた時、嬉しかったよ・・・。」
リチャードとしっかり目を合わせて話すは、どのくらい振りだろう。サファイアの瞳に俺が映っている。
それがどれ程、俺を喜ばせているか、この男は知らない。
「リチャードの問題とは何だ。」
「それは、言えない。」
「チェスが関係するのか?」
俺がそう言うと、リチャードは目を見開き、顔を歪ませる。
「ねぇ、エリオス・・・帰って。もう話せない。」
だけど、俺は目を逸らしたりはしない。
リチャードの瞳が揺れている。
「なあ、もう一度勝負しろ。」
「もう、しないって言った。」
暫く、二人で睨み合う。
・・・ああ、なんて幸せなのだろう。俺は思わず顔を緩ませる。
リチャードは生きている。
今のリチャードは人形じゃない。
天使が俺の腕の中にいる。
そんな俺を訝しげにリチャードは見つめ返す。
「なに・・・?エリオス。」
「強くなったんだ・・・チェス。リチャードの為に。」
「え・・・。」
「王都の大会で優勝もしたんだ。」
「・・・。」
「リチャードには、勝てないかも知れない。だけど、リチャードが退屈じゃない試合くらいはできる筈だ。」
「・・・エリオス・・・。」
俺の言葉は、想像以上に、リチャードを揺さぶった様だ。
突然、リチャードのサファイアの瞳が涙で濡れ、それはポロポロと溢れて行った。
そして、白く美しい手が俺の頬に触れる。
「どうして・・・どうして、エリオスは、そんな事をしてくれるの?僕なんかの為に・・・。」
だから、俺はその手を掴み、そして答える。
「それは、勝負の後だ。勝負、してくれるよな?・・・なぁ、リチャード、もし俺がいつか君に勝てたら、話してくれるかい?・・・君の問題を。」
リチャードは、頷くと、嬉しそうに笑った。
・・・結局、勝負に勝ったのはリチャードだった。
しかしながら、試合は白熱し、思いの外、時間がかかった。
それは、リチャードを大いに満足させた様で、あんなに真剣で楽しそうにするリチャードを見たのは、初めての事だった。
勝負が決まると直ぐに、リチャードは「またやろう」と、楽しげに言った。
薔薇園でチェスに熱中するリチャードは、まるで子供みたいだった。何度も俺に相手をせがみ、俺たちは何度も勝負をした。
リチャードも羽を折らせてくれた。俺はそう思った。
いつの間か、日が暮れ、薔薇園は闇に包まれていった。
それはまるで、天国の終焉の様だった。
俺はそれを愉快な気持ちで見ていた。
・・・俺はいつか、この薔薇園を模した庭を自分の屋敷に作るだろう。そして、そこに俺は捕らえた天使を放してやる。
・・・天使は俺の庭でお茶会を開くのだろうか?
そして笑い合って、また微睡むのだろうか?
また俺を招くのだろうか?
・・・いつか天使達は、俺を天国に招き入れた事を後悔するのだろか?
いや、させない。・・・決して、この仄暗い欲望を気付かせたりはしない。
俺は焦がれて続けた、一対の天使を手に入れた。
そして、俺は満たされたのだ。