君へ。
ここに書き残そうとする事柄は、いまこの瞬間にも忘れられ続けている僕という存在、その忘却に対する考察だ。いや、そんな大仰なものではないか。ただ何かを記さなければならないという強迫観念にも似た焦りに囚われた僕が居て、こうして筆を執ることにしたのだ。だがこれも現状の恐怖や不安から逃れるために、単なる愚痴を書き殴りたくなっただけかも知れず、一種のアピールなのかも知れない。
さっそく書き出したいのだが、一つの心配事は嘲笑に晒されないかということだ。この先を読み進めて、心からの同情を抱いてくれる人物が在るだろうか。想像するに皆の感想は精々、夢か妄想、勘違いや思い込み、よくできた嘘、といった僕にとって侮辱にも近い安易な言葉で纏められるように感じる。
しかし、何れにせよだ。どんな形であれ、あれらの経験において生じた気持ちの一切は全く偽りのない真実であり、これを否定することは何人たりとも叶わない。だから、その在りのままを綴ろう。
僕は此処に居るだろうか。
君と同じ世界に立っているだろうか。
* * *
初めて、存在というものを意識したのは、小学校の高学年に上がった頃だった。まだ世の中の理不尽に悩みだす年頃ではない。それでも子供心に真剣に向き合い、震えるほどの恐怖に眠れない夜を過ごしたことがある。
きっかけは、誰もが身に覚えがあるかも知れない、友人との死別だ。特別に親しいといえるほど仲がよかった訳ではないが、突然身近に降りかかった不幸は、幼い僕に並大抵でない衝撃を与えた。
彼女の通夜には、半ば義務であるかのように親に連れられて行ったのだが、大勢の啜り泣きが響いてくるなかでも、悲しみで涙を流すことはなかった。ただ、皆とは異質の暗い沈んだ心持ちになった。現実を直視することが出来ず、呆然としていたのだろうか。焼香は建前だけの儀式に感じたし、通夜振る舞いを美味しそうに味わう同級生たちを滑稽に思った。また、会場の外で談笑に興じる保護者たちは悪魔のように見えた。
どこか冷たい目で皆を観察していた僕は、死というものを理解していなかった。身体の内側にある、心の器とでも云うべきところ。もやもやとした息苦しい霧が其処に立ち込めたのは、暫くの後だった。
通夜を終え、休日を跨いだ月曜日。何事もなかったかのように皆は日常を演じていた。小学校らしい笑顔と騒ぎの絶えない教室が、変わらずに在った。そんな光景に、いつものように彼女も登校してくるのではないかと錯覚した。だが唯一、いつの間にか片付けられた彼女の席だけは、死の事実を突きつけていたのだ。
それから彼女を失った世界に慣れ始めた頃、僕は違和感を抱いた。彼女が居なくなってから、雑談に思い出話がまじることが無くなったのだ。何故そんなことになるのか、不思議に思った。それで僕が、彼女を含めた話をしようとすると、友人が止めに入った。
「やめろよ、そんな話」
「なんで?」
「なんでって……思い出したくないだろ」
友人の言葉を聞いた瞬間だ。殴られたような衝撃と鋭い刃で切りつけられたような痛みが、同時に僕を襲った。荒れ狂い混乱した思考が激しい頭痛を生み、皆の心配をかける程に苦しんだ。このとき、理解したのだ。
死とは、いなくなること。
取り返しがつかないもの。
そして、忘れ去られるということ。
人が本当に恐れているのは、死だけだ。忘れ去られるという、一点にのみ恐怖を感じている。その理由になり得る根拠を教科書か何かで読んだことがあるので、うろ覚えながら一部抜粋する。
『なぜなら、人間は他者との相互関係において自己を成立させる、いわば孤独ではいられない生き物だからだ。この性質によって、人間は他者に干渉したり、逆に干渉されたりする』
確か、コミュニケーションに関する論説文だったと記憶しているが、定かではない。云いたい事は、孤独を連想させる死を皆が自覚なしに、だが何処か意識的に遠ざけているということだ。ある種の自己防衛なのかもしれない。
しかし僕は、衝動的な反感を抱いた。ならば干渉されなくなった、つまり忘れ去られた彼女は、一体どうなるのだ。己の恐怖から逃げるために、彼女を犠牲にしていいのか。死んでしまえば、すべて終わりなのだろうか。彼女を思いやる必要など、まるでないとでも云うのか。
僕は、そんな残酷な論理を認めない。想像してみればいい。彼女は、いま孤独だ。死後の世界など信じているわけでもないが、生者の誰も無いとは云えないのだから、この程度の思慮があってもいいだろう。
脳裏に浮かぶのは、神や天使などがいる世界ではない。目を醒ますと、其処は昨日まで生きていた世界だ。家族の、友人の、知人の悲しみを幾つも目の当たりにして、思い知らされる。私は死んだのだ、と。誰にも姿が見えず、誰にも声が届かない。それでも、愛おしい人々の涙が、彼女の心を慰めるだろう。私は確かに此処にいた、と。だがいずれ涙は涸れ、人々は忘れゆく。悲しみよりも喜びを求め、過去に留まらず未来を進もうとする。そして、時の流れから外れた彼女は、存在の痕跡が失われてゆくのを認めながら、永遠の孤独を過ごすことになるのだ。
この感情的な、また稚拙な真理の発見は「彼女」を軽々しく扱う唾棄すべき人々への批判となって、深く胸に刻まれた。常に「彼女」を何処かに意識しながら、親しみと畏れを抱き、相反する世界にただ存在していたのである。だから、僕は無自覚に「彼女」へ近づいてしまったのだ。現実を生きながら「彼女」が抱く闇、すなわち忘却という孤独を引き寄せてしまった。
* * *
そのことに気がついたのは、何時だったろうか。曖昧な記憶を手繰ると、ちょうど心療内科に通っていた頃を思い出す。大学受験を控える身ではあったが、悩みは別のところにあり、うつ病という診断を盾に世間から隔絶された日々を送っていた。
僕の症状について詳細を語ろうとは思わないが『病は気から』という諺は本当で、精神の弱体化は神経系に作用して合併症を引き起こし、身体的にも僕を痛めつけた。
薬剤手帳から記録を引き出してみると、五月から三月の約十ヶ月間において、通院は三十二回にも及ぶ。また蛇足になるが、高校の出欠状況を挙げると、遅刻が四十六、早退が五十二、欠席が四十五、という悲惨極まりない数字が手元には残っている。高校卒業に関しては色々と悶着があったのだが、恩人である某先生の努力により事なきを得た。
話は逸れてしまったが、再び「彼女」を強く意識した時期である。この先は著しく主観に基づいているので、上手く説明の出来ないことが在ったとしても容赦いただきたい。
進級して間もない頃のことだ。何の前兆もなく突然に、皆から無視されるという出来事があった。悪質ないじめかとも考えられたが、全く身に覚えは無かった。内向的な性格が災いして自ら接点を作ることも出来ず、数日間その状態が続き、いつの間にか元に戻っていた。
違和感を覚え始めたのは、まさにこの時だ。これが忘却のはじまりであったのだ。僕は愚かにも認めようとせず、うつ病などに逃避を続けていたが、思い直せば当時の精神状態では致し方ないことかも知れない。友人関係や将来への不安、家庭内の事情などで不安定になっていたし、紛れもなく孤独への恐怖を感じていたのだ。
無視をされた程度で何を、と言われるだろうか。だがしかし、思い込みだとしても変わりはない。全ての心情は主観的な事実に基づいているのであって、客観的な事実は全くの無意味であるのだから。
それから、急速に僕という存在は薄れていった。自分に向けられる、視線の量とでも云うべきものが減っていることに気づいた時には手遅れだったのだ。道端で会った友人の、看板のほうが幾分ましだと言う視線が一瞬絡み、逸らされる。去年のクラスメートが、声をかけるどころか目線すら合わせずに、真横を通り過ぎる。
僕は、受験勉強に充てるべき時間の殆どを、恐怖との闘いに費やし、次第に人を避け始めた。此処に居るのに、其処に居たのに、彼らのなかには存在しない。忘却の孤独と向き合うのが怖かったのだ。暫くして恐怖を諦めに刷り変えると、終には忘れ去られることに慣れてしまった。しかし、親友であった友人や初恋の女の子、相談を受けてくれた先輩や先生方。そんな人々の記憶から消えてゆくのは、辛く哀しかった。
高校を卒業する頃には、僕の過去を覚えている人は数えられる程になっていた。他の皆は僕を忘れ、僕も他の皆を忘れようと努力していた。
* * *
大学に入学してからの数ヶ月は平和だった。文字通り何事もなく、平凡で退屈な日常を過ごしていた。それというのも、僕は忘れ去られる可能性の有る、ありとあらゆる人々から忘れ去られ、孤独に耐え切ったからである。
しかしながら、運命とは悪意の代名詞でもあるのだろうか。もはや諦念さえ抱いていたはずの僕は、君と出逢ってしまった。そして何時か失われると知りながら、なお求めずには居られなかった。恋というものは、どうして抑制することが叶わないのだろう。孤独であればあるほど、ささやかな温もりが一層あたたかく感じられ、気持ちが緩んだ瞬間に囚われてしまう。一度でも溺れてしまえば、抜け出すことは容易でない。
だが君と積み重ねる日々には、常に不安が付き纏った。身も心も結ばれ満たされながらも、空虚さが何処かに在った。それでも喜びが悲しみを癒していたのは確かだろうし、君だけは特別ではないかと、都合のいい考えを起こしもした。何時も側に居てくれる君ならば、僕のことを忘れ去ることはないだろうと楽観したのだ。本当に幸せなひと時だった。だからこそ、勿論のこと反動は大きかった訳だが。
ある日、大学の構内で偶然に君を見かけた。お互いに用事が重なって久々の邂逅ではあったのだが、予測をしていながらも自ら信じていなかったのだろう。多分の驚きと悲しみを以って、その出来事を迎えた。
背後から近づくと、いつものように頭をぽんと叩いて、声を掛けた。しかし、振り向いた君の表情には在りありと困惑の色が見て取れて、思わず言葉を止めてしまう。一方の君は、躊躇いがちに口を開くのだ。
「えっと、あの……ごめんなさい、私――」
君の言葉を最後まで聞かずに、僕は逃げ出した。あなた誰、と尋ねられるのが怖かったのだ。頭のなかが真っ白になり真っ黒になり、とてもではないが現実を受け止めるだけの余裕は無かった。ただ手に入れた大切なものが、一瞬にして掻き消えたのだということは理解していた。
思い返せば、予兆は確かに在った。突然に呼びかけたときの些細な反応の遅れや、想い出に関する記憶の齟齬、時折見せた不自然で取り繕うような笑顔がそうだ。何れも小さなもの故に、気づくことは無かった。否、気づきたくは無かったのだ。薄々感じ取っていながらも、問題を先送りすることで束の間の幸福に浸っていた。
暫くして、今度は街中で君と鉢合わせた。忘れ去られた後も度々、大学では姿を目にすることが在ったが、臆病風に吹かれた僕は、話しかけられないよう隠れてさえ居たのだ。たとえ完全な忘却でなくとも、何時か忘れ去られる定めならば、再び君と繋がることに何の意味があるだろうか。希望を抱こうともしない僕は、既に絶望の淵に在った。
横断歩道を挟んだ向こう側に、君がいる。一瞬だけ視線が絡んだ気がしたが、表情の変化は窺えない。君にとっては、何処にでも在る風景の一部でしかないのだ。唇を固く引き結ぶと、人波に混ざりながら道路へ足を踏み出す。そうして大切なひとと、他人同士のように擦れ違った。
瞬間、後ろで軽く声が上がり、不意に温かいものが背中に触れた。
「捕まえたっ! やっと」
訳が分からなかった。僕は、もう諦めてしまっていたのだ。だが君は、繰り返し僕の名を呼び、痛い程の力を込めて精一杯に抱きついてくる。
「どうして居なくなっちゃうの……もう何処にも行かないでっ」
君の叫びを聞いて、初めて新たな可能性に行き当たった。皆が忘れ去っていたのではなく、僕が消え去っていたのかも知れない。真偽は解らない。ただ唯一、君だけが僕を思い出したという事実が嬉しかったのだ。
「何処にも行かないよ。此処に、居たいからな」
* * *
僕が忘却されていく、あるいは消滅していく現実。何故なのかは、未だに分からない。ただ、この手記を残すことで何かしらのきっかけに成り得るのなら、幸いに思う。皆に知って貰うことが支えにもなるだろうし、何よりもこの文章の再読によって僕を思い出すのではないかと期待している。
僕は此処に居るだろうか。
君と同じ世界に立っているだろうか。